真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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教育勅語 全文

2017年05月19日 | 国際・政治

 

 「教育勅語」は、森友学園問題で一躍注目を浴びることになりました。園児に教育勅語を暗唱させている場面が、衝撃的だったからではないかと思います。その後、安倍政権の閣僚や副大臣、大臣官房審議官などが、様々な議論の中で、「教育勅語」を擁護するような発言を繰り返し、ついに内閣が、「勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」と閣議決定するに至っています。

 今までにも、「教育勅語の内容の中には、夫婦相和し、あるいは朋友相信じなど、今日でも通用するような普遍的な内容も含まれている」として、「こうした内容に着目して適切な配慮のもとに活用していくことは差し支えない」というような主張をする国会議員がいたと記憶しますが、そうした考え方は、戦後間もないころの衆議院の「教育勅語等排除に関する決議」や参議院の「教育勅語等の失効確認に関する決議」を無視するものであるとともに、日本の歴史を修正し、歪曲しようとするものではないかと思います。

 いわゆる「教育勅語」は、明治天皇の「教育ニ関スル勅語」として、1890年(明治23年)10月に発布されましたが、敗戦後国会で排除・失効の決議が行われるまで、国民道徳の絶対的基準・教育活動の最高原理として、「軍人勅諭」とともに、軍国主義の日本を支える重要な役割を担っていたことは、忘れてはならないと思います。
 また同時に、「教育勅語」の教育的意味を考えるとき、その内容とは別に、教育勅語の政治的な「扱い」が、教育を受ける子どもたちに与えた教育的意味の大きさも見逃すことができません。
 教育勅語発布後、文部省はその「謄本」を作り、全国の学校に配布したようですが、それは、その後ほとんどの学校で「御真影」(天皇・皇后の写真)とともに「奉安殿」などと呼ばれる特別な場所(校舎とは別に設けた、小さな神社風の建物)に保管されるようになったといいます。教育勅語の謄本を丁重に取り扱うよう命じる旨の「訓令」が発せられたからです。また、「小学校祝日大祭日儀式規定」や、「小学校令施行規則」などにより、祝祭日に学校で行われる儀式では教育勅語を「奉読」(朗読)することが定められました。
 教育勅語奉読を聞く子どもたちは、「頭を垂れて、校長先生が勅語を持って来るのを待っていた」といいます。また、勅語を奉読する校長は、フロックコートなどで正装し、真新しい白手袋をつけ、大事に納めた箱から謄本を取り出し、「勅語節」などといわれる独特の抑揚を付けて奉読したと言われています。
 さらに、子どもたちは、勅語の保管場所である「奉安殿」の前では、登下校時に「最敬礼」することが義務とされたようです。したがって、校長の勅語奉読を聞く子どもたちの多くは、その意味が分からなくても、「教育勅語」にただならぬものを感じたのだと思います。

 でも、その教育勅語の内容に関しては、発布直後から、いくつかの議論があったようです。「教育勅語」山住正己(朝日選書154)は、当時の帝国大学文化大学の著名な教授の発布直後の発言と、それに対する批判を取り上げています。(資料1)
 教育勅語を「五倫五常の道」と考える儒教主義的な解釈と「皇祖皇宗の遺訓」であることこそ重要であるという、資料1にみられるような考え方の論争です。
 そして、日本は、教育勅語の儒教主義的な解釈を否定し、日本の国体を「万世一系の天皇が神勅を奉体して永遠に統治する国であり、万古不易の国体を誇る」ものとするとともに、教育についても「その根源をここに発する(敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス)」とする考え方を徹底させる方向に進んでいったのだと思います。したがって、教育勅語が神聖視されるようになっていったことも不思議ではないと思います。

 日本は、「万世一系の天皇が神勅を奉体して永遠に統治する国」であるが故に、教育勅語は、国家に緊急の事態が起これば、国に命を捧げることを究極目標とし、教育勅語があげる日常の徳目は、究極目標のための手段として意味を持つという考え方で利用された、ということだと思います。でも、そうした考え方は、明治以降知識人に浸透しつつあった個人主義や自由主義などの西洋近代思想と相容れず、当然のことながら、自由民権運動などを抑えることにもなったのではないでしょうか。

 だから、「教育勅語の内容の中には、今日でも通用するような普遍的な内容も含まれている」というような主張は、そうした教育勅語の考え方を無視するものだと思うのです。教育勅語で重視されたのは、そうした個々の徳目の遵守ではなく、国に緊急の事態が発生したとき、身命を捧げる覚悟であり、個々の徳目は、万古不易の国体を守るという目的達成のためにこそ意味があるという考え方です。そして、そうした考え方で、子どもたちの教育にあたることが皇祖皇宗の遺訓であるとされたわけです。

 教育勅語を園児に暗唱させたり、教育現場で教育勅語を活用することを認める人たちの本音はいったいどこにあるのか、と疑問に思います。

 皇祖皇宗ノ遺訓」を説く「教育勅語」ですが、発布当初は、その「皇祖皇宗」に関してさえ、様々な解釈があったようで、驚きました。
 
 下記の「教育勅語」全文(資料2)は「教育勅語」山住正己(朝日選書154)から抜粋しましたが、資料3は、その漢字の読みを確認しつつ平仮名にしたものです。
資料1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                 第四章 勅語の精神
一 国体
 ・・・
 最初に発言したのは、旧鹿児島藩士の歴史学者・重野安繹(ヤスツグ・1827-1910)であった。重野は11月3日の天長節に、帝国大学で開かれた勅語拝読会で、学生らを前に、「勅語の大旨は蓋し忠君愛国及父子兄弟夫婦朋友の道を履行するに在りて、即ち五倫五常の道なり(君臣父子等は其体、恭倹以下は其の目なり)五輪五常は儒教の名目なれば是を儒教主義と云ふも不可なかるべし。然るにその道は実に皇祖皇宗の偉勲なりと宜ひしは深き仔細ある事なり」と述べた。この演説は、もとより重野個人の見解の発表だが、しかし、何といっても、最高学府であった帝大で、帝大教授が、やがて国家の指導者になると約束されていた学生を相手に行った演説であるだけに、社会全体にも重大な影響があると関心を寄せられ、その内容を知って遺憾に思った人が出るのは、当時としては、当然のことであった。
 十日後の『国民之友』(100号、11月13日)は、「重野安繹氏誤れり」という標題の論説をかかげ、この重野演説を強く批判していた。その要点は「其ソ道」は、神道、仏教の道、儒教の道のいずれか一つに限定されるものではなく、あくまでも皇祖皇宗の遺訓であるというところにあった。そこから、たとえば神武天皇の時代に儒教があったかと問うている。『国民之友』記者の激しい反発、鋭い語気を知るにはその一端を直接引いた方がよいだろう。

 何ぞ必ずしも教育の方針を儒教主義にせよと限り給ふが如きことあらんや。勅語中に其道の文字あるを以て、猥(ミダリ)に井蛙の見を以て、勅語の大なるを模捉せんとす。其無礼も亦た甚だしと云ふべし。吾人は重野博士の演説を以て、痛く憂とするもに非ず。然れども一大虚に吠えて万犬実を伝へ、日本全国の暗黒裡に圧伏せられ、擯斥せられ、蟄居せられたる者が、時を得顔に其頭を擡(モタ)げ、誤解の上に誤解を加へ、勅語の旗を押立てて、勅語以外の妄言を放たんことを恐るる而已(=スギナイ)。

 徳富蘇峰(1863~1957)の主宰する『国民之友』は、勅語が儒教主義によるものではないとし、勅語を勝手に解釈し、その威光の陰に隠れようとする者を告発しようとしていた。『国民之友』は、重野批判の文章をのせた号に、もう一つ、「教育方針の勅語」という題の教育勅語に関する論説をかかげていた。そこには、「此勅語なる者は、此勅語の下らざる前に於ても」、矢張我国教育方針たりしに相違なし。此の勅語なる者は只従来の方針をば、辱(カズカシ)くも天皇陛下に依りて、明かに我邦人の心裡に彫刻銘記せる者にして、別に新たなる教育の方針を開示せられたるに非ざるなり」と書かれていた。ここでは勅語が儒教主義と誤解されることを警戒するだけでなく、日本の教育方針が一貫して儒教主義ではなかったと主張したのである。しかし、当時、国体と儒教とが密接な関係にあると見ていたのは、重野だけではなかった。…

資料2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
教育勅語

  朕惟(オモ)フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇(ハジ)ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥(ソ)ノ美ヲ濟(ナ)セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此(ココ)ニ存ス爾(ナンヂ)臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己(オノ)レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵(シタガ)ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是(カク)ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯(コ)ノ道ハ実ニ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶(トモ)ニ遵守スベキ所之ヲ古今ニ通シテ謬(アヤマ)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶(トモ)ニ拳々服膺シテ咸(ミナ)其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾(コヒネガ)フ
  明治二十三年十月三十日
御名御璽(ギョメイギョジ)

資料3ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
教育勅語(読み)

 ちんおもフニ わカこうそこうそう くにヲはじムルコトこうえんニ とくヲたツルコトしんこうナリ わカしんみんよクちゅうニ よクこうニ おくちょうこころヲいつニシテ よよそノびヲなセルハ こレわカこくたいノせいかニシテ きょういくノえんげんまたじつニここニそんス
 
 なんじしんみん ふぼニこうニ けいていニゆうニ ふうふあいわシ ほうゆうあいしんシ きょうけんおのレヲじシ はくあいしゅうニおよホシ がくヲおさメ ぎょうヲならヒ もっテちのうヲけいはつシ とくきヲじょうじゅシ すすんテこうえきヲひろメ せいむヲひらキ つねニこくけんヲおもんシ こくほうニしたがヒ いったんかんきゅうアレハ ぎゆうこうニほうシ もっテてんじょうむきゅうノこううんヲふよくスヘシ かくノごとキハ ひとリちんカちゅうりょうノしんみんタルノミナラス またもっテなんじそせんノいふうヲけんしょうスルニたラン

 こノみちハ じつニわカこうそこうそうノいくんニシテ しそんしんみんノともニじゅんしゅスヘキところ これヲここんニつうシテあやまラス これヲちゅうがいニほどこシテもとラス ちんなんじしんみんトともニ けんけんふくようシテ みなそのとくヲいつニセンコトヲこいねがフ

明治二十三年十月三十日

ぎょめいぎょじ

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