高樹のぶ子の世界

高樹のぶ子の作品世界を語り合うブログ

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光抱く友よ

2008-01-24 05:36:01 | 光抱く友よ
高樹さんの作品について、もっと気楽に自由に語り合える場所が欲しいと立ち上げました。
公開日記としてのブログの形態が、個々の作品についてランダムに語り合うとういことが可能なのかどうか、まだイメージとして掴めないのですが、案ずるあまりにずるずると日ばかりが経ってきた現状ですから、ともかく思い切ってやってみることにします。

50冊に及ぶ作品を世に出されてきた高樹さんですが、残念なことに既に絶版になっているものも多く、入手しにくい作品もあります。
そこでまず最初に取り上げる作品は、今も高樹作品の入門書として手にとられることの多い、芥川賞を受賞した『光抱く友よ』(新潮文庫)にしたいと思います。
今までにこの作品を読んだ方、作品に、あるいは高樹さんに興味を持っていてこれから読んでみたいと思われた方、どんなことでも構いませんから、是非一言でも書き込んでみてくださいませ。
尚、ブログの性格上、ネタばれ必至の内容となりますのでご了承願います。

この作品は、引っ込み思案で優等生の相馬涼子と、学校という枠からは既に逸脱してしまったかのような早熟で美しい不良少女、松尾勝美との短い交流と別れを描いている。
「屋根すれすれに飛んできた黒い小さな鳥が、見えない空気のかたまりをひょいと乗り越え、校舎の向こう側に落ち込んだ」
何気ない描写で始まる作品の冒頭部分だが、校舎の向こう側とはすなわち学校の外側、つまり大人の社会のことで、勝美は黒い小さな鳥として捉えることは出来ないだろうか。
涼子は「そのあたりに目をとめながら」も教室に向かって歩いていて、大人の世界である外の世界からは隔絶され守られた内側の世界の住人である。
これから始まろうとする涼子の松尾勝美との交流を予感させるものとして秀逸な描写だと読み返してみて思った。
松尾は留年していて涼子よりは一つ年上である。
この年頃の少女の一年の差はあまりにも大きいと言える。
ましてや二人の育った環境もあまりにも違いすぎていて、否応なく大人の世界に踏み込まざるを得なかった松尾と、大学教授を父に持つ娘で大学進学を見据えて勉強している涼子とでは、たとえ惹かれあったとしても、相容れ合う二人ではなかったのだろう。
引っ込み思案で人目や人がどう思うかに敏感な涼子が大人として自立するための勇気を松尾は涼子に与えたが、涼子が松尾を真の友人として受け入れるには、涼子はあまりに幼すぎたし、松尾は大人だった。
この作品は、きっと誰もが通る子供の世界から大人への世界へと足を踏み入れる時に伴う、無垢なもの純真なものを失ってしまう喪失感のある痛みを描いていて、青春…と呼べば美化されすぎている青臭い僕の学生時代の苦い思い出を彷彿させる.
心惹かれ合っていると感じあえていた友人が、ある日を境に急に遠のいて二度と重なり合うことはないのだと知った時の疼きを思い出すのだった。
全くの余談で、単なる連想に過ぎないが、中学生の頃だったか、教科書で読んだヘッセの『少年の日の思い出』が頭を過ぎった。
あの物語も二度と元に戻ることのない友情を描いていたように記憶している。
ヘッセのこの物語は僕の記憶に深く残っているせいか、主人公の少年が友人のヤママユガの標本を壊してしまうシーンを、高樹さんの『億夜』を読んでいて思い出した。
自然科学の大好きな高樹さんも、この物語のファンなのかもしれない。
もっとも『億夜』のヒロイン沙織と婚約者の弟光也を結びつけるという点において、標本を壊すという作用は全く逆の力を持っていたわけだが、あのシーンの持つ緊張感とある種のエロティシズムに読んでいた本と置かずにいられなかったような強烈な印象がある。
あっ、これは『億夜』で語るべき話題ですね。いずれまた。

この作品は2006年2月12日にフジテレビ系列でドラマ化されたが、このドラマが思いの外良く出来ていて、実際に瀬戸内でロケしたという風景も、原作に忠実に作られていて、この作品のファンとしては大変好もしく拝見した。
涼子役をした前田亜季も松尾役の加藤夏希も原作のイメージを壊さなかったし、彼女らの熱演がこのドラマを成功させたといっても過言ではないだろう。松尾の母役の池上季実子もかつてのトレンディドラマで活躍していた頃のイメージではなく、擦れてだらしがない母親の役を見事に演じて、作品をより奥深いものにしていた。
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5 コメント

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松尾 (marikome)
2008-01-30 02:03:38
ステキなコーナーができて、ただひたすらにうれしいです。小皿さん、ありがとうございます。
そして、さすがに深く作品を読み込んでいらっしゃることに感服しています。
このブログがスタートしたのを機に、『光抱く友よ』を再読してみました。私の手元には文庫の初版1刷があります。芥川賞受賞時に読んで、文庫化を待ちかねて早速入手したのだと思います。当時は涼子の立場から素直に読んでいたはずですが、この度は松尾が気になってきました。松尾は涼子をどのような存在と捉えていたのだろうかと…。そもそも、「松尾」という表記自体、不思議です。どうして姓なのだろう??20年の歳月ゆえか、角度が違ってきています。
当作品はもとより、芥川賞受賞時の吉行氏の評が、その後の蘯さんの発展を暗示していて印象的です。
私は『麦、さんざめく』に出会ったときに震える思いをしました。この人の紡ぐ世界に浸っていきたい。私の中では『麦〜』と『光〜』は、ほぼ同じ位置にあります。
ありがとうございます (小皿)
2008-01-30 10:10:44
marikomeさん、森へようこそ♪
松尾という表記は僕も今回書き込むにあたって高樹さんのこだわりを感じました。
松尾が母親と取っ組み合いをするシーンが脳裏に焼きついていたからか、それともテレビドラマを見たせいなのか分かりませんが、記事を書くにあたって僕は「勝美」で表記してましたが、改めて原作を読み返して全部「松尾」に書き換えたのでした。
勝美と涼子という表記だと二人の隔たりや緊張感は生まれないかもしれませんね。

前回の自分の記事を読んでいて、「子供の世界から大人への世界へと足を踏み入れる時に伴う、無垢なもの純真なものを失ってしまう喪失感」という部分に我ながらとても違和感を覚えました。
大人になるには純真なものを失うものだというような典型的な固定観念を何気なく考えなしで書いた言葉で、原作を表す言葉じゃないなぁっと恥ずかしい気持ちになりました。
涼子にしたって、松尾にしたって、少女から大人へと変わっていく季節の揺れが描かれているのは確かでしょうが、どちらも無垢なもの、純真なものを失っているわけではないですから。
WEB SIAで高樹さんが野間文芸賞を受賞された佐伯一麦さんの作品を「思うに任せぬ存在」を描いていて、「はぐらかすことなく、人間と格闘している作品」と評されているが、まさに『光抱く友よ』も「思うに任せない存在」を通して、少女が大人へと変わっていく物語なのだと感じました。
http://blog.goo.ne.jp/websia/e/7e334c2f8d6ce9687dc83dfe7a8ad82f
時間のながれと小説 (ビー玉)
2008-01-31 01:28:38
私も「光抱く友よ」は、登場人物とほぼ同年齢の頃に読みました。中国地方の方言がふんだんに使われていたことが、同じ中国地方に住む少女だった私の心を捉えたことを思い出します。
小皿さんが、おっしゃるように、表現の独自性や作者の潜在的な才能にひかれて読んだのも事実です。

それ以降、高樹先生の小説は、ほとんど読みました。marikomeさんの心を捉えた「麦さんざめく」が収録された『寒雷のように』も今、手元にあります。

小説というものは不思議なもので、中学生や高校生の頃に読んだものを齢を重ねてから再読すると、また違う感動を覚えたり、今まで気がつかなかったことに気づいたりするものです。今や、中・高生の我が子を育てる年齢に達した私は、今度は思春期真っ只中にいる自分の子供たちの人生と重ねて、この作品を読み返しえいます。

読者が小説に求めるものは、人それぞれだと思いますが、私は、とりあえず、生きることが苦しくなった時に本を手にします。この作品を読んだ時期は、ちょうど、同級生が自殺した頃で、生きることや将来の自分の行く末に悩みながら読んだように記憶しています。

思春期の階段を乗り越えて、大人になった今、果たして自分は、少しは変わったのだろうかと思います。当然、変わった部分もあるでしょうけれど、少女の頃と全く変わっていない部分もあります。

生きることに悩み、生きていくのがしんどくなったりする毎日を中・高生の頃と同じように繰り返し、やっぱり小説を手にして、生きるヒントを求めたり、生きていくエネルギーを得たりしています。

以前、私は松尾のことが好きになれませんでした。涼子の優等生ぶりも嫌いだったかもしれません。でも、今は、「いいよ、いいよ。世の中、いろんな子がいるんだから。人それぞれ、人生のながれのスピードの違う大人への階段を、いずれ上るのだから・・・」と思いつつ再読しています。

作品が発表された時代や、その時の自分の身辺に起こっていた事どもや、色んな想いを抱えながら生きていた自分を登場人物と重ねて思い出し、いつも胸に軽い痛みを感じる作品です。
光抱く友よ (fortunati)
2008-02-01 10:33:09
はじめまして。
いや、初めてではないですね。ご無沙汰していました。当時は七味というハンドルで書き込みしていた者です。小皿さん、その後お元気でしたか?当時はいろいろ辛いことがあったように記憶していますが、私もいろいろありましたが、最近はボチボチとやっております。
で、「光抱く友よ」、読んだのはヤフーのトピで書き込みしていたころですね。高樹さんのデビュー作、「その細き道」とともに爽やかな印象が残る作品でした。そういえば数年前にこれ、ドラマ化されてましたよね。私、ちゃんと録画して永久保存してありますよ(笑)。実は最近はほとんど本を読むことがなくなりました。いろいろあがいてはいるのですが、このまま歳を取って死んでいくのかなあ、とぼんやり思う日が多いですね。URLは私がやっている写真ブログです。実は三月で閉鎖することに決めたのですが、またよかったら覗いてやってください。こちらのサイトにはまたときどき足を運ぼうかと思っています。ではまた。
光抱く友よ (小皿)
2008-02-02 10:16:20
1984年に刊行された『光抱く友よ』。
僕が読んだのはそれから数年後のことです。
既に高校時代の同級生だった彼女と最初の結婚もして、社会人として歩み始めていた頃だったと思います。
そんな僕に『光抱く友よ』は、まだ懐かしいと思うほどに遠く感じる物語ではなく、思春期の涼子たちの心の揺れが面映くさえ感じていたように思います。
この作品に胸に沁みるような静かな感動を覚えたのは、僕のせいで最初の結婚をだめにした頃、30歳を越えて読み返したときでしょうか。
作品を読みながら、二度と返らない高校時代の空気感を感じて胸が疼くような気持ちになりました。

僕の母の実家が高樹さんを同じく山口県だったので、作中の話し言葉は、僕もとても親近感が沸きました。
もっとも萩市なので、海の印象は防府の瀬戸内の海の明るさと日本海の暗さと言う感じで正反対でしたが。
自然科学の番組は欠かさずに見ているとSIAのブログでおっしゃっていた高樹さんだけに(http://blog.goo.ne.jp/websia/e/e1b2013da5a64899fc08df74764c06e1)、作品の中にそうした要素がふんだんにありますが、読み返すと『光抱く友よ』も宇宙、顕微鏡、DNAなどの言葉がちりばめられていて、既に高樹ワールドは顕在化していたんですね。

七味さん(ってお呼びしてもいいのでしょうか?)、お久しぶりです。
あの頃、七味さんたちとYahoo!の掲示板で、高樹作品について楽しくお話しながら交流していなければ、今、このサイトを立ち上げることもなかったでしょう。
忘れずに訪ねてきてくださって嬉しいです。
このサイトも間もなくまる五年を迎えようとしています。
僕にとって結構大きな荒波を経験しましたが、こうして元気にさせていただいているのも、高樹さんをはじめ、ここに集ってくださるみなさんのお陰です。
また楽しくお話が出来ること、七味さんが光を抱かれますことを祈っています。

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