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心に響く音楽『アントニオ・ヤニグロ』

2017-02-12 08:32:12 | クラシック音楽
心に響く音楽『アントニオ・ヤニグロ』



Disc19
1) ボッケリーニ:チェロ協奏曲 変ロ長調G.482
2) ヴィヴァルディ:チェロ協奏曲 ニ長調 R.230
3) J.S.バッハ(原曲:エルンスト公):協奏曲ト 長調BWV.592

アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
ザグレブ・ソロイスツ(ザグレブ室内合奏団)

ボッケリーニもヴィヴァルディも初めて聴く曲かどうかさえわかりませんが
アントニオ・ヤニグロの音色の何と自然で素直で伸びやかな事
アントニオ・ヤニグロという名さえ初めて聴くが小さいときカザルスに習い?

Wikipediaによると

『アントニオ・ヤニグロの父はピアニストを目指していたが、戦争で腕を撃たれキャリアを断念していた。アントニオ・ヤニグロは6歳でピアノ、8歳でジョバンニ・ベルティ(Giovanni Berti)からチェロを習う。ヤニグロはすぐさまこの楽器の虜になり、数年後にはミラノ音楽院に入学が認められ、ジルベルト・クレパック(Gilberto Crepax)に師事した。 ヤニグロが11歳の時、母ニコラの努力で、巨匠パブロ・カザルスのレッスンを受ける。カザルスはパリのエコールノルマル音楽院でカザルスのクラスのアシスタントをしていたアレクサニアン(e:Diran Alexanian)に、「ヤニグロ少年は細やかな情感を持った、輝かしい器楽奏者・・・」との推薦状を書いた。

パリ留学時代 編集

ヤニグロは16歳までミラノに留まり、1934年からパリのエコールノルマルに留学して、カザルスとアレクサニアンに師事する。パリではポール・デュカス、イーゴリ・ストラヴィンスキー、ジャック・ティボー、アルフレッド・コルトーといったといった才能と交わる。またディヌ・リパッティは親友であった。

1937年エコール・ノルマルを卒業。ディヌ・リパッティやパウル・バドゥラ=スコダと共に、ソロ活動を始める。当時、しばしばミラノ〜パリ間の夜行列車を利用していたが、空の客室を見つけては練習していた。あるとき客室のドアが開くと、一人の紳士が入ってきて、それがきっかけでフランスでのリサイタルになったこともあった。

ザグレブ時代 編集

ザグレブ(クロアチア)はヤニグロにとって第二の故郷とも言える。第二次世界大戦中、ヤニグロはユーゴスラヴィアのザグレブ音楽アカデミーのチェロと室内楽の教授としてザグレブに留まった。ヤニグロはユーゴスラヴィアのチェロ界の近代化につとめるとともに、ザグレブ放送交響楽団を指揮、また1953年にザグレブ室内合奏団(I Solisti di Zagreb)を設立、自ら指揮をした。ザグレブ室内合奏団は世界的な室内合奏団としての地位を確立して、数々の演奏会と録音を残している。

ヤニグロは晩年を思い出の地ザグレブで過ごした。当地ではヤニグロの没後、その功績を讃え「アントニオ・ヤニグロ・国際チェロコンクール」が開催されている。』

とにかく聴いていて心がスーッと持っていかれるような演奏をする人のようだ。
今度もっと知ってる曲を聴いてみようと思う。

柿島秀吉
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