真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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捕虜刺殺訓練と戦陣訓

2017年04月20日 | 国際・政治

 「父の戦記」週刊朝日編(朝日選書212)より抜粋した下記の文章の中で、捕虜の刺殺ができなかった大越二等兵に投げかけた中尉の言葉

よし、正義を愛するならば、不正義を撲滅することが出来るはずだ。つまり敵を殺すことが出来るわけだ。このことがよく解れば捕虜を殺すことはなんでもない。二度と今日のようなことがないように、戦場に出る時のために十分に度胸をつけるのだ。そのための訓練に震えてしまうようではいけない。いいな、解ったら帰ってよろしい
は、日本軍特有の残虐性を示すものとして、私は見逃すことができません。なぜなら、捕虜を裁判なしに殺害することは、「ハーグ陸戦条約」に反する行為ですが、当時の日本軍が「 俘虜は人道をもって取り扱うこと」という原則を中心に、細かく定められた捕虜に関する国際法を無視し、初年兵の訓練のために、捕虜を殺害させていたという事実を、はっきり示していると思うからです。そして、それは第五十九師団師団長・藤田茂中将の次のような言葉を思い出させます。

兵を戦場に慣れしむる為には殺人が早い方法である。即ち度胸試しである。之には俘虜を使用すればよい。4月には初年兵が補充される予定であるからなるべく早く此機会を作って初年兵を戦場に慣れしめ強くしなければならない
此には銃殺より刺殺が効果的である

 また、下記の文章(「閉ざされた少年の眸」)を読んで、私は、刺殺訓練のための捕虜殺害を拒否し、リンチを受けたという”渡部良三”に、下記のような歌があったことを思い出しました。

いかがなる理にことよせて演習に罪明らかならぬ捕虜殺すとや
捕虜五人突き刺す新兵(ヘイ)ら四十八人天皇の垂れしみちなりやこれ

 日本軍兵士は、「皇軍」の兵士であるがゆえに、「皇軍」の「訓」(オシエ)である「戦陣訓」に反して「捕虜」になることは受け入れられず、兵士が「捕虜」になることは「死」を意味しました。だから、敵国の捕虜の人命も尊重されることがなかったのではないでしょうか。

 ”深く皇国の使命を体し、堅く皇軍の道義を持し、皇国の威徳を四海に宣揚せん”ことを義務づけられた皇軍兵士は、”生きて虜囚の辱めを受け”てはならず、”死して罪禍の汚名を残すこと”が許されなかったわけですが、なぜ、捕虜になることが「辱めを受け」ることなのか、なぜ捕虜になることが、「汚名を残すこと」なのか、そこに人命軽視の落とし穴があるのではないか、と考えさせられるのです。

恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈愈(イヨイヨ)奮励して其の期待に答ふべし。
 生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ
というような「皇軍の訓(オシエ)」がなく、完全に弾薬が尽きたり、食糧が尽きたり、あるいはまた、銃が持てなくなったり、失明したりして、戦いを継続することが不可能になったら降伏する、ということが認めらていれば、戦地における「餓死」「玉砕」などという酷い死はなく、捕虜の刺殺訓練などというものもなかったのではないでしょうか。
 したがって、「戦陣訓」というような「皇軍の訓(オシエ)」から、日本軍の人命軽視や残虐性がうまれたのではないかと思うのです。
 
 下記は、「父の戦記」週刊朝日編(朝日選書212)より抜粋しました。
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                   閉ざされた少年の眸
                                               大越千速
 教官室、石油ランプの灯は暗い。粗末なテーブルを前に、木椅子に腰かけている中尉と、その中尉に向かって直立不動の姿勢で立っている二等兵。室内は重くよどんでいる。
 若い中尉の色の白い細面の顔には、鋭さは見られず怒りの表情もなかった。二等兵は困惑のあまり茫然としていた。二人は向かいあったまま長い沈黙の時間が続いていた。
「お前は他人から殴られても、殴りかえさないか」
 沈黙を破って中尉が静かに言った。
「はい……その時になってみなければ……」
 二等兵は細い声で答えた。
「そうか、その時になってみなければわからないというのか。それではお前が殺されようとした場合はどうか。自分を守るため相手を殺そうとはしないのか」
「……」
「どうなのだ、世の中は常に戦争が絶えないのだ。歴史がそれを証明している。簡単に言うと正義と不正義の戦いだ。不正なやつがお前の生命を奪おうとした場合、お前はそいつに黙って生命を与えてやるのか」
「……」
「どうして答えられないのだ。与えるか与えないか、二つに一つ、簡単ではないか。与えるときは自分が死ぬ。与えないときは相手を殺して自分が生きる。ただそれだけのことだ」
「……」
「どうして返事が出来ないのだ、どっちも嫌だなどという馬鹿なことはないだろう」
「……」
「よし、最後に聞こう。正義と不正義とお前はどちらを愛するか」
「はい、正義を愛します」
二等兵は蚊の鳴くような声で答えた。
「よし、正義を愛するならば、不正義を撲滅することが出来るはずだ。つまり敵を殺すことが出来るわけだ。このことがよく解れば捕虜を殺すことはなんでもない。二度と今日のようなことがないように、戦場に出る時のために十分に度胸をつけるのだ。そのための訓練に震えてしまうようではいけない。いいな、解ったら帰ってよろしい」
「はい」
 二等兵は教官に敬礼して室外にさった。

 愛しき者よ、父はわが子御前たちを、そう呼ぼう。父が体験した戦争、太平洋戦争について、かつて父は多くを語らず、お前たちも多くを聞こうとしなかった。
 父は言うべくして戦争を語る自信がなく、おこがましさを許してくれるなら、正義の所在を模索し続けているのだと言おう。
 色即是空。仏教の言葉を借りるならば、実在的独断を極力打破して、世の中の実相を把握しようと……だが暗中模索の中、いたずらに時日は流れ去るのみ。結論のない戦争体験の父の言葉は、愛しき者お前たちよ、お前たちの正しい判断に委ねよう。
 教官室の二等兵は、従軍中の父である。私が従軍した駐屯地の城壁には、巨大な文字が横に書かれていた。その文字は、同文同種、防共和平、の八文字である。円形の白地の中に一字一字黒く書かれたそれらの文字、その文字の見える城外で、或る晴れた早春のその日、捕虜刺殺の実地訓練に、初年兵の私は、青くなって震えあがり刺殺することが出来なかった。教官室での説教は、そのためであった。

 共産軍少年兵捕虜の朱良春に、私が初めて接したのは、私が震えてしまった刺殺訓練の日の数日後である。
 私は、その日初めて城門分哨の勤務についたのである。そして、その哨舎の中に朱良春を見たのだ。古年兵の話によれば朱良春は、数日前に初年兵の実地訓練に供された数名の者と同様、共産部落の攻略戦における捕虜だという。そして朱良春は、少年兵のために処刑されないで、やがて釈放されるのだと。
 古年兵からその話を聞き、後ろ手に縛られている朱良春と視線をあわせた時、私は心の中で思わず微笑するのを覚えた。
 昼食、夕食、食事当番が哨舎に運んでくるそれらの食事は、朱良春にも全く同じ物が与えられた。
 駐屯地に、黄昏が迫る頃、黄色い大きな月が東の空に出て、砂丘に波状の陰をつくった。
 城壁の上を動哨する兵士の耳に、何処からともなく幽かな鈴の音が響く。此処は内蒙古オルドスの草原、あの砂丘の何処かをキャラバンが通っているに違いない。城壁の兵士は幻想の中に鈴の音を聞くのである。
 哨舎の中の少年兵捕虜は、後ろ手に縛られたまま舎屋の壁に背をもたせて眠った。
 私は控兵として、銃を手にし木椅子に腰かけて、戦争にはやはり勝たなければと、そんなことを、ふと考えたりした。
 二十四時間の分哨勤務を終わって、翌朝、私たちは新しい分哨要員と交替した。哨舎を去る時、私は昨夜支給された甘味品、飴玉の残り数個を、軍衣のポケットから出して少年に与えた。後ろ手に縛られ壁を背に、土間に両足を投げ出している彼の前に、それを差し出したのである。勤務についた古年兵の一人が、
「よし、俺にまかせろ」
と、飴玉を受取り、一個の包紙をとって朱少年の口許に出した。朱少年は、素直に口を開けた。
 勤務あけの古年兵とともに、中隊に帰りながら私は、朱良春が何歳なのか、何故彼は軍服を着ないで普通一般人の衣服を着ているのかを聞いた。そして、彼が十五歳であること、共産地区の部落民は、平素は部落にあって農耕に従事し、戦闘の際には、その服装のまま男も女も、老人も子供も、武器を手にする事の出来る総ての者が戦うことを知らされた。
 古年兵が言った。
「朱良春も正規軍ではない兵隊ってわけさ」

  万朶の桜か襟の色
花は吉野に嵐吹く
大和男子と生れなば 
散兵線の花と散れ

 午前の演習のため完全武装した初年兵は、軍歌を歌いながら城外へ向って行進していった。私が城門の分哨勤務についた日から二日後のことである。城門を過ぎる時、私は朱少年のことを、ちらと思いうかべたが、私自身も声をはりあげて歌う軍歌のために、その思いは瞬時にかき消された。
 城門を出ると急に視界が拡がって、遙か北方に連なる陰山山脈は、樹木のない岩石の肌を早春の淡い霞の中に見せていた。
 その一連の山系の外は、東、南、西と視界の総ては、海洋の波濤のうねりように起伏する砂丘の彼方に模糊としてかすむ地平線がオルドス草原の広大さを思わせた。やがて隊列は停止した。私はその時、停止した隊列の前方に、数名の古年兵とともに立っている朱良春の姿を見た。そして名状するすることの出来ない予感に襲われた。
 古年兵はシャベルで大地を掘り木柱を立てた。朱良春は、白布で目隠しをさせられて木柱にくくりつけられた。私は陰山山系に視線を移した。
 駐屯軍がA山と名づけた高峯に、白い雲が流れていた。更に今私たちが通って来た方をふりかえると城壁が夢のように浮かんでいた。
 同文同種、防共和平
「気をつけ!着剣!」
 鋭い号令に私は、我にかえって歩兵銃に腰の剣を装着した。
「○○二等兵、前へ出ろ」
教官が私を呼んだ。
「はい」
鸚鵡がえしに私は答え、隊列から数歩前へ出た。
「今から突撃の訓練を実施する。○○二等兵よいか、お前が今日は一番乗りだ。目標はあの敵だ。号令は教官がかける」
 教官は木柱の方を手で示すと腰の軍刀の鞘を払った。
私は木柱の朱良春を見つめた。
「突撃!進め!」
教官の号令に私は、銃剣を右手にさげ大地を蹴って走った。二十メートル、十五メートル、十メートル ――
「突っ込め!」
 私の横を走る教官の号令。
「ウオー」
 私は絶叫し銃剣を両手に構えた。朱良春の姿が目前に大きく迫る。そして私が絶叫したその時、朱良春の唇を洩れる悲痛な声を、私は聞いた。
「ムーチン(母親)」
 母を呼ぶ声である。私は目標の数歩前で停止した。全身にはりつめていた気力が虚脱したのである。「こいつ!」
 教官の黒い長靴が私の脚を蹴った。私は地上に倒れ鉄帽をかぶった頭や、背や腰に、教官の足蹴りの洗礼を受けた。
「立て!」教官にひきたてられて、再び朱良春を見ると、どうしたことか彼の目隠しの白布が少しずれ下がって、双眸が現れ私を見つめていた。
 静かな眸の色であった。そうだ、それが私が城門分哨の勤務についた日に、初めて彼と視線をあわせた時の眸の色であった。朱良春は眸を閉じた。
「構え!銃」
 教官の号令に私は銃を両手で構えた。
「突け!」
 私は突いた。殆ど手ごたえもなく銃は朱良春の胸を貫いた。
 朱良春は声もなく頭を前にがくんと垂れた。

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