67歳からの私・・・過行く時間を大切に生きる

母を看取った年に60歳で転地療養の為、杉並木と山と湖のこの地で一人暮らしを始めました。この地は母の憧れの地でした。

生活の為の仕事・・・に いつの間にか恋している私

2016-10-13 16:53:22 | 今を生きる

仕事が好き?と問われ

仕事・・・生活の手段の一つとして、やりたくない物はあります。

でも、今まで、いくつもの仕事を経験して、いつの間にか好きになっていました。

新しい仕事を覚えると、もっと深く知りたいと思い、先輩にしつこいくらい聞き、

資格が必要な仕事は、資格取得に挑戦してみたり・・・

ですから、過去に経験した仕事は、他の仕事に就いても役立っています。

たとえば、高校を出て美容学校に行き美容師になりました。

インターンは掃除・洗濯の下働きで、先輩の髪をシャンプーさせて貰いOKがでると

先生のシャンプーをさせて貰いOKが出てやっとお客様の髪にさわることができます。

手順はマニュアルがありますが、髪質やと地肌の質で力具合の加減が必要なことまでは

マニュアルに無く、自分で体得します。

時にお客様を不機嫌にさせたことも、先輩に怒鳴られたこともありました。

タオルドライの仕方もショートとロングを別にしないとトンでもないことになります。

これも経験から得た知識です。

美容師になって、技術半分・接客の心得半分という事を経験しました。

 

当時は長い髪を結いあげる人が多く、ピンの打ち方一つでしっかり結いあがったり崩れたり・・

ヘアーカラーも流行りだして、

講習を受けライセンスをとり先輩や後輩・家族中の髪を染めてしまいました。

ハンドマッサージとマニュキアも講習に行き、家族中の手にマニュキアをしてしまいました。

カバーマークという、特殊なメークの講習も行きライセンス取得

夜な夜な 鏡に向かって化粧をしている私を見た兄は かなりビックリしたようです。

 

先生が着付け教室を開いていたので、無償でカバン持ち兼助手を務めライセンス取得

和服の所作を身に着けるために、先生が習っている舞踊の稽古も便乗して、休日は和服で

稽古に通って、一応の所作を教わりました。

 

39歳の時、子供達にお金がかかる時期が来て、定給ではやっていけないので

出来高制の、呉服業界に勤めました。お買い上げ頂き納品して固定給プラス歩合です。

年間5千万円の販売を達成し、インセンテブを結構頂きました。

この時役だったには、美容師時代に身に着けた着付けの技術

着物のTPO。

お茶会では自分の立場で着ていく着物が違います。亭主や先輩より格の高い着物はNG.

髪飾りのアドバイスや着物や帯の季節感も美容師時代に先生から学んだ事です。

舞踊をされる方の着物の仕立ては基本どおりでは不具合です。

繰り越し(襟足のあけ具合)や袖ゆきは長めにして、袖付は短めにしないと

手の動きがスムーズになりません。

前幅も通常より広めにとって、長じゅばんが出てこないように着付けをします。

そうした過去の経験が、まったく違った職場で役にたち

新入りなのに、ベテラン風に見えたのでしょうか?紹介のお客様も多く・・・

親から頂いた帯があるけど、どのような着物に合わせればいいのかしら?と

タンスをの中を開いて見せて頂き、アドバイスをしながらお直しや新しい着物を提案したり

それが、販売や紹介に繋がっていきました。

・・・キーパーソンがお婆様やお父様だったり、それぞれ家庭の都合に合わせて

キーパーソンにお会いできる日時に外商に車で出向いたりしていたので

休日など殆ど無く動き回っていました。

そして気づけば、染め工房や機織りの見学に行って体験し、セールストークの裏付けが出来て

いましたし、出張で他店の展示会の応援に出されたり50万100万円の呉服を売ることが

ごく普通の仕事になっていました。

販売した後の伝票やローンの書きき方は、行政書士事務所に勤務していた時に

正確さを要求され、お客様の職業などに偏見を持たないような会話を仕込まれた事が

生きて、全て一人でこなせたのも 過去お経験からでしょうか。

 

仕事はしているうちに好きになり、頑張れるのですが、職場の体制や人間関係で

どうしても、譲歩できないことが有って転職せざる得ないことがありました。

一番難しいのが、職場の人間関係かと思います。

生活費の為に、いろいろな職について好きになれなかったのは生命保険の仕事です。

何故か?騙してるような罪悪感を感じる事があり、仲間うちでも

お客を取った・取られたとか、アンフェアーな方法で成績を挙げている人もいて

離婚が正式に決まった時に、辞めてしまいました。

 

今、年金暮らしでは厳しいので、仕事があったらしたいのですが、

体調に波があり、お勤めすることは かえって迷惑をかけることになるので

母や祖母の古い着物をリメイクして自分の着る物にして買い物を抑えています。

友人の衣類のお直しを頼まれたり、ネットで商品購入を頼まれて、ポイントを頂いたりしています。

生活の為に飛び込んだ職場がいつの間にか知識のバイブルとなり

いつの間にか好きになっている・・・そんな半世紀でした。

 

子供達が「あの頃私は寂しかった」というのも本当の事かもしれません。

父親役と母親役をこなせる程器用ではなく、1日は24時間しかなく

定刻で帰って来ることも休日に家にいることも無く喜々として仕事をしている私を見て

仕事に嫉妬している子供達だったのかも知れません。

でも、嫌々する仕事など、できる私でもなく  金銭以外、

喜びも希望も前進しようとするエネルギーも無い仕事ほど悲しいものは無いと思います。

 

今でも、私は私探しの為に「仕事」がしたいと思っています。

今年、「高齢者福祉金」が頂けたので、通信で介護事務のライセンスをとりました。

 

多分、この体調では「仕事」に就くことはできないでしょうが、

   夢だけは持っていたいと思っています。

知識や経験は どんな形かで生きて来ると思うのです。

介護事務を勉強して、自分がお世話になる介護保険の仕組みが良くわかり

介護事業所・そこで働く人の一端を知ることができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1 コメント

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コメント続きで申し訳ないです。 (三島)
2016-10-14 15:29:59
病魔にさえ蝕まれなければ生涯キャリアウーマンとして生きてゆける人だったでしょう。
何をやっても仕事には成功するというのに本当に人生は皮肉です。
生活のために嫌々仕事をしてストレスで病気になったこともあるのかなとも思っていました。
病む原因の大半は人間関係という事は私も変わりません。
私のやってきた仕事は誰でも出来る車部品の検査や製造など少しも生き甲斐はなかったです。
でもまだ製造は楽で例えば外食産業は大変らしいです。
息子さんが飲食店の経営をされているそうなのでその変良く知っておられると思いますが。
ジョイフルという飲食店の事をネットで検索して口コミを読むとランチタイムは8分、ディナータイムは12分が料理作成のタイムリミットで質より量をこなす料理作成の要領を要求されてキッチンはスピードがあれば勤まるけど研修中に半数は辞めると書かれていました。
夜勤はフロアーもキッチンも1人作業でキッチンはおおがかりな掃除を片手に料理もしなければならないそうです。料理の名まえや作り方を全部覚える それもスピードがないと勤まらない等。
私は出来ないけど若く健康な時のソフィアさんならやれるかもしれないと思いました。
 
私は職探し中ですが年齢のみで不採用になるんですよ。行く所があるのか死にそうに不安の日々です。
それに不満なのはネットで見た求人ですが応募欄に質問内容を丁寧に長目に書く等するとなぜか返事が来ないんです。
面接場所の事と車通勤の労力とリスクに不安があるので入寮できますか?などと書くと返事がきません。
真面目に丁寧にが受け入れられるという世の中ではなさそうです。

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