異次元規模と自称する金融緩和
の第一弾が
国の政策として実施されはしたものの
その効果は四年目の半ばに達した
今
でさえ
所期の効果を生み出せずにいる
この低迷状態の継続維持が
デフレ化への逆走を止められない
相変わらず無様な状態を
未だに続けさせている
この経過それ自体の存在が
インフレ目標達成の否定
を意味する絶対的証明
になっている
脱デフレを成就せしめた
とすることができるためには
金融引き締めと呼ばれる
政策金利の引き上げが
間髪を入れず
即日実施へと移されていなければならなかった
政策金利は通例
0.25%
または
0.5%の幅で
直ちに引き上げられていない限り
インフレ基調への転換と見做すことは
できない
現状を眺めると
質的緩和が一向に機能せず
量的緩和へと横滑りした
というだけでなく
マイナス金利さえ導入せざるを得なかった
という状況に鑑みることなく
インフレ目標の達成が
今尚
停滞しているために
緩和余地が十分ある
と日銀の利益代表がと強調し続けている
その姿こそ
愚の骨頂の最たる姿
インフレの証明ではなく
デフレの証明にしかなっていない
甲斐のない
余りにも無様で粗末な経過が
インフレ目標の達成を
相変わらず
遠ざけたままにすることを許している
金融機関は己の収益を
マイナス金利で圧縮され
融資を拡大することが
最早できなくなってしまった
倒産件数を先月から増加させた
とするその事実は対策の有効性
を明確に否定する
潤沢な資本を市中へと供給し
以て
経済活動を活性化する
という名目で導入されてきた
日銀の緩和政策は
流動性のダイナミズムを
金融機関自らが
堰き止める事態へと遷移し
資本効果を減殺して
企業による経済成長に強い制動をかけ
デフレ経済の状態を
より一層強固なものにして
再現させた
景気の浮揚効果など一向に現れず
GDP成長率は
低回する一方
の状態で推移し続けている
通貨供給量を
毎年80兆円ずつ高めていながら
日銀と政権が共に目指すインフレ経済
への転換は
四年目の今年になっても
五里霧中
先の見通しが立たない
問題認識能力のない指導体制が
流動性の厚みを増やして得たその結果が
現状となって日本経済へと残された
アベノミクスは計画段階で
頓挫することが
夙に分かっていた
確たる根拠の不明な
経済再生プラン
に過ぎなかった
この国の知識階級は
経済に関する
基礎的な認識を
未だにもてない
教科書がなければ
状況を認識することすら
できない
90年四月のバブル崩壊にすら
三年間経っても気づかなかった
という過去の事実は
最も雄弁な無能の証明
問題認識能力が欠けていただけでなく
論理的な分析も
行っていなかった
というそのことが当時
失われた十年に先行した
不作為の三年
と呼ばれる時代を
現代史に刻み付けさせる結果を生んだ
この粗末な経過に学ぶことが
指導者たちに何一つできていなかった
ということが
失われた十年を
倍の二十年へと
拡張させたその理由
一連の効果のない歳々のその経過が積み重なって
デフレ経済への突入を
その間に急がせた
対案として登場した
政権を甦らせるためのアベノミクスに
失速した経済の再生を
根拠なき金融財政政策に縋らせて
判断停止の四年
と呼ぶべき時代へと突入させた
経済半可通がこぞって犯したその罪
について責任を取ろうとする誠意など
未だに窺えない
ほどのノー天気が
この国を
AS No1と呼ばせせて喜ぶ姿は
見事にあはれ
問題を自覚していないからである
救いがたい日本のこの現状に
国民はこれからも苦しみ続けることとなる
日銀はその他の選択肢
というものを
当初から用意していなかった
緩和政策を続けることしか
要するにできなくなっていたのである
状況を劣化させてきた主犯は
政府及び日銀だったのだが
その取り巻きの身勝手な期待
というものが
マイナス金利の導入を
急がせた
見栄っ張りな自民党総裁
と
日銀総裁の到達点
が不毛なものであることは
背景を承知している者の目には
はっきりと見えていた
エコノミストに経済学の知識があっても
経済力学に関する理解能力は
ゼロ
経済学は過去の事実とその経過
を跡付けて論理展開する
ことを目的として発達してきた学問分野
経済力学はというと
生きている姿のままの実体経済
を扱う資本の論理が生み出す
その基礎構造とそれが生む論理展開
の上に成り立っている断面の走査
を現象学的に行うことで
余知と予測に基づいた実現可能性
を検討する研究分野
この違いを弁別していない経済半可通が
過去にあった日本の成功体験から
実績優位の価値観の上に
最も無難な措置
を単純化して選びとった
というのがアベノミクスの正体
実績のない経済政策に飛びつくほどの豪胆さ
がこの国から失われて
既に久しい
その結果毒にも薬にもならない
凡庸な経過だけが
ぽつねんと一人
市場経済にとり残された
経済認識能力の欠如を証明するものとして
財務官僚の目論見通り
なりふり構わず
消費税率を強引に引き上げた
ということがアベノミクスの離陸を
妨害する最大の要因となったのだったが
更に高い税率の適用を
法律で強制的に実施しようとしたその政権が
経済低迷を自らの手で長引かせて
デフレの証明でしかない金融緩和を
補強するためのマイナス金利さえ
導入させたとする過去の経過が
指導体制がもつ
経済認識能力の欠如
というものの存在を
結果としてよく物語っている
公共工事で経済が活性化できていたのは
交通インフラが未整備で
寸断されていた
高度経済成長期前までの
戦後復興の時代
に限られる
社会資本の充実が進んだいま
公共工事でインフレ経済を
独善的に導く
などということは
既に不可能なことでしかない
穴を折り返すだけの工事を繰り返しても
単なる無駄
損失を単に積み上げるのみ
有効需要を生み出すことができていなければ
どのような経済政策であったとしても
損失の規模を高めるだけとなる
この国の財政は
失われた二十年を閲していたその間に
急速に劣化してしまい
債務残高は五倍以上の規模へと
たちまち悪化してしまったのだった
この国の負債総額は
千兆円をはるかに超える債務へと達し
まだ生まれていない
後代の国民へと
しっかりと残されることとなったのである
高等教育は底辺の能力のソコアゲに
間違いなく寄与したのだったが
反対に思考力を失わせて
指示待ち世代と呼ばれる一群を
はしなくも世に生み出す事態を生んだ
自らの判断に自信がないと
決断することが容易にできなくなる
知識の量的拡大に特化した教育が
思考訓練を省いて
知識量重視の純粋培養種
を大量に産み落とす時代を引き寄せた
思考力が不在だったのだから
止まらない温暖化が
自然災害を増悪させてしまったのであり
インフレ目標を遠ざける一方の
アベノミクスが
知識階級の大多数を
不正な経済政策に執着させて
緩和政策を
誰にも止められない状態へと
一途に追い詰めた
問題の本質は
教育の劣化
それ自体の裡にある
知識の使い方を
正しく教授しなければ
誰もその活用法に気づけない
多数派となった指示待ち世代が
民主主義の分母を形成するようになったとき
質の劣化という
国会の迷妄を自覚できない選良を量産することなり
そこに寄生する
省益の拡大にしか関心のない官僚
の再生産を同時並行的に急がせた
諸悪の根源は
教育制度の質的劣化
にあったのだ
均等な教育水準の達成を目指すより
個に備わる差異能の賦活
をこそ支援すべきだったのである
教育レベルの向上は
国民を互いに競わせることで
資本の一部を教育産業へと集約させたが
受け容れ側の企業に
社員として育成するための
余裕は既になかった
人材の活用に失敗した企業が
社会問題化した犯罪の被告となる
複数の事例が
このところ相次いで報道されている
その事実
に国民は謙虚に学ぶ
必要がある筈だ
一人で何でも分かるようにする
自立自尊を目指してきた高等教育が
互いに助け合う必要性を
結果として排除した
何故なら
知識の量を競う進学システムは
周囲の全員が敵となる
制度とならざるを得ないからである
己にない特技を持つものは
今では苛めをするための理由を与えられ
煩悶する時代を経て抵抗力を
自ら手に入れてきた
環境と経済の両面に
同時に作用する時代を
今日へと連れてきた高等化
を目指すための偏差値教育が導いた
その結果が民主制の劣化を経て
国民の暮らしへと反映される時代となった
貧困の公平化というこの現状が
その結果
の第一弾が
国の政策として実施されはしたものの
その効果は四年目の半ばに達した
今
でさえ
所期の効果を生み出せずにいる
この低迷状態の継続維持が
デフレ化への逆走を止められない
相変わらず無様な状態を
未だに続けさせている
この経過それ自体の存在が
インフレ目標達成の否定
を意味する絶対的証明
になっている
脱デフレを成就せしめた
とすることができるためには
金融引き締めと呼ばれる
政策金利の引き上げが
間髪を入れず
即日実施へと移されていなければならなかった
政策金利は通例
0.25%
または
0.5%の幅で
直ちに引き上げられていない限り
インフレ基調への転換と見做すことは
できない
現状を眺めると
質的緩和が一向に機能せず
量的緩和へと横滑りした
というだけでなく
マイナス金利さえ導入せざるを得なかった
という状況に鑑みることなく
インフレ目標の達成が
今尚
停滞しているために
緩和余地が十分ある
と日銀の利益代表がと強調し続けている
その姿こそ
愚の骨頂の最たる姿
インフレの証明ではなく
デフレの証明にしかなっていない
甲斐のない
余りにも無様で粗末な経過が
インフレ目標の達成を
相変わらず
遠ざけたままにすることを許している
金融機関は己の収益を
マイナス金利で圧縮され
融資を拡大することが
最早できなくなってしまった
倒産件数を先月から増加させた
とするその事実は対策の有効性
を明確に否定する
潤沢な資本を市中へと供給し
以て
経済活動を活性化する
という名目で導入されてきた
日銀の緩和政策は
流動性のダイナミズムを
金融機関自らが
堰き止める事態へと遷移し
資本効果を減殺して
企業による経済成長に強い制動をかけ
デフレ経済の状態を
より一層強固なものにして
再現させた
景気の浮揚効果など一向に現れず
GDP成長率は
低回する一方
の状態で推移し続けている
通貨供給量を
毎年80兆円ずつ高めていながら
日銀と政権が共に目指すインフレ経済
への転換は
四年目の今年になっても
五里霧中
先の見通しが立たない
問題認識能力のない指導体制が
流動性の厚みを増やして得たその結果が
現状となって日本経済へと残された
アベノミクスは計画段階で
頓挫することが
夙に分かっていた
確たる根拠の不明な
経済再生プラン
に過ぎなかった
この国の知識階級は
経済に関する
基礎的な認識を
未だにもてない
教科書がなければ
状況を認識することすら
できない
90年四月のバブル崩壊にすら
三年間経っても気づかなかった
という過去の事実は
最も雄弁な無能の証明
問題認識能力が欠けていただけでなく
論理的な分析も
行っていなかった
というそのことが当時
失われた十年に先行した
不作為の三年
と呼ばれる時代を
現代史に刻み付けさせる結果を生んだ
この粗末な経過に学ぶことが
指導者たちに何一つできていなかった
ということが
失われた十年を
倍の二十年へと
拡張させたその理由
一連の効果のない歳々のその経過が積み重なって
デフレ経済への突入を
その間に急がせた
対案として登場した
政権を甦らせるためのアベノミクスに
失速した経済の再生を
根拠なき金融財政政策に縋らせて
判断停止の四年
と呼ぶべき時代へと突入させた
経済半可通がこぞって犯したその罪
について責任を取ろうとする誠意など
未だに窺えない
ほどのノー天気が
この国を
AS No1と呼ばせせて喜ぶ姿は
見事にあはれ
問題を自覚していないからである
救いがたい日本のこの現状に
国民はこれからも苦しみ続けることとなる
日銀はその他の選択肢
というものを
当初から用意していなかった
緩和政策を続けることしか
要するにできなくなっていたのである
状況を劣化させてきた主犯は
政府及び日銀だったのだが
その取り巻きの身勝手な期待
というものが
マイナス金利の導入を
急がせた
見栄っ張りな自民党総裁
と
日銀総裁の到達点
が不毛なものであることは
背景を承知している者の目には
はっきりと見えていた
エコノミストに経済学の知識があっても
経済力学に関する理解能力は
ゼロ
経済学は過去の事実とその経過
を跡付けて論理展開する
ことを目的として発達してきた学問分野
経済力学はというと
生きている姿のままの実体経済
を扱う資本の論理が生み出す
その基礎構造とそれが生む論理展開
の上に成り立っている断面の走査
を現象学的に行うことで
余知と予測に基づいた実現可能性
を検討する研究分野
この違いを弁別していない経済半可通が
過去にあった日本の成功体験から
実績優位の価値観の上に
最も無難な措置
を単純化して選びとった
というのがアベノミクスの正体
実績のない経済政策に飛びつくほどの豪胆さ
がこの国から失われて
既に久しい
その結果毒にも薬にもならない
凡庸な経過だけが
ぽつねんと一人
市場経済にとり残された
経済認識能力の欠如を証明するものとして
財務官僚の目論見通り
なりふり構わず
消費税率を強引に引き上げた
ということがアベノミクスの離陸を
妨害する最大の要因となったのだったが
更に高い税率の適用を
法律で強制的に実施しようとしたその政権が
経済低迷を自らの手で長引かせて
デフレの証明でしかない金融緩和を
補強するためのマイナス金利さえ
導入させたとする過去の経過が
指導体制がもつ
経済認識能力の欠如
というものの存在を
結果としてよく物語っている
公共工事で経済が活性化できていたのは
交通インフラが未整備で
寸断されていた
高度経済成長期前までの
戦後復興の時代
に限られる
社会資本の充実が進んだいま
公共工事でインフレ経済を
独善的に導く
などということは
既に不可能なことでしかない
穴を折り返すだけの工事を繰り返しても
単なる無駄
損失を単に積み上げるのみ
有効需要を生み出すことができていなければ
どのような経済政策であったとしても
損失の規模を高めるだけとなる
この国の財政は
失われた二十年を閲していたその間に
急速に劣化してしまい
債務残高は五倍以上の規模へと
たちまち悪化してしまったのだった
この国の負債総額は
千兆円をはるかに超える債務へと達し
まだ生まれていない
後代の国民へと
しっかりと残されることとなったのである
高等教育は底辺の能力のソコアゲに
間違いなく寄与したのだったが
反対に思考力を失わせて
指示待ち世代と呼ばれる一群を
はしなくも世に生み出す事態を生んだ
自らの判断に自信がないと
決断することが容易にできなくなる
知識の量的拡大に特化した教育が
思考訓練を省いて
知識量重視の純粋培養種
を大量に産み落とす時代を引き寄せた
思考力が不在だったのだから
止まらない温暖化が
自然災害を増悪させてしまったのであり
インフレ目標を遠ざける一方の
アベノミクスが
知識階級の大多数を
不正な経済政策に執着させて
緩和政策を
誰にも止められない状態へと
一途に追い詰めた
問題の本質は
教育の劣化
それ自体の裡にある
知識の使い方を
正しく教授しなければ
誰もその活用法に気づけない
多数派となった指示待ち世代が
民主主義の分母を形成するようになったとき
質の劣化という
国会の迷妄を自覚できない選良を量産することなり
そこに寄生する
省益の拡大にしか関心のない官僚
の再生産を同時並行的に急がせた
諸悪の根源は
教育制度の質的劣化
にあったのだ
均等な教育水準の達成を目指すより
個に備わる差異能の賦活
をこそ支援すべきだったのである
教育レベルの向上は
国民を互いに競わせることで
資本の一部を教育産業へと集約させたが
受け容れ側の企業に
社員として育成するための
余裕は既になかった
人材の活用に失敗した企業が
社会問題化した犯罪の被告となる
複数の事例が
このところ相次いで報道されている
その事実
に国民は謙虚に学ぶ
必要がある筈だ
一人で何でも分かるようにする
自立自尊を目指してきた高等教育が
互いに助け合う必要性を
結果として排除した
何故なら
知識の量を競う進学システムは
周囲の全員が敵となる
制度とならざるを得ないからである
己にない特技を持つものは
今では苛めをするための理由を与えられ
煩悶する時代を経て抵抗力を
自ら手に入れてきた
環境と経済の両面に
同時に作用する時代を
今日へと連れてきた高等化
を目指すための偏差値教育が導いた
その結果が民主制の劣化を経て
国民の暮らしへと反映される時代となった
貧困の公平化というこの現状が
その結果