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ペレス・プラード (キューバ:バンドマスター,編曲家『マンボNo.5』)の忌日

2007-09-14 | 人物
今日(9月14日)は、ペレス・プラード (キューバ:バンドマスター,編曲家『マンボNo.5』) の1989(平成元)年の忌日。
私たちの年代の者にとってマンボ(mambo )の王様といわれるペレス・プラード(Damaso Perez Prado)は、本当に懐かしい名前である。
キューバの音楽でイメージされる音楽(リズム)と言えば、今では、「サルサ」(salsa)が浮かぶのではないかと思うが、この「サルサ」という言葉が使われ始めたのはラテン音楽がアメリカへ渡ってからのことだ。カリブの島のキューバのソン(son)やマンボ゛をもとにプエルトリコ発祥のボンバ(bomba)やプレナー( plena)などのダンス音楽に、ジャズソウルロックなどの要素を取り入れて1970年頃までにニューヨークで確立され、その後世界中に広まった。(サルサに関連の音楽のことは、以下参考に記載のサルサ関連用語集を参照されると良い)
このようにサルサの原形はソンにあると言われてるが、キューバは、リズムの宝庫といわれるぐら多くの音楽(リズム)がある。歴史的な背景からキューバの音楽はヨーロッパの音楽とアフリカの音楽の融合から生まれたものだ。
その中で、マンボは1930年代後半にキューバで流行していたルンバ(rumba)にジャズの要素を加える形で作られたもの。ルンバ(rhumba)は先に述べたソンが起源で1920年代に成立した音楽。日本では、「コーヒールンバ」などが良く知られているが、海外に「ソン(son)」を紹介する際、英語の「ソング(song)」と混同されないようにと「ルンバ(rhumba)」の名で知れ渡ったといわれるており、、キューバでルンバといえば、もっとアフリカ色の強い打楽器音楽を意味しているようだ。
マンボは、リズム的にはキューバのポピュラーな音楽ソンを基本とし、モントゥーノの間奏部分を4小節から8小節リフ(Riff )に変奏して編み出された演奏スタイルだといえるようだ。
ペレス・プラードは、豊かな家庭に育ち、幼少時からクラシックピアノを学び、後にポピュラーに転向して地元のクラブ等でピアノやオルガンを演奏していたが、1940年代後半、キューバの首都ハバナで働いていた頃、当時流行していたこの新しいリズム「マンボ」を積極的に演奏し始めたが、キューバでは余り好評ではなかったそうだ。そこで、プラードは1948(昭和23)年にメキシコシティへ移住し、そこでペレス・プラード楽団を結成。「 Que Rico el Mambo」(エル・マンボ又はマンボ・ジャンボ) 人気アーティストとなった。ペレス・プラードのマンボは、ビッグバンド形態をとり、歯切れの良いトロンボーン、トランペット、サックスなどの金管楽器で構成されホーン・セクションをリズム楽器として用いているのが特徴。元々ホーン・セクションはメロディー楽器の集合体であったものを、ひとまとめにしてリズム楽器としてしまったのだが、ホーン・セクションが呼吸を合わせてリズムを吹くのは非常に難しいことなのだが、これが出来たのは、メキシコシティーには優秀なトランペッターが多くいたからだそうだ。
その後、代表曲となる「マンボ No.5」や「マンボ No.8」を発表するとマンボは世界的なムーブメント(movement、流れ)となり、アメリカに進出後発表した「セレソローサ」はアメリカのヒットチャートで26週連続チャートインするといった快挙を成し遂げた。
そのため、ペレス・プラードはマンボ王と呼ばれ、マンボがプラードにより作られたとの誤解があるようだが、彼がマンボの発明者ではない。1940年代には、すでにマチート楽団がニューヨーク などで活動しブームを起していた。(マチートのことは、以下参考に記載の「Beats21 - マンボ・ムーチョ・マンボ~コンプリート・コロムビア・マスターズ/マチート&ヒズ・アフロ・キューバン・オーケストラ」参照)。1950年代に入ってからペレス・プラードが活躍をし始めた。しかし、その後「ロックンロールの国」アメリカ国内での人気は低落し、アメリカでは早々と廃ったかにみえたマンボであるが、日本では1950年代からボチボチ聴かれ、1956(昭和31)年の、日本初来日が火付け役となり、マンボブームを起こす。この時、以後17回も日本で公演している。
ペレス・プラードの演奏スタイルは指揮をしながらステージ上で所狭しと踊り、飛び跳ね、激しく動き回りながら独特の掛け声で楽団を煽るというもので、マンボの強烈なリズムと共にそのステージは当時の若者を熱狂させた。・・・かく言う私も熱狂した1人である。
マンボが大流行するまでのダンスの主流は、まだ社交ダンスであった。そのため、私も家の近くのダンスのレッスン場へ通って練習したものだ。しかし、まだ若かった私などにとっては、オーソドックスな社交ダンスは、何となく気の乗らない感じであった。そこに、強烈なリズムのマンボが大流行した。「あーー!」、「うーっ!」という歯切れの良い掛け声に合わせて腰を振るときの開放感がよかった。又、マンボスタイル(マンボ・ズボンと呼ばれる、股上が深く裾が細くなっているパンツに、派手なシャツの裾を結んだスタイルに、衿幅の狭いジャケットに極細のタイが特徴)も大流行。 石原慎太郎の「太陽の季節」が新人賞をとって、話題を集めたのも1956(昭和31)年のことだった。映画化され人気を博し、そのタイトルから当時の享楽的な若者を非難を込めて「太陽族」と呼んだが、そんな彼等の慎太郎刈りとアロハシャツも大流行していた。当時の若者の多くは、生活の豊かさと自由を目指すことでいわば無意識の「太陽族」となっていたのだ。
そこに、ローマの休日(1953年公開)の大ヒットが重なり、長髪族が増え、街中には、マンボスタイルにポニーテールと流行の先端を行く女の子も目立った。何を、隠そう、私なんかも、そんな格好をした彼女と、お揃いで作ったサキソニーの生地の黒のマンボズボンを穿いて街を闊歩していたことがあった・・・。勿論、キャバレーやディスコにもいってよく踊ったものだ。思い起こせば私もそんな、青春時代があったのだよ・・・(^0^)。
そういえば、この頃は、マンボ流行の後、ツイストやサーフィン、モンキーダンスなど次々と、毎年のように新しいリズムが入って来た。流行を追いかけるのに忙しかったね~。
ペレス・プラードは、1989(平成 1)年メキシコシティの自宅で死去<72歳>。 カストロ政権下のキューバでは、その死はわずか数行の記事で片付けられたものの、メキシコシティで行われた葬儀は世界中からプラードファンが集まり、「史上最も陽気な葬儀」と形容されるほど華々しい葬儀であったという。
(画像は1955年・東京後楽園アイスパレスでマンボを踊っている風景。「朝日グラフ」6月22日号より)
参考:
ペレス・プラード -Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ペレス・プラード
ペレス・プラード Perez Prado
http://www.audio-visual-trivia.com/2007/04/perez_prado.html
Category:中南米の音楽 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%B8%AD%E5%8D%97%E7%B1%B3%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD
サルサ関連用語集(Nuevo Viento ホームページ)
http://nuevoviento.at.infoseek.co.jp/yougo.html
マンボ世界に羽ばたく!(音魂大全 )
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/1952.htm
リフ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%95
ローマの休日 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%81%AE%E4%BC%91%E6%97%A5
Beats21 - マンボ・ムーチョ・マンボ~コンプリート・コロムビア・マスターズ/マチート&ヒズ・アフロ・キューバン・オーケストラ
http://www.beats21.com/ar/A05081702.html
太陽の季節 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%AE%E5%AD%A3%E7%AF%80



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