真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「国体の本義」 文部省1937年(昭和12年) 一部抜粋

2017年07月31日 | 国際・政治

 1935年(昭和10年)2月の帝国議会で、美濃部達吉の天皇機関説が問題として取り上げられたのを受けて、文部省は「国体ノ本義」にそって、任務を達成するよう全国の教育機関に通達を出しています。そして、8月には岡田啓介内閣の松田源治文相が「国体明徴に関する声明」を発表しています。ところが、美濃部達吉の天皇機関説が「国体ノ本義ヲ愆(アヤマ)ル」ものであることを明らかにするだけでは不十分だとする軍部の要求によって、天皇機関説の「芟除」を盛り込んだ「第二次国体明徴声明」が発表され、その具体化のために「教学刷新評議会」が設置されました。そうした中で、「国体ノ本義」の編纂が行われていったのです。

 「昭和教育史 上」久保義三(三一書房)を読むと、この「国体ノ本義」の編纂にあたって、文部省は、多くの学者・研究者に編纂委員を委嘱し、また、学校教育の現場にある人々からも要望意見を聴取するなどして、かなり大掛かりで丁寧な作業をしたことが分かります。それは、編纂手続きそのものにもあらわれており、まず、「『国体の本義』内容(考)草案」を起草、それが検討され「『国体の本義』要項」となり、次に「『国体の本義』要綱」となり、さらに検討が重ねられて「『国体の本義』要綱草案」となって、編纂委員会に提示されていったということです。編纂委員からは、その都度細部にわたって個別に様々な発言・意見があり、また文書も寄せられ、それらを踏まえながら「国体ノ本義」編纂作業が進められていったようです。
 編纂委員の一人であった和辻哲郎は、次のような書翰を送ったことがあったといいます。

拝啓 国体の本義要綱草案に意見・記入御送附申し上ぐべきの処、簡単には記入致し難き問題多々有之、一切差控候 要はこれらの項目を如何に論述するかに有之、その仕方如何によって先日の会議に於て
御説明の目的を全然果し得ざるものとなる恐れ有之と存候、特に国体の概念の根本的規定等に於て現代のインテリゲンチャを納得せしめる様論述し得るか否かは相当重大なる問題と存候、この点特に御配慮願上候
                                  和辻哲郎 
  小川義章殿

 和辻哲郎が「国体の概念の根本的規定等に於て現代のインテリゲンチャを納得せしめる様論述し得るか否か」と問題にしたのは、具体的には、当時すでに津田左右吉が、『記・紀』の神代の物語には、天皇の地位の正当性を説明するため、多くの作為が含まれていることを明らかにしているので、そうした批判に堪えられる論述ができるかどうか、ということだったようです。でも、大掛かりで丁寧に進められた「国体の本義」の編纂も、和辻哲郎が指摘した重大問題は避けて進められ、津田左右吉の『神代史の研究』や『日本上代史研究』、『上代日本の社会及思想』などの研究書は、美濃部達吉の著書同様、その後発禁処分となっているのです。
 私は、「国体ノ本義」編纂の関係者が、津田左右吉の学問的業績に対処できないので、それを無視するかたちで編纂を進めたことが、戦時における皇国日本の狂信性を生んだ側面があるのではないかと思います。
 
 しかしながら、元外交官で作家の佐藤優氏が、そんな「国体ノ本義」のテキストを高く評価し、「国体ノ本義」の考え方で、再び日本の社会と国家を強化しようと主張されていることに驚きました。「日本国家の神髄 ~禁書『国体の本義』を読み解く~」佐藤優(扶桑社新書 175)の新書版まえがきに次のようにあります。

 ”…大東亜戦争後、GHQ(占領軍司令部)によって禁書に指定された『国体の本義』は、天皇機関説批判、国体明徴運動を体現する非合理的で神憑り的なテキストであるという印象だけが独り歩きしている。しかし、このテキストを虚心坦懐に読めば、明治維新以降、急速に流入した西洋の思想をわれわれが消化し、土着化させるというテーマを掘り下げていることがわかる。<私は『国体の本義』の読み解きを通じて、読者を高天原に誘いたいと考えている。その意味で、本書は、アカデミックな研究と本質において性格を異にする。南北朝の動乱において、南朝の忠臣北畠親房卿が『神皇正統記』を著し、「大日本者神国也(オオヤマトハ「カミノクニナリ)」というわが国体を、復古の精神によって再発見した作業を私なりの言葉で反復しているのである。日本人にとって重要な教育は、われわれの根源、すなわち神の道を探求することである。その根源に欠けた形で、量的に知識を詰め込んでも、それが日本人の血となり、肉となることはないのである。>”

 私は、「本書は、アカデミックな研究と本質において性格を異にする」とあらかじめ断ることによって、アカデミックな研究を無視する「神話に基づく歴史」を若い人たちに教え込もうとしておられるように思います。優越感に訴え、選民意識を持たせることによって、日本社会や国家を強化しようとするものではないか、と恐れるのです。
 下記は、「国体の本義」(文部省)から、その一部を抜粋しましたが、「一、肇国」はあくまでも神話であり、これを史実とすることができるとは思えません。
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 緒言 ・・・略
                      第一 大日本国体
一、肇国 
 大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いている。而してそれは、国家の発展と共に彌々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇国の事実の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。
 我が肇国は、皇祖天照大神が神勅を皇孫瓊瓊杵ノ尊に授け給うて、豊葦原の瑞穂の国に降臨せしめ給うたときに存する。而して古事記・日本書紀等は、皇祖肇国の御事を語るに当つて、先づ天地開闢・修理固成のことを伝へてゐる。即ち古事記には、
 天地(アメつチ)の初発(ハジメ)の時高天原(タカマノハラ)に成りませる神の名(ミナ)は、天之御中主(アメノミナカヌシ)ノ神、次に高御産巣日ノ神(タカミムスヒノカミ)、次に神産巣日(カミムスヒ)ノ神、この三柱の神はみな独神(ヒトリカミ)成りまして身(ミミ)を隠したまひき。
とあり、又日本書紀には、
天(アメ)先づ成りて地(つチ)後に定まる。然して後神聖(カミ)其の中に生(ア)れます。故(カ)れ曰く開闢之初洲壌(アメツチノワカルルハジメクニツチ)浮かれ漂へること譬へば猶游ぶ魚の水の上に浮けるがごとし。その時天地の中に一物(ヒトツノモノ)生(ナ)れり。状(カタチ)葦牙(アシケビ)の如し。便ち化為(ナ)りませる神を国常立(クニノトコタチ)ノ尊と号(マヲ)す。
とある。かゝる語事(カタリゴト)、伝承は古来の国家的信念であつて、我が国は、かゝる悠久なるところにその源を発してゐる。
 而して国常立(クニノトコタチ)ノ尊を初とする神代七代の終に、伊弉諾(イザナギ)ノ尊・伊弉冉(イザナミ)ノ尊二柱の神が成りましたのである。古事記によれば、二尊は天つ神諸々の命(ミコト)もちて、漂へる国の修理固成の大業を成就し給うた。即ち
 是に天つ神諸々の命(ミコト)以(モ)ちて伊邪那岐ノ命・伊邪那美ノ命二柱の神に、この漂へる国を修理(ツクリ)固成(カタメナ)せと詔(ノ)りごちて天の沼矛(ヌボコ)を賜ひてことよさしたまひき。
とある。かくて伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊二尊は、先づ大八洲を生み、次いで山川・草木・神々を生み、更にこれらを統治せられる至高の神たる天照大神を生み給うた。即ち古事記には、
 此の時伊邪那岐ノ命大(イタ)く歓喜(ヨロコ)ばして詔(ノ)りたまはく、吾(アレ)は子(ミコ)生み生みて生みの終(ハテ)に三貴子(ミハシラノウヅノミコ)得たりと詔りたまひて、即ち其の御頸珠(ミクビタマ)の玉の緒(ヲ)もゆらに取りゆらかして、天照大神に賜ひて詔りたまはく、汝(ナ)が命は高天原を知らせと、ことよさして賜ひき。
とあり、又日本書紀には
 伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊共に議(ハカリ)て曰(ノタマハ)く、吾(ア)れ巳に大八洲及び山川草木を生めり、何(イカ)にぞ天下(アメノシタ)の主(キミ)たるべき者(カミ)を生まざらめやと。是に共に日神(ヒノカミ)を生みまつります。大日孁貴(オオヒルメノムチ)と号(マヲ)す(一書に云く、天照大神一書に云く、天照大日孁ノ尊)。此の子(ミコ)光華明彩(ヒカリウルハ)しくして六合(アメツチ)の内に照徹(テリトホ)らせり。
とある。
 天照大神は日神又は大日孁貴とも申し上げ、「光華明彩しくして六合の内に照徹らせり」とある如く、その御陵威は広大無辺であつて、万物を化育せられる。即ち天照大神は高天ノ原の神々を始め、二尊の生ませられた国土を愛護し、群品を撫育し、生成発展せしめ給ふのである。
 天照大神は、この大御心・大御業を天壌と共に窮りなく弥栄えに発展せしめられるために、皇孫を降臨せしめられ、神勅を下し給うて君臣の大義を定め、我が国の祭祀と政治と教育との根本を確立し給うたのであつて、こゝに肇国の大業が成つたのである。我が国は、かゝる悠久深遠な肇国の事実に始つて、天壤と共に窮りなく生成発展するのであつて、まことに万邦に類を見ない一大盛事を現前してゐる。
 ・・・(以下略)

 二、聖徳 ・・・略
 
 三、臣節
 我等は既に広大無辺の聖徳を仰ぎ奉つた。この御仁慈の聖徳の光被するところ、臣民の道は自ら明らかなものがある。臣民の道は、皇孫瓊瓊杵ノ尊(ニニギノミコト)の降臨し給へる当時、多くの神々が奉仕せられた精神をそのまゝに、億兆心を一にして天皇に仕え奉るところにある。即ち我等は、生まれながらにして天皇に奉仕し、皇国の道を行ずるものであつて、我等臣民のかゝる本質を有することは、全く自然に出づるのである。

 我等臣民は、西洋諸国に於ける所謂人民とは全くその本性を異にしている。君民の関係は、君主と対立する人民とか、人民先づあつて、その人民の発展のため幸福のために、君主を定めるといふが如き関係ではない。然るに往々にして、この臣民の本質を誤り、或は所謂人民と同視し、或は少くともその間に明確な相違あることを明らかにし得ないもののあるのは、これ、我が国体の本義に関し透徹した見解を欠き、外国の国家学説を曖昧な理解の下に混同して来るがためである。各々独立した個々の人間の集合である人民が、君主と対立し君主を擁立する如き場合に於ては、君主と人民の間には、これを一体ならしめる深い根源は存在しない。然るに我が天皇と臣民との関係は、一つの根源より生まれ、肇国以来一体となつて栄えて来たものである。これ即ち我が国の大道であり、従つて我が臣民の道の根本をなすものであつて、外国とは全くその撰を異にする。固より外国と雖も、君主と人民との間には夫々の歴史があり、これに伴ふ情義がある。併しながら肇国の初より、自然と人とを一にして自らなる一体の道を現じ、これによつて弥々栄えて来た我が国の如きは、決してその例を外国に求めることはできない。こゝに世界無比の我が国体があるのであつて、我が臣民のすべての道はこの国体を本として始めて存し、忠孝の道も亦固よりこれにこれに基づく。

 我が国は天照大神の御子孫であらせられる天皇を中心として成り立つてをり、我等の祖先及び我等は、その生命と活動の源を常に天皇に仰ぎ奉るのである。それ故に天皇に奉仕し、天皇の大御心を奉体することは、我等の歴史的生命を今に生かす所以であり、こゝに国民すべての道徳の根源がある。

 忠は、天皇を中心として奉り、天皇に絶対随順する道である。絶対随順は、我を捨て我を去り、ひたすら天皇に奉仕することである。この忠の道を行ずることが我等国民唯一の生きる道であり、あらゆる力の源泉である。されば、天皇の御ために身命を捧げることは、所謂自己犠牲ではなくして、小我を捨てて大いなる御陵威に生き、国民としての真生命を発揚する所以である。天皇と臣民との関係は、固より権力服従の人為的関係ではなく、また封建道徳に於ける主従の関係の如きものでもない。それは分を通じて本源に立ち、分を全うして本源を顕すのである。天皇と臣民との関係を、単に支配服従・権利義務の如き相対的関係と解する思想は、個人主義的思考に立脚して、すべてのものを対等な人格関係と見る合理主義的考へ方である。個人は、発生の根本たる国家・歴史に連なる存在であつて、本来それと一体をなしてゐる。然るにこの一体より個人のみを抽象し、この抽象せられた個人を基本として、逆に国家を考へ又道徳を立てても、それは所詮本源を失つた抽象論に終るの外はない。

 我が国にあつては、伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊二尊は自然と神々との祖神であり、天皇は二尊より生まれました皇祖の神裔であらせられる。皇祖と天皇とは御親子の関係にあらせられ、天皇と臣民との関係は、義は君臣にして情は父子である。この関係は、合理的義務的関係よりも更に根本的な本質関係であつて、こゝに忠の道の生ずる根拠がある。個人主義的人格関係からいへば、我が国の君臣の関係は、没人格的の関係と見えるであらう。併しそれは個人を至上とし、個人の思考を中心とした考、個人的抽象意識より生ずる誤りに外ならぬ。我が臣民の関係は、決して君主と人民と相対立する如き浅き平面的関係ではなく、この対立を絶した根本より発し、その根本を失はないところの没我帰一の関係である。それは、個人主義的な考へ方を以てしては決して理解することの出来ないものである。我が国に於ては、肇国以来この大道が自ら発展してゐるのであつて、その臣民に於て現れた最も根源的なものが即ち忠の道である。こゝに忠の深遠な意義と尊き価値とが存する。近時、西洋の個人主義的思想の影響を受け、個人を本位とする考へ方が旺盛となつた。したがつてこれとその本質を異にする我が忠の道の本旨は必ずしも徹底してゐない。即ち現時我が国に於て忠を説き、愛国を説くのも、西洋の個人主義・合理主義に累せられ、動もすれば真の意味を逸してゐる。私を立て、我に執し、個人に執著するがために生ずる精神の汚濁、知識の陰翳を祓ひ去つて、よく我等臣民本来の清明な心境に立ち返り、以て忠の大義を体認しなければならぬ。
 ・・・(以下略)

 四、和と「まこと」 ・・・略
第二 国史に於ける国体の顕現
 一、国史を一貫する精神
 国史は、肇国の大精神の一途の展開として今日に及んでゐる不退転の歴史である。歴史には、時代の変化推移と共にこれを一貫する精神が存する。我が歴史には、肇国の精神が厳然として存してゐて、それが弥々明らかにせられて行くのであるから、国史の発展は即ち肇国の精神の展開であり、永遠の生命の創造発展となつてゐる。然るに他の国家にあつては、革命や滅亡によつて国家の命脈は断たれ、建国の精神は中断消滅し、別の国家の歴史が発生する。それ故、建国の精神が、歴史を一貫して不朽不滅に存続するが如きことはない。従つて他の国家に於て歴史を貫くものを求める場合には、抽象的な理性の一般法則の如きものを立てるより外に道がない。これ、西洋に於ける歴史観が国家を超越して論ぜられてゐる所以である。我が国に於ては、肇国の大精神、連綿たる皇統を基とせずしては理解せられない。北畠親房は、我が皇統の万邦無比なることを道破して、

 大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき日神ながく統を伝へ給ふ。我が国のみ此の事あり。異朝には其のたぐひなし。此の故に神国と云ふなり。

と神皇正統記の冒頭に述べている。国史に於ては維新をみることが出来るが、革命は絶対になく、肇国の精神は、国史を貫いて連綿として今日に至り、而して更に明日を起す力となつてゐる。それ故我が国に於ては、国史は国体と始終し、国体の自己表現である。
 ・・・(以下略) 

 二、国土と国民生活 ・・・略
 三、国民性 ・・・略
 四、祭祀と道徳 ・・・略
 五、国民文化 ・・・略
 六、政治・経済・軍事
 ・・・
 我が憲法に祖述せられてある皇祖皇宗の御遺訓中、最も基礎的なものは、天壌無窮の神勅である。この神勅は、万世一系の天皇の大御心であり、八百万ノ神の念願であると共に、一切国民の願である。
従つて知ると知らざるとに拘らず、現実に存在し規律する命法である。それは独り将来に向つての規範たるのみならず、肇国以来の一大事実である。憲法第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあるのは、これを昭示し給うたものであり、第二条は皇位継承の資格並びに順位を昭かにし給ひ、第四条前半は元首・統治権等、明治維新以来採択せられた新しき概念を以て、第一条を更に紹術し給うたものである。天皇は統治権の主体であらせられるのであつて、かの統治権の主体は国家であり、天皇はその機関にすぎないといふ説の如きは、西洋国家学説の無批判的の踏襲といふ以外には何等の根拠はない。天皇は、外国の所謂元首・君主・主権者・統治権者たるに止まらせられる御方ではなく、現御神(アマツミカミ)として肇国以来の大義に随つて、この国をしろしめし給ふのであつて、第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス」とあるのは、これを昭示せられたものである。外国に於て見られるこれと類似の規定は、勿論かゝる深い意義に基づくものではなくして、元首の地位を法規によつて確保せんとするものに過ぎない。
 尚、帝国憲法の他の規定は、すべてかくの如き御本質を有せられる天皇御統治の準則である。就中、その政体法の根本原則は、中世以降の如き御委任の政治ではなく、或は又英国流の「君臨すれども統治せず」でもなく、又は君民共治でもなく、三権分立主義でも法治主義でもなくして、一に天皇の御親政である。これは、肇国以来万世一系の天皇の大御心に於ては一貫せる御統治の洪範でありながら中世以降絶えて久しく政体法上制度化せられなかつたが、明治維新に於て復古せられ、憲法にこれを明示し給うたのである。

 帝国憲法の政体法の一切は、この御親政の原則の拡充紹術に外ならぬ。例へば臣民権利義務の規定の如きも、西洋諸国に於ける自由権の制度が、主権者に対して人民の天賦の権利を擁護せんとするのとは異なり、天皇の恵撫滋養の御精神と、国民に隔てなき翼賛の機会を均しうせしめ給はんとの大御心より出づるのである。政府・裁判所・議会の鼎立の如きも、外国に於ける三権分立の如くに、統治者の権力を掣肘せんがために、その統治権者より司法権と立法権とを奪ひ、行政権のみを容認し、これを掣肘せんとするものとは異なつて、我が国に於ては、分立は統治権者の分立ではなくして、親政輔翼機関の分立に過ぎず、これによつて天皇の御親政の翼賛を弥々確実ならしめんとするものである。
議会の如きも、所謂民主国に於ては、名義上の主権者たる人民の代表機関であり、又君民共治の所謂
君主国に於ては、君主の専横を抑制し、君民共治するための人民の代表機関である。我が帝国議会は、全くこれと異なつて、天皇の御親政を、国民をして特殊の事項につき特殊の方法を以て翼賛せしめ給はんがために設けられたものに外ならぬ。
 我が国の法は、すべてこの典憲を基礎として成立する。個々の法典法規としては、直接御親政によつて定まるものもあれば、天皇の御委任によつてせいていせられるものもある。併しいづれも天皇の御陵威に淵源せざるものはないのである。その内容についても、これを具体化する分野及びその程度には、種々の品位階次の相違はあるが、結局に於ては、御祖訓紹術のみことのりたる典憲の具体化ならぬはない。従つて万法は天皇の御陵威に帰する。それ故に我が国の法は、すべて我が国体の表現である。
 ・・・
 我が国体の顕現は、軍事についても全く同様である。古来我が国に於ては、神の御魂を和魂(ニギミタマ)・荒魂(アラミタマ)に分かつてゐる。この両面の働の相協ふところ、万物は各々そのところに安んずると共に、弥々生成発展する。而して荒魂は、和魂と離れずして一体の働をなすものである。この働によつて天皇の御陵威にまつろはぬものを「ことむけやはす」ところに皇軍の使命があり、所謂神武とも称すべき尊き武の道がある。明治天皇の詔には「祖宗以来尚武ノ国体」と仰せられてある。天皇は明治六年徴兵令を布かせられ、国民皆兵の実を挙げさせ給ひ、同十五年一月四日には、陸海軍人に勅諭を賜つて、
 我国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある。
と仰せ出され、又、
 朕は汝等軍人の大元帥そされは朕は汝等を股肱と頼み汝等は朕を頭首と仰きて…。
 ・・・(以下略)

 結語・・・略 

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