映画で楽しむ世界史

映画、演劇、オペラを題材に世界史を学ぶ、語ることが楽しくなりました

「日本海大海戦」他、「ニコライとアレクサンドラ」

2010-12-26 18:28:28 | 舞台は日本

1、ロシアの南下・東方進出、日本海到達

西洋史のほうに焦点を当ててみていると、帝政ロシアの対外進出政策(いわゆる南下政策)は失敗したと書かれることが多い。しかしピョートル1世、エカチェリーナ2世以降とにかくロシアの領土拡大は自領土のあらゆる外延におよび・・・北西バルト諸国、真西のポーランド、南西黒海越え、南中央アジアトルコ民族諸国、ウイグル、モンゴル、オホーツク海、日本海沿岸・・・後世結果的に見れば、ローマ帝国に次いでロシアが最も領土を略奪した帝国と言ってもおかしくはない。

 こうして無理やりロシア領とされたところは、ソ連崩壊によってその大部分が分離独立し、特に東欧、バルト海諸国や中央アジア多くはロシアを離れた。しかし極東の領土はもともと人口の少ないところでもあり、たいした苦労もなくロシアのものとして残り今日に至っている。アジアでのロシアの領土拡大史を整理しておくと・・・。

 ①1860-70年代、中央アジアへの積極進出しウズベク族の3つのハン国・・・コーカンドハン国、ブハラハン国、ヒヴァハン国を支配下におく。

②イランからはカフカスを、トルコからはアルメニアの領土を奪い、勇躍アフガニスタンに出兵しイギリスとぶつかる。

③新疆(東トルキスタン)への出兵とその撤退=1871年イリ事件、1881年イリ条約 。

そして中国や日本との国境線画定交渉は、

①ピョートル1世時代1689年のネルチンスク条約により東端国境を、スタノヴォイ山脈ーアルグン川ラインとし、

 ②ピョートル2世時代の1727年、キャフタ条約で、南のモンゴル方面の国境線を定める。

③一方ピョートル1世は、北東のベーリングに探検航海を行わしめ、カムチャッカ半島、ベーリング海峡、アラスカが発見される。(アラスカは1867年アメリカに売却する)

 ③エカチェリーナ2世時代には、ロシア使節が根室や長崎に現れる。

 ④その後のニコライ2世はシベリア総督を置いて極東政策を積極化し、1858年ネルチンスク条約を改定したアイグン条約で国境線をアムール川にまで広げ、

 ⑤さらに露清北京条約でウスリー江以東の沿海州を獲得する。

かくして、ウラジオストックに海軍基地を、フランスからの借款でシベリア鉄道を建設し、1875年には日本との交渉で千島との交換で樺太を手に入れるとなると・・・新興日本も対抗策を考えざるを得ない。

2、日露戦争、その世界史的意義

日露戦争の直接的原因は、

①日清戦争により日本が中国に獲得した領土、遼東半島を巡り、ロシア独仏が手を組んだ「三国干渉」と、

②ロシアが義和団事件後も中国北東部に軍を駐留させ続けたことに、日本が堪忍袋の緒を切らしたことによる。  

1902年、イギリスと日英同盟締結  

1904年2月、日露戦争勃発  

1905年1月、旅順陥落、3月奉天会戦、5月日本海海戦、バルチック艦隊撃滅

こうした日露戦争を世界史全体の中で見れば・・・簡略化して言えば、極東の小国日本が世界史に登場し、ヨーロッパの大国ロシアを破ったことにより、アジア人の間にナショナリズムを沸き立たせ、ロシアの極東での南下政策を挫折させたこと・・・ロシアの関心は再びバルカン半島に向かい・・・以下省略

日本でこの戦争を描いた映画はいくつかあるが、1969年の「日本海大海戦」、1980年の「二百三高地」などを見ればよい。

3、血の日曜日、戦艦ポチョムキン

ロシアでは、1971年にマルクスの「資本論」のロシア語訳が出る頃から社会主義運動が急進化、組織化し、革命を目指す政党が過激化してゆく、また当然その過程でニヒリズムや無政府主義も横行し、社会不安が増している。そこへ日露戦争が始まり、戦況の不利と生活難は国民の不満を募らせ、

①1905年1月、旅順陥落の報で戦争反対の声が高まり、ペテルスブルグでストライキが起こり、僧侶ガボンに率いられたデモ隊に対し、近衛兵が発砲する「血の日曜日事件」

②さらに6月には戦艦ポチョムキン号の反乱・・・斬新なクローズアップ映像で映画史上有名な「戦艦ポチョムキン」

③10月には全ロシアでの鉄道ストが行政府は国会開設を約束、言論、出版、結社の自由を認め、事態の収拾に努めたわれる・・・これが三次にわたる亘るロシア革命の第一回戦とされる。

3、ロマノフ王朝末期、ラスプーチン

 ロシア革命やロシア最後の皇帝ニコライ2世を描いた映画はいくつかあるが、20世紀初頭激動のロシアを通史的に理解するためには「ニコライとアレクサンドラ」がお勧め。レーニン、ケレンスキー、スターリンといったロシア革命の主役が相応のメイキャップをして出てくるから印象に残り易い。ただし最後の皇帝一家の姿を描くに映画らしく情緒的過ぎるが・・・。

 雑知識として以下三点

①皇后アレクサンドラはイギリスのヴィクトリア女王のお孫さん。この一族には血友病の遺伝子があり、時々顔を出す。ニコライとアレクサンドラに待望の男子が生まれるが、彼は早くから血友病の症状が出て一家を悩ませる。

②そこに現れるのが怪僧ラスプーチン。奇妙な秘術で皇太子の病が直せると皇后に取り入って・・・一時は政治にも立ち入ってくる。

③皇帝一族は(皇帝、皇后と5人の子供達)は、革命成立後の1918年に処刑されるが、後世王女の一人「アナスターシャ」だけは生き残り、自分がアナスターシャとして名乗り出る事件が起きる・・・真偽不明・・・しかしそれがイングリッド・バーグマン主演の映画「追想」になる。

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