創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

乱脈経理-3

2014-01-07 07:59:26 | Weblog
〝乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント、矢野絢也…講談社…2011/10刊〟より

第一章 押し付けられた交渉役………17
◆発端……18
 一九八九年六月三○日午前九時過ぎ、神奈川県横浜市旭区のゴミ処分場に捨てられていた古
金庫から現金一億七○〇○万円が見つかった。ゴミの山にあった古金庫の解体作業中に産業廃
棄物処理会社の従業員二人がパワーショべルで金庫を一メートルほど吊り上げたところ、金庫
の扉が開いて、二つの紙袋とともに大量の「聖徳太子」がハラハラと舞い落ちてきたのだ。
 同じ神奈川県内では四月一一日にも川崎市の竹やぶで現金二億円が見つかったばかりだっ
た。相次ぐ大金ミステリーに日本中が騒然となった。
 処分場で発見された札束は、すべて聖徳太子が印刷された旧一万円札だった。半分は手が切
れそうな真新しい状態で、残りの半分は黒ずんでいたものの腐敗した様子はなく、すぐに使え
そうな状態だった。また、白抜きで「一○○○万円」と印字された紫色の太い帯封で束ねられ
た一〇〇○万円束も三つあった。
 札束の一部には一九七一年前後の帯封と、「大蔵省印刷局封緘」の印のあるものがあった。
後者は「官封券」という一度も市中に出回っていない新札。需要が高いことから各銀行から特
別の顧客にまとめて渡される特殊な紙幣ということだつた。
 捨て金庫事件のニュースを間いたとき、私は「あんな大金をいったいどこの誰が捨てたんだ
ろう。あるところにはあるもんだな」と思ったが、特に気に留めることもなかった。
 だが一夜明けた七月一日になると、私の周辺がにわかに騒がしくなってきた。金庫が、創価
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学会関連企業の「日本図書輸送」から回収されたものであることが捜査で明らかになったため
だ。同日(七月一日)付の学会機関紙の聖教新聞は一面の「寸鉄」というコラムで「今度は廃
品金庫から一億七〇〇○万円。ゴミの中から。欲ボケ社会の戯画か縮図か」とバッサリ切り捨
て、後で大恥を曝すことになる。
 東京都文京区に本社(現在は東京都江東区に移転)がある運送•梱包業「日本図書輸送」は
創価学会関連の有力企業である。当時、本社は目白台の田中角栄元首相邸のはす向かいにあ
り、創価学会と公明党の印刷物の輸送を中心に総売り上げの四分の三が創価字会関連で占めら
れていた。また同社は、池出大作名誉会長の地方出張などに際し、身の回りの荷物(と言って
も、相当な量になる)の輪送をしていた他、学会関係の不用品の廃棄処分も行っていた。当時
の社長の大川清幸氏は公明党の元参院議員であり、私の手帖を持ち去った公明党OB国会議員
三人のうちの一人でもある。
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 捜査当局は発見翌日には金庫の持ち主をほぼ特定していたようだった。創価学会内部から警
察に夕レコミがあったらしい。というのも、この日、かねてより懇意にしていた警察庁幹部
が、私に電話で「拾て金庫は学会関連だから気をっけたほうがいい。ところで学会に中西とい
う幹部がいるか」とさりげなく聞いてきたのである。
 中西という名前を聞いて私に緊張が走った。もしかして警察がマークする中西とは、池田名
誉会長の側近で〝創価学会の金庫番〟と言われていた中西治雄元聖教新聞社専務理事(当時創
価学会総務)のことではないかと考えたからだ。
◆警察庁幹部が挙げた池田最側近の名
 中西氏は陸軍幼年学校の出身で、池田氏が学会青年部の参謀室長をしていたころからの腹心
中の腹心の部下だった。池田氏に忠誠を誓う執事役とも言える存在で、性格はいたって生真面
目。池田氏から強い信頼を得て、かねてより学会内部で「池田氏がらみの裏金の管理も一任さ
れている」と囁かれていた人物だ。
 こういう経歴なので、本来、中西氏は学会の要職についていてもおかしくなかったし、現に
学会の副会長に推挙されたことがあるが、中西氏はこれを辞退した。その理由を中西氏は「池
田氏の指示があってやむを得ずとはいえ、本尊模刻事件に深く閲わり、大きな罪を負っている
私が、副会長の椅子をお受けする訳にはいかない」と話していたという。
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 本尊模刻事件とは、一九七四年、池田氏が、六四世・日昇猊下から下付された本尊を聖教新
聞のカメラマンに撮影させ、それを元に八体の板本尊を勝手に彫らせたとされる事件で、信徒
として最大の罪に値する暴挙として日蓮正宗から糾弾されることとなった。当時、純真な学会
員は声をひそめて「身の毛のよだっような恐ろしいこと」と囁き合っていたものだ。これが大
きな原因となって削価学会は宗門•日蓮正宗総本山大石寺と紛争を起こし、やがて一九九一年
一一月に宗門から破門されることになる。
 日蓮正宗では「本門の本尊」である「弘安二年一〇月一二日の出世の本懐のご本尊」が唯一
正統な本尊と尊崇され、本尊は日蓮正宗にとって唯一最高の信仰対象である。池田氏の本尊模
刻が明らかになったのは一九七八年だが、当時、池田氏の側近中の側近だった中西氏はこの事
件に何らかの関わりがあったと言われている。そしてそれを悔いたがためにか、それとも他の
事情があったのか、池田名誉会長の秘書グループである学会本部の第ー庶務室から聖教新聞に
左遷された。
 中西氏は、いつもポーカーフヱィスで寡黙ながら頭脳は明晰。山のような重要案件を次々と
処理する手際のよさは、周辺からほとんど畏敬の眼差しで見られていた。
 私も中西氏からの電話で、よく学会本部へ呼び出されたものだが、こちらは緊張のしっばな
しだった。秋谷栄之助会長といえども中西氏の前では戦々恐々の態という印象だった。一時期
は池田氏に次ぐ実力者という存在だったのである。
 その中西氏が捨て金庫事件にからんでいるというのが事実とすれば、池田名誉会長に累が及
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ぶ危険性もある。中西氏が造反する可能性もゼロではなかった。
 私は、半信半疑ながら、警察庁サイドから中西氏の名前が出ていることを第一庶務室と秋谷
氏に電話で伝えたが、驚いたことに、既に秋谷氏は事情をすべて承知している様子だった。
 秋谷氏は「中西の線は(学会内部から警察への)完全な夕レコミだ。(中西氏を隠して)第三者
を使ったらばれる。ストレートに行くしかない」と話した。これが本心なら秋谷氏は正論を述
ベたわけだが、とかく判断を保留することが多かった慎重な秋谷氏が、このょうに歯切れ良く
決断したのに私は驚いた。
 電話の後、私は「すぐ来てくれ」と言われ、字会本部六階の会議室で秋谷氏、八尋副会長と
対応を協議した。
「今日、中西に会ったが〝記憶にない〟の一点張りだ。だがニュアンスとしては認めた」
 秋谷氏が険しい表情で状況を説明すると、八尋氏は、どこで調べたのか「中西が昭和四○年
代に着服して個人的に蓄えたもの。横領にはならないが背任になる」と言った。
 八尋氏がいきなり背任という言葉を使ったことに私は心中、反発を覚えた。中西氏は確かに
やり手ではあったが、反面、自己に厳しく、廉直な人柄だと思っていたからだ。金庫の管理者
は中西氏であるとしても、金庫の中の金が中西氏の所有であるとは、にわかに信じられなかっ
た。ちなみにその後、字会が中西氏を背任罪で告発した事実はない。
 八尋氏は学会の顧問弁護士で、元顧問弁護士の山崎正友氏が造反して以来、山崎氏に代わっ
て学会のトラブル処理を担当していた。その八尋氏が「横領」「背任」という言葉を使ったの
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だ。八尋氏の話しぶりからは、もともと学会資金だった金を中四氏が私的に蓄財していたとい
うニュアンスが感じられた。
 秋谷氏が強い口調で言った。
「真実で勝負して、あと中西を処分、除名する。これしか学会と(池田)先生を守る方法はな
い」
 秋谷氏の話では、金庫は聖教新聞社の本社倉庫の隅に置いてあったのを学会関連企業の日本
図書輸送が間違って廃棄した。金庫は戸田城聖二代会長が設立した学会系の金融会社「大蔵商
事」(現•日章)時代から使用されていたというが、池田名誉会長は大蔵商事のやり手営業マ
ンとして戸田氏に手腕を認められ出世の足場を築いたとされている。
「真実で勝負する」という秋谷氏に対し、私が「真実ならそうするしかないが、内部事情を知
る本部職員はそれで納得するのか。それに世間はそう思うか。第一、中西がそう発言するか。
仮に、無実なのに罪を押し付けてしまうと、後で中西が造反しないか。『池田名誉会長がから
んでいる金だ』と中西が言えば重大なことになる」と疑問を呈した。秋谷氏は「まったくそこ
が問題だ」とうなずいた。
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 私たちの協議中にも池田側近の長谷川重夫副会長(第ー庶務室長)から会議室に何度も電話
がかかり、激しいやり取りがあったようで、八尋氏が懸命に事情を説明していた。
 数日後に長谷川氏から私が直接聞いた話では、長谷川氏は最初、秋谷氏に「第三者を立て
る。中西の名前は出すな」と言ったという。長谷川氏の判断は妥当なものと思えた。何しろ、
かって中西氏は池田氏の影のような存在で、中西氏と池田氏を切り離して考える者は学会本部
の中にはいなかった。池田氏を守るためには中西氏を表に出すべきでないと、私も考えていた。
 長谷川氏は学会の絶対権カ者である池田名誉会長の代弁者である。したがって長谷川氏の発
言は池田氏の意向であると考えてよい。それにもかかわらず秋谷氏は山崎氏の名前を出すこと
を選択した。
 「中西が張本人であることは歴然としているので中西の名前を隠すことは不可能」—、秋谷
氏らは独自の情報からそう判断したらしい。学会内部では「驚天動地の出来事に学会首脳部が
大混乱に陥った」「池田名誉会長と秋谷会長の間に何らかの軋櫟があったのではないか」とい
う憶測が流れたが、私にはいずれも誤った情報だと思えた。
 秋谷氏は協議を締めくくるように「どちらにしても明日までは閲係者をマスコミから隠す。
だが月曜日(七月三日)からは逃げ切れない。嘘を言ってしまうと必ずばれると見なければな
らない」と話した後、「こちらは知らんことだから、中西に全部かぶってもらう」と言い放っ
た。
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私は「これが中西氏のしたことなら、先生が邪推される。後が大変だ。中西氏の処分はリア
クションが大きい。慎重にされたほうがよい」と述べるに留めた。
 内心では「仮に金庫が中西氏のものと特定できても、その中の一億七〇〇〇万円はいったい
誰のものだろうか」と疑念を持ったが、それは黙っていた。
────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
昨晩、私の夢に〝マルクス〟が出てきまして、〝俺のコメント書け〟との要求です。ハイ、どうぞ‥
マルクス…「宗教はアヘンなり‥‥」
??‥ありがとうございました。
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