今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ジャンヌ・ダルクが、火あぶりの刑に処された日。

2005-05-30 | 歴史
1431年の今日(5月30日)、ジャンヌ・ダルク (仏:百年戦争のヒロイン) が、イギリス軍の手により宗教裁判にかけられ異端者として火あぶりの刑に処された。[1412年1月6日生]
この15世紀の百年戦争で活躍した悲劇の少女戦士、ジャンヌ・ダルクの生涯を、リュック・ベッソンが同名で完全に映画化した。15世紀、イギリスとの戦争に明け暮れるフランスに突如。「神の声を聞いた」という17歳の少女ジャンヌ・ダルクが現れ、少女は、国王子の元を訪れ自分にフランス軍を指揮させてくれるよう懇願する。果たして神の声を聞いた17歳の少女に国が救えるのか?それは、実際に神が存在するか? それとも、神は単なる少女の幻覚に過ぎになかったのか?といった「神の存在をも問う」壮大なテーマの映画でもある。
フランス西部のドイツ国境付近のロレーヌ地方、ここには一つの伝説があった。「フランスが危機に陥った時、ジャンヌという名の少女がその危機を救うだろう。」と・・・。
ジャネットことジャンヌ・ダルク はこのロレーヌ地方の小村ドムレミの農民の娘として生まれる。ジャンヌは父親の名である。のどかな農村で天真爛漫に育ち、そして、13歳のころ、彼女は初めて神の声を聞いた。その声は彼女にフランスを救うように話し掛けた。この不思議な神の声を聴いた少女の村を、ある日イギリス軍が襲い、彼女に隠れ場所を譲った姉は、無残にもジャンヌの目の前で殺される。懺悔を聴いた神父は、復讐が平和をもたらさないことを説いて聴かせるが、ジャンヌの心に平穏はなく、この事件をきっかけに彼女は異様な情熱で神に帰依することを誓う。
百年戦争の後期、彼女は何度も何度も神の声を聞き、少女は伝説の少女がジャネットであることを知らされ、15歳の時にジャンヌと改名、そして、17歳の時、フランスの解放を神に託されたと信じた少女は、ついにフランスを救うため、王太子シャルル7世の元を訪れる。
時は中世、英仏百年戦争の真っ只中。1337年にはじまり続いていた戦争に、フランスは負けつづけ、イギリスに攻め込まれ、まもなくフランスはイギリスの手に落ちる寸前であった。しかし、フランス国民には負けつづの戦争に厭戦気分が漂っていた。又、1422年にフランス国王シャルル6世は死去していたが、その跡継ぎとなるべき王太子は、まだ国王につけないまま各地を転々としていた。それは彼の母親がイギリス王と結婚し、彼女はイギリス国王との間に出来た子をフランスとイギリスの共通の王にしようとしていたからであった。そんな彼の元を「神の声を聞いた」というジャンヌが訪れ、自分にフランス軍を指揮させてくれるよう懇願する。果たしてこんな少女に国が救えるのか?ためらう王太子に義母ヨランドは、すでに伝説を背景に民衆の支持を集め始めているこの娘を利用して、膠着した戦局を打破することを薦める。そして、まだ、疑問視する周囲をよそ目に、彼女の存在で軍は息を吹き返し、2ヶ月後には、オルレアンの闘いで奇跡的な勝利を収め危機を救い、その後、その勢いにのって次々と戦勝をかさね、ついにフランスで、1429年、シャルル7世を戴冠させたのである。
つまり、ジャンヌが神から聞いた「フランスを解放し、王太子シャルルを王位につけよ」という予言はすべて成就したのであるが・・・・。しかし、彼女にはその後に、過酷な運命が待ち受けていた・・・。わずか1年の活躍の後、イギリス軍の捕虜となり、宗教裁判で魔女と断罪され、火刑に処されたのだ。まだ、19歳の時である。
しかし、このジャンヌダルクの話を聞いていて、いつも思うことがある。ジャンヌの奇跡的勝利はオルレアン開放戦線に始まる。しかし、それにしても、その勝ち方は鮮やかであった。何故こんなに勝てたのだろうか・・・?人々から神の使いとみなされ、天使を描いた旗印を手に、銀色の甲胄で白馬にまたがって陣頭に立つ少女ジャンヌ・ダルクはフランス軍兵士の勇気を奮い起こさせたのには違いないだろう。しかし、オルレアン開放戦線は神懸り的な力丈でなし得たものではないと言う説がある。
それは、ジャンヌ達の軍はいわゆる傭兵達で構成されていて、ジャンヌをはじめとするフランス軍の構成員が「騎士」としての教育を受けていなかった。騎士道精神に乗っ取って一騎撃ち的な戦いをモットーとしていたイギリス軍にとっては、「神の名の元に」団結して、騎士道の精神に乗っ取らず、読めない戦法で奇襲攻撃してくるジャンヌの軍はまさに悪魔の仕業に見えたであろうと言う。そういえば、今、NHKで放映している源義経も同様ではないか。源平合戦のヒーロー「九郎判官・源義経」の真骨頂は、「奇襲戦法」にある。「一の谷合戦」では、背後から軍を二手に分け、鵯越の坂を一気に逆落としに駆け下り、敵の背後から、平家軍を奇襲した。「屋島の合戦」では、勝浦から夜を徹する強行軍で翌朝、屋島の内裏の対岸に到着するや平家軍をいきなり急襲した。「壇ノ浦の海戦」では、海戦に不慣れな寄せ集め編成の源氏方は押され気味で、苦戦したが、平家方の水手や梶取を射る作戦が有効打となり形勢が逆転した。しかし、当時は舟の水夫・梶取は非戦闘員でありこれは時の水上戦の掟を無視した戦法であった。当時、合戦は一騎討ちが主流だった。両軍が対峙して大将が挨拶した後、互いに矢を交わし、剛勇の武者が進み出て一騎討ちをおこなう・・・といったかたちである。これを無視しての義経の戦略に、平家軍は破れたといっていいだろう。これも、義経の忠実な仲間が弁慶や伊勢三郎など元盗賊、無頼の徒であることも関係しているだろう。
諸侯のいない都市に奇襲攻撃をかける、というのは騎士道精神に反することで、しかも骨の髄まで騎士道の教育的背景を持つ、当時の支配者階級にとってまったく発想できなかったことであった。
それでは、何故、その後のコンピエーニュの戦いで、破れたのだろう。ジャンヌのおかげで王位についたとはいえ、シャルル7世の政治的立場はまだ、脆弱なものであった。そのため自分の足固めのためにも、イギリスを支援し対立していたブルゴーニュ派との和解が先決であった。それに母イザホーの浪費のために国庫は火の車であり、財政を立て直して戦力を蓄えなければイギリスと戦うことは出来ない。そのために休戦したかった。しかし、ジャンヌにはこうした政治的事情を読むことはできず、以後、シャルル7世のバックアップが得られなかったために連敗を重ねた。
その結果、イギリス軍に捕らわれ、火あぶりの刑となるのであるが、若干19歳の少女に対して、何故、このような惨い刑罰を与えたのかについては、以下のようなことがいわれている。当時捕虜は殺してはいけないことになっていた。普通は身代金を取って釈放するのであるが、イギリス側は何としても殺したいので、宗教裁判にかけた。イギリス軍にとっては、ジャンヌがフランスの国家のために男装して戦う聖女「神の奇跡の乙女」であることを恐れていた。ジャンヌが「神の奇跡の乙女」である限り、正義はフランスの側にあることになる。イギリスに正義があることを証明するにはジャンヌが「神の名をかたる悪の手先ー魔女」であることを証明しなくてはならなかったのである。そのため、彼女を宗教裁判にかけた。宗教裁判は、ローマ教会が教えに背いた異端や魔女を裁いて処刑する権利を持っていた。この裁判では、彼女の男装が追及されている。これは申命記22章の「女は男の着物を身に着けてはならない。男は女の着物を着てはならない」という戒律のためである。人間は、「男と女に創造された」。創造者が、男を男として、女を女としてつくったのだから、男が女のようにしたり、女が男のようにしたりすることを禁じているというのである。そして、彼女の男装に対する刑罰が決まったその日のうちに、ルーアンの広場で火刑に処されたが、火刑は服が焼け落ちた段階で一度火を止め、ジャンヌが「女性である」ことを証明してから再び焼く、という残酷なものであったという。今の時代であれば、このような聖書に照らされると困った人が多くいるだろうね〜。
しかし、その後、ジャンヌ・ダルクがフランスの国民的英雄になったのはナポレオンが国家主席になったときに賛辞して以来といわれる。そして、1920年にローマ教皇ベネディクトゥス15世によって列聖され、聖人となったそうだ。
先に述べた、源義経の軍事的成功も、当時、頼朝他、周囲の人間に別の不安をもたらした。結局、彼の下に付いた頼朝の家臣・梶原景時は、「義経の行動の数々に問題あり」と鎌倉の頼朝に書き送っていた。やっかみもあったではあろうが、義経の悲劇は、時のルールに反しての彼の鬼神の如き活躍が頼朝にとっては脅威となったのではないか。
(画像は、マイコレクションの映画チラシ。リュック・ベッソン監督「ジャンヌ・ダルク」)
参考:
映画「ジャンヌ・ダルク」
http://www.sonypictures.jp/archive/movie/joanofarc/
「男装は犯罪!?」ジャンヌ・ダルクの奇跡と悲劇を探るジャンヌ・ダルク
http://www.geocities.jp/stshi3edgid/hs_jean.htm
源 義經研究
http://www.st.rim.or.jp/%7Esuccess/room_yositune.html

キーワード
イギリス軍 フランス軍 シャルル7世 オルレアン ジャネット ロレーヌ地方 リュック・ベッソン ブルゴーニュ派 コンピエーニュ 屋島の合戦
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