年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

家族の昔を共有する

2017-06-16 21:12:35 | Weblog
 グロールマンの言葉の1節でもないが、親の死、それはあなたの過去を失うことです・・のあまりにも語り尽くされた言葉がある。私の方、父親は亡くしたが母親は生きているので自分の過去をすべて失っているわけではない。ワケではないが、家族が5人であった頃の話をするとき、母親は耳が遠いために十分な会話ができるとは言えない。みじかい単語、みじかい言葉でのやり取りとなっているので話を膨らませることが難しい。せいぜいクローズドクエスチョンでのYes,Noの会話にならざるを得ない。

 昔の自分たちの家族のことを懐かしく思いだし、なぜか覚えている印象的な場面の昔話を出しても。弟もいなくなり、かと言って母親は十分に会話ができない有様につき家族の過去の話をするときはたいてい妹がかろうじて、今のところ共通認識可能な過去を共有していることとなる。

 今日は母親を連出し好きな温泉に連れて行こうと、そしてどっかで昼ご飯を一緒に食べよう。。と計画した。
何が食べたいのかと母親に聞くとお寿司が食べたいという。では、くるくる回るお店に行こうとするも・・・そこは車いすがない・ので店に入ることができない。しょうがないナァ・と仕方なく予約しているいつもの温泉。車いすが置いてある、さくらの湯で何か食べることとなった。

 食卓テーブルでいつもの昔話に花が咲く。助聴器聴子を耳にあてた母親も一言二言会話に参加することになる。母親の引き上げ前のお嬢さん育ちのことは辟易するほど聞かされている。母親の裕福な家庭環境のことなど自分には想像の範囲内にて理解不能。作曲家の古賀政男さんを身内に持つ母親の友人の話など裕福な暮らしぶりとは縁がないにつき、もっぱら3人の子供をどうやって育てていたか・・などと5~60年ほど前の父母と子達の家庭の思い出話になる。さっきの記憶より数十年前のことの方をしっかり覚えている年代である。すると・・結構20才半ばで結婚し次々と23ヶ月おきに3人の子を産んだ母ではあるが、妹の言うことに、私は3番目だからほとんど放ったらかしで育てられた、ベンキョウのことや日常生活のマナーなどのことで口うるさく云われた記憶はない・・むしろ母親の妹、つまり叔母さんから教えられたことが多い・・などと云ってる。ところが長男である自分の場合は、初めての子であり初めての甥っ子であるからなんだろうか、良くも悪くもかなりマークされていたように思う。つまり、こうしなさい・あ~しなさいのスベキ口調、ネバならない・・の空気の中で成育されていたような・・・そのようなことを3人で昼ご飯食べながらしゃべっていると。。ふと妹が、そういえばお母さんはほとんど家に居なかったけど、仕事をするわけでもなくどこに行って遊んでたんと昔を振り返ると母親は、イヤ~家に居たやろ・・と応えるも幼少時に経験した子らの親への映像はしっかり忘れることはないようで・・そのような過ぎ去った思い出を失うことなく共有できるのは、生きている証なんだろう。

 母親が入居する老人ホームを出掛ける時、お二人のスタッフさんから声をかけられた。励ますように、オニイサン順番やケンな順番、介護をする方はしんどいけど次はお兄さんがこのように介護を受ける方に回るんよ~ダト。ウルセ~
 母親と妹は家族の湯へ、私はいつもの湯に。湯上りは、あ~気持ちが良かった・・などと云いながらも母親の嫁さんに対する気遣いもあったりして。奥さんは辞めるに辞められずもがきながら今日もお仕事場へ。K子さんにわるいね~私らだけで遊んで・・と。
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