今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

まごの日

2009-10-18 | 記念日
10月18日「まごの日」
日本記念日協会の今日・10月18日の記念日見ると「まごの日」があった。
趣旨には“9月15日の「敬老の日」からほぼ1ヶ月後の10月の第3日曜日を、おじいちゃん、おばあちゃんから孫にメッセージを伝える日にしようと提唱したのは日本百貨店協会。百貨店のもつ商品性、文化性、交流性を生かして社会にアピールしていく予定。」・・・とあった。同協会の趣旨説明ではよくわからないので、調べてみると、以下参考の※:「百貨店ワールド」には”「まごの日」は、親子3代あるいは祖父母とまごでコミュニケーションする日、と定義づけています。1999(平成11)年に日本百貨店協会が提唱し、全国の百貨店の積極的な取り組みにより、新しく制定された記念日で、10月の第3日曜日に設定されました。日本記念日協会が制定している「日本記念日大賞」も受賞し、社会的評価も得ています。きっかけは、高齢化、少子化、核家族化がますます進んでいる昨今、おじいちゃん、おばあちゃん世代とまご世代が触れ合うきっかけづくりのお手伝いができないか、と考えたのが最初でした。「世代間をつなぐ気持ちをカタチで表現する日」になればよいという思いから提唱されたものです。「まごの日」をきっかけにして、親子3代あるいは祖父母とまごで触れ合いの時間を共有していただきたいと考えています。“・・とあった。冒頭の画像は、日本百貨店協会の「まごの日のシンボル・キャラクター」。テディベアは、セオドア・ルーズベルトが初まごの誕生にプレゼントしたことから、「家族の絆を象徴するもの」となり、その由来から採用したのだそうだ。
百貨店ワールドの説明では、少子化高齢化核家族化が進んでいる世の中で、世代間を繋ぐ社会的な記念事業としてやっているとのことであり、それなら、なかなか有意義な記念日だと思うのだが、最近は、日本記念日協会への記念日登録も、単に事業者の販売促進を目的としたようなものが非常に多くなってきている。日本百貨店協会が提唱している高尚な趣旨での記念日登録であるのなら、この記念日を、今の厳しい社会情勢の中、核家族化で孤独な生活をしているおじいちゃん、おばあちゃんが、孫や子供たちとの交流がしたいために、なけなしの生活費の中から、百貨店が紹介するプレゼントを孫に買い与えるだけの日にはして欲しくない。物・物・物の今の時代に、物以外での精神的な癒しを求めているお年寄りにとって、どのような有意義な親子3代の触れ合いの場づくりを百貨店業界がお手伝いしてくれるか・・・。このような記念日登録をした百貨店業界が商業目的以外にどのような社会的貢献をしてくれるのかを見て行きたいと思う。
♪なんでこんなに 可愛いのかよ
  孫という名の 宝もの
  じいちゃんあんたに そっくりだよと
  人に言われりゃ 嬉しくなって
  下がる目じりが 下がる目じりが えびす顔
これは、大泉逸郎の手作り演歌(作曲と自らの歌唱)として、1999(平成)年にミリオンセラーを記録した曲「孫」である。作詞をした大泉の友人である荒木良治だそうだ。・・・そう言えば、この大泉の「孫」でデビューした年と、日本百貨店協会が「まごの日」を記念日登録した年ろは同じだね~。云々。
この曲の大ヒットの後、「♪孫も大きくなりました 孫を可愛いと思わぬ人が 広いこの世に いるだろか・・・・」と、同じ荒木作詞、大泉作曲・歌唱の「孫も大きくなりました」も発売されている。これらの曲は、以下で聞ける。
YouTube -孫-大泉逸郎 
http://www.youtube.com/watch?v=YBqQYn4ZH9g
YouTube - 孫も大きくなりました- 大泉逸郎
http://www.youtube.com/watch?v=sv8x76pNb64
漢字の「孫」の字源を調べると、「孫」は会 意 文 字 (かいいもじ)であり、部首「子」+「糸(小さいを意味)」と書くが、異体字に「子」+「少」の字が見られるように、小さい子供の意。後に(つくり)が「系(つないだ糸)」となり、子の系統を継ぐ・・・の意が生じたようだ。
つまり、孫は、自分の子供の子供。続柄の中では子供に次いで特別な地位にあり、普通嗣子(ちゃくし=嫡男)の子供を内孫、嗣子にならなかった子供の子供を外孫、最初に生まれた孫を初孫と呼ぶ。
初孫が生まれた時から、祖父母は「おじいちゃん(おばあちゃん)になったんだねえ」などと言われ、何か、孫が出来た途端に年寄り扱いされ出すようになる。
しかし、大泉の歌の文句じゃないけれど、孫を可愛くないと思う人はいないだろう。祖父母にとって、孫は子供以上に可愛く、「目に入れても痛くない」とまで言われる。
斎藤茂吉の「孫にも、以下のような文が見られる(以下参考の青空文庫の斎藤茂吉「孫」より抜粋)。
「大石田の友人いふに、『まあお孫さんが先生になじむ迄(まで)は四五日はかかりませうな』云々。然るに私はその友人と二人で東京に来てみると、孫は、来た次の日にはもう私に抱かれるやうになつた。食べものを与へるとよろこんて食べる、請求もするといふありさまである。友人は笑つて、『先生、やはり血筋ですべえな』云々。この『血筋』といふことは元から云はれたことである。この孫の父、つまり私の長男が小さかつたとき、私の親友が抱いても泣きさけぶのに、偶(たまたま)上京してゐた私の長兄には平然として抱かれてゐた。そこで『血筋』の問題が出たのであるが、そのとき長兄がいふに『やはりおれは父親にどこか似てゐるところがあるんだ。子どもは動物みたいなもんだからそれを勘づくんだ。それは血筋といへば血筋なんだが』云々。兄貴の動物説もまんざら誤ではあるまいと思つて、いまだに忘れずに居る。『孫は子よりも可愛いと申しますね』と人にいはれる。これは実際そのやうである。併(しか)し、何のためにさういふものであるのか、私にもよく分からない。」・・と。(中略)。又、「私の孫が幾つぐらゐのとき、私はこの世から暇乞(いとまご)ひせなければならないだらうか。人間の小さい時には親に死なれても、涙など出ないものである。即(すなは)ち、大人のやうに強い悲しみが無いものである。明治二十四年、私の祖父が歿した。夜半過ぎて息を引きとり、そのとき祖母も母も泣いてゐたが、私(即ち孫)は、涙がすこしも出なかつた。炬燵(こたつ)の布団の中にもぐりながら、祖母なんかがどうしてあんなに泣くかと思つたことがある。そのとき私は既に小学校に入つてゐたのであるが、祖父の死に際してそんなに悲しくなかつたといふ、追憶が浮んでくるのである。私が死んだなら、小さい孫どもはさぞ歎くだらうなどとおもふのは、ほしいままな自己的な想像に過ぎない。孫どもはかういふ老翁の死などには悲歎することなく、蜜柑(みかん)一つ奪はれたよりも感じないのである。そこですくすくと育つて行く。この老翁には毫末(がうまつ)の心配も要(い)らぬのである。」・・・と。
斎藤茂吉は、山形県出身で、守谷伝右衛門熊次郎の三男として生まれ、親戚で浅草の医師・斎藤紀一の家に養子に入ったことから、斎藤姓を名乗っている。茂吉は、歌人として良く知られているが、精神科医であった。茂吉は非常に癇癪持ちであったらしいが、患者の前では温厚に振舞っていただけのようで、その反動で家族には怒りを露わにすることも多かったという。
茂吉の長男の茂太も精神科医であり、随筆家でもあるが、次男の北杜夫(本名:斎藤宗吉)も芥川賞受賞作家として知られているが、精神科医である。その次男宗吉の長女・斎藤由香も随筆家として知られている。
茂吉の子供や孫を見ていると、茂吉一家には文学者としての又、医学者としての血が流れているというか、『やはり血筋』なのかもしれない。・・・が、茂吉は夜尿症で、15歳くらい迄寝小便をしていたらしい(以下参考の※:「藤茂吉 - ウラ・アオゾラブンコ」の高橋四郎兵衛「兄の少年時代其他」昭和28年10月を参照)。この高橋四郎兵衛と言う人は、茂吉の実弟直吉が山形県の上ノ山温泉・山城屋の養子となって襲名した名だそうだ(以下参考の※:「山形県 かみのやま温泉 茂吉ゆかりの宿 山城屋旅館」参照)。本当かどうかは知らないが、息子の茂太や、その孫も中学生頃迄寝小便をしていた・・・と、Wikipediaには書いていたが・・・。
夜尿症は、身体の発達及びホルモン分泌が密接に関わっており、そのため、加齢とともに自然に治癒するケースが多いそうだが、遺伝との関連も指摘されているようだ。
よく、親子に似通った点があれば、遺伝によるものだ、という言い方をするが、遺伝とは、生殖によって、親から子へと形質が伝わるという現象のことであり、生物の基本的な性質の一つではある。
メンデルによる遺伝法則の発見によってその存在が示唆された遺伝子は、現在では、生物の遺伝情報を担う主要因子であって、ヒトなどの生物は、DNAを媒体としてる・・・といわれている。
私などこの分野の素人にはよく判らないことだが、親から子、子から孫へと、DNAを受け継いでいる以上は、かなり、性格や知能面での影響がある事は間違いないだろう。
だから、孫をこの上なくかわいがるのも、ヒトのDNAに刻み込まれたことかもしれない。親子関係については進化論的裏付けが存在するらしいが、孫を大事にすることは必ずしもそうではなく、親がそれをすれば十分と考えられる。血縁選択説の立場からは、孫は明らかに直系の血縁者だから、これを守ることはそれなりの価値が認められるが、ヒトにとって孫の存在が当たり前になり、「孫がかわいい」と感じる文化が生まれたのは、人の寿命が伸びたからでもあるらしい(孫- Wikipediaのおばあちゃん仮説参照)。
ときに「人の性格の5割、知能の7割は遺伝子で決まるらしい」・・・などと言う話しを聞いたこともあるが、それでは、私の子として生まれた息子や可愛い孫は浮かばれないよ。所詮、私にはそんな優れた遺伝子は無いだろうが、それは、持って生まれた天命と悟り、自分の個性を活かして、誰からも愛され、役に立ち、認められ、向上心をもって、高杉新作じゃないけれど『おもしろき ことも無き世を おもしろく』生きていって欲しいものだ。そのために、おじいさんとしては、できる限りの支援はしてやりたい。だけど、茂吉じゃ無いけれど、孫がいくつの年代まで、私は生きているのだろう。小さい頃、我が家に来ると、先ず直ぐに胡坐をかいた私の膝の上にすわり、頬にチューの挨拶をしてくれていた孫娘も小学校に入って3年生くらいにもなってくると、段々と様子をし、おじいさんよりおばあさんの方が、いろいろお絵描きや編み物などの相手をしてくれてよくなったようだ。それでも誕生日やクリスマスなどプレゼントをもらえる日には、私のところへ先ず愛想よくしてくるのは、息子や嫁の入れ知恵だろうか・・・。私自身も爺さん子で、それこそ目に入れても痛くないほど可愛がってもらったが、その爺さんがなくなった時にそれ程母親などの泣いている顔を見てもそんなに哀しく思わなかったのは、茂吉がい言うように幼かったせいだろう。私も孫が大人になるまでは長生きしないと亡くなっても可愛い孫に泣いてもらえない・・・と思うと、余り無茶せず、もう少しは頑張って生きないと・・・なんて考える。
なにかぐだぐだっと書いていしまったが、最後に1つ。
日本は天皇制をとっているが、日本の天皇の皇位継承は、日本国憲法では「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承(憲法第二条)」することになっている。その皇室典範には「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する(同法第一条)」とある。
しかし、天皇の皇位継承者となる現皇太子浩宮徳仁親王には、敬宮愛子内親王の生誕など天皇直系の皇位継承者の終端に女性しかいない問題が生じていたが、2006(平成18)年、今上天皇の第二皇子・秋篠宮文仁親王に、悠仁親王(今上天皇の孫)が誕生し、一応、今上天皇の孫の代までの皇位継承者ができたが、今後も依然として皇位継承問題の残るところだ。今の時代に、血筋を守るなどと言うのは大変だよね~。
(画像は、日本百貨店協会の「まごの日のシンボル・キャラクター」)
このブログの字数制限上、参考は別紙となっています。以下をクリックしてください。このページの下に表示されます。
クリック ⇒ まごの日:参考

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。