過行く時間を大切に・・・60歳からの私

膠原病の療養の為に都市を離れ山間地で一人暮らしを始め、ゆったりと流れる時間の中で60歳から見え始めた思いを綴っています。

シェーグレン患者の会を退会しました

2017-06-25 16:26:40 | 病気から見える世界

平成24年に諸々の検査を受け シェーグレン症候群の診断がでました。

ドライアイは眼科で目薬を貰い対処療法。

唾液が出ないのは、食事には水分を多めに摂って何とか飲み込む。

唾液が出ないので虫歯になりやすいので、歯科検診をこまめにして

虫歯が見つかればすぐに治療。

口腔外科からサラジェンという飲み薬を頂いたのですが副作用が強く

(体がカーと火照って汗が吹き出し、気化熱で悪寒がする)

耐えられず中断しました。

ケアハウスに入居中は眼科も歯科も変えましたが

所詮 対処療法にすぎません。

膠原病の一種なので大学病院の医師には当然経過を

話してありますが「シェーグレンには良い薬ないのよね~」と

特別治療法がないとのでやれる事は無いとの事です。

その間に指定難病だったのが特定難病(格上げ?)され、

従前の診断書は無効になりました。

つまり シェーグレンの症状はあってもシェーグレンの

患者としては認定しないという事です。

在宅になって元の病院に替わり毎月受診し唾液の量を測っていますが

改善はせず、副作用を我慢して薬を飲んでいますが認定はまだされていません。

シェーグレン患者の会に入会し、都内で集会があるときはビジネスホテルを

取って参加したりしていましたが、シェーグレンの情報量もあまり無く

患者同士のコミュニティーもなく唯々体に負担がかかるだけでした。

シェーグレンが指定難病だった頃は自治体から見舞金が

わずかでも出て通院の交通費の足しになっていたのですが、

特定難病になってからは審査基準が厳しくなり、

シェーグレンの症状で苦しんでいるが認定されず

難病見舞金を受けられない方が沢山でているのが現状です。

そんな疑問を患者会の事務局にメールをすると下記のような

返信がきました。

 

 

こんにちは。 

 メールを拝見いたしました。返信が遅れ、申し訳ございません。
 難病の認定に関しまして、色々と矛盾をお感じの様ですね。
 
 国の難病に指定されたというものの、
 それが全ての患者さんにとって有益かと申しますと、
 正直なところSさんの仰る通り、
 ご納得のいかない事が出てきてしまいます。
 認定は活動性の評価によるそうなので、
 申請をしても通らない方が出てきてしまうことも
 あるようです。
 ですから、おひとりおひとり其々異なりますので、
 各県の指定難病疾病対策課に
 お問い合わせになってはいかがでしょうか。
 また、リウマチで膠原病内科にかかっていらっしゃるのでしたら、
 その主治医の先生に
 ご相談されるのが一番よろしいかと思います。
 
 ご存知の通り、難病指定の病気はどんどん増えております。
国としても限られた予算の中で助成を行うためには、
認定のレベルを上げたり、
内容を厳しくするなどの施策が必要なのかもしれませんね
 
疑問に思う事をお調べになるのは良いかと思いますが、
ご納得のいかない事で
ストレスが溜まりますと、返って病状が悪化してしまいます。
ご自身のお身体を考えますと、残念ではございますが少し妥協して、
今後、国の体制が良くなっていく事や
1日も早くシェーグレン症候群の薬ができますことを願って、
前向きに過ごされる事をお勧めいたします。


私は この返信を読みびっくりしました。

患者の会は症状に苦しんでいる人達をサポートし
行政に働きかけてくれる機関と思い
毎年会費を払って会員になり、研究成果や、
日常生活のアドバイスをするものと思っていましたが、
それは私の一人よがりだったようです。

(ピンクのラインを引いた所)
国の予算の都合で患者と診断された人が制度が変わって
患者で無くなってしまうことを当然のように書かれています。

(黄色のラインを引いた所) 
納得のいかない事を調べるのもいいけど
ストレスの原因になるので妥協して・・・・・とは!


この回答こそが 私には大きなストレスです。
誰かが声を出し、研究と患者救済をの為に
働き掛けなければ国は積極的に
研究事業として予算を組まないのは明らかなことです。

「妥協して国の体制が良くなることを・・・・」とは!
私達に処方されている薬は 治験の一つに過ぎず、
一定年数飲み続けて症状が改善されず 
悪化していく人だけが認定を受け患者と認められるという
仕組みのようです。

他の疾患は早期発見・早期治療で
治癒率を上げる方向を向いているのに
シェーグレンに関しては、
今まで患者と認定されていた人が突然 制度が変わり 
患者の枠外にだされ 認定されたかったら治験薬を
飲み続けなさい・・・と言わんばかりの
国に迎合している患者会の回答にショックでした。

シェーグレンの症状に辛い思いをしているけれど 
患者の認定がとりけされたのですから、 
シェーグレン患者の会からも退会しました。

東京女子医大のリウマチ研究所は転居と共に転院しましたが 
未だに年2回追跡調査用紙が届き、予後・合併症の有無・
その他質問窓口を設け患者のフォローと病態調査をしています。
(もちろん無料です)同じ膠原病でも
主体となる医療機関によって
研究の姿勢の違いを見せつかれた思いでした。
 
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三島さんコメントありがとうございます

2017-06-24 04:04:50 | 読者コメント

永遠の命

 (三島)2017-06-24 00:18:15

またその話と思われると思うけど
キリストを信じて死んだキリシタン弾圧死者や
聖書に縁はなく信じる機会はなくても
善良な人などは最後の審判で永遠の命を受けて
復活するという話ですよ。

私も何にも楽しみとか希望はないです。
人には分からなくても何かの神の目的で
生かされているのが人間なので.....
神を信じて何にも良い経験がなくても。
本当は自分は騙されているのではないかと迷いも
常に同居していても。.

ソフィアさんはつい先日までは

書かれていましたよね。
それで十分ではないのでしょうか。

 

そうですね。自分で望み 選んだ生活ですから

楽しむことを考えて前進しなければ ならないのに。。。

病を持ったゆえにできないことがあった時

病を持った故にしなければならない事にであった時

病を持った故に 湧き上がる感情に支配された時

人は弱いものです。

「これは自分には なんの罪もないことなのに」と自己弁護をしなければ

いられないほど 動揺してしまうようです。

 

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麻央さん 安らかにお眠りください

2017-06-23 17:15:02 | 病と共に

テレビを付けると 海老蔵さんの奥様麻央さんの訃報が流れています。

乳がんがの長期治療、そして次々と転移。

たぶんご本人も余命が長くないことは分かりながら 

「生きる ずっと生きる」と頑張る姿が痛々しく

ブログに思いをUPし続けていましたが心中は想像しがたいものと思います。

 

このニュースを、私は38歳で逝ってしまった叔母と重ねています。

叔母は母の末妹で私と15歳しか違わないので「文子ねえちゃん」と呼んでいました。

叔母は膠原病の中で最も厄介な全身性エチテマトーデスでした。

当時 膠原病を知る人は皆無に等しく、専門医も居ませんでした。

体調不良で何か所もの病院にかかり、そして入退院を繰り返し

行く病院ごとに病名が違う。 

藁をも掴むように病院ジプシーをくりかえし

少し体調が少し良くなると退院してくる・・・の繰り返しをしていました。

 

文子姉ちゃんは私が小学性の時に、お見合いで結婚しましたが、

祖母は「嫁に出しても勤まらないだろう」体を労わって、

婿さんをとって祖父母と暮らすことになったのです。

※ 私の実家には 長女である私の母と文子姉ちゃんの二人が婿取りで

いろいろ揉めましたがそれは又の機会に・・・・

 

文子姉ちゃんは二男一女を持ちましたが、次男は生まれつきの腸閉塞で

一歳を迎えたら手術をする予定でしたが、その数週間前に逝ってしまいました。

そショックも影響したのでしょうか、それ以後の文子姉ちゃんの体調は

悪化の道を転がるように進み、頻繫に入退院が始まりました。

 

中学・高校生の私は叔父と母の看護の隙間を埋めるように病院に通い

時には泊り看護も経験しました。

文子姉ちゃんのベッドの脇に簡易ベッドをしつらえ、点滴をさしている手を握って・・・

文子姉ちゃんの寝付くのを辛抱強くまつのです。

ずっと、白い天井を見つめ眠らない文子姉ちゃんが何を考えているのか?

当時の私は想像すらできず、ただ 傍らに寄り添って点滴が外れないように

手を握り さすり 話相手をしていました。

膠原病の診断がついたのは昭和47年・・・やっとステロイド剤が処方され

指定難病の診断で医療費が免除されることになりました。

それまでの医療費は相当な額で叔父は苦労していたようです。

 

 

文子姉ちゃんの娘8姪)がちょうど私と15歳違いです。

高校を卒業し美容学校に入る年、私は文子姉ちゃんの代理で姪の幼稚園の

卒園式・小学校の入学式に出席しました。初めて買ったスーツを着て

姪の手を引いて おませな母親役をした私です。

そして5年の月日が流れ

私が結婚し長女を出産した年の10月1日、夫と姉達に看取られ

文子姉ちゃんは旅立ちました。

私は乳児がいるので、病院に差し入れの物を持って行くだけで

病室には入れませんでしたが、ドアー越しに腹膜還流をしている

機械の音と 文子姉ちゃんの荒々しい呼吸ははっきり聞こえました。

腹水がたまり呼吸することも辛かったようですが親族の励ましに答えていたが

突然大きく呼吸をして心肺停止をしたと、母から後に聞きました。

 

 

私が53歳で心身共に不調が始まり そして3年が過ぎた時膠原病の診断がでたと

母に告げると「なんで・・・なんで・・・」と声を詰まらせてうつむいていました。

体調不良の始まった時は近隣の医院を何か所も受診しましたが原因が特定できず

その自分の姿を客観的にみている自分が

「もしかして・・」と何かを感じたのです。

 

ネットで調べると当時勤めていた職場の近くに膠原病センターを持つ東京女医大があり

昼休みに予約を取りに行き、仕事を終わらせてたら病院に飛んでいきました。

「しばらく通院してください。検査を続けましょう」と 医師の言葉。

やっぱり・・・そう思いました。

それから十数年 私の生活は一変しました。

新宿の雑踏・夜の賑わいに紛れて都会生活を楽しんでいた私は

今はもう都会の空気では呼吸ができず 杉木立の中で静かな生活をしています。

 

体が病む時 痛みで眠れない時 

気持ちが荒れている時  文子姉ちゃんの顔が浮かんできます。

そして気づいたのです

十年余り身近に接していたのに、私は文子姉ちゃんの辛そうな顔も愚痴も

見たことも聞いたことも無いのです。

 

婿に入った叔父はカバン職人でしたが勤めを辞め自宅で作業をするようになり

仕事と看護に専念し 姪はほとんど我が家で過ごしていました。

文子姉ちゃんは祖母が40歳位の時の子のようで、60歳を超えた当時の祖母には

看護はできず叔父が医療費を工面し、病院に通い自宅でカバン作りをしていました。

 

退院してきても文子姉ちゃんは 怠そうに柱にもたれて、浮腫んだ足をさすり

食べたいものがあると私を呼び出し

「魚買ってきて~ サラダ作って~」・・・と甘え

辛いはずなのにいつも微笑んでいました。

 

私は激痛が来ると夜叉の形相で薬を飲みながら 

「早く終わりにしたい!お父さん 迎えに来て!」とベッドの中でもがいているというのに。

文子ねえちゃんと私は何がちがうの?・・・・

 

支えてくれる夫がいる文子ねえちゃん。

幼い子供の成長を楽しみにしている文子ねえちゃん。

 

それが今の私には無いのです。

小林麻央さんが最期まで強く病症からブログに顔をUPできたのは

愛する夫と子供と一秒でも長く生きたいという思いがあったからなのでしょう。

 

私が一秒でも長く生きる理由が見当たりません。

三度の食事は薬を飲むためにたべるようなものですから・・・

ディスペプシアで外食を楽しむことも無くなり、

疼痛緩和・体調管理のためのメニューの中で

 ささやかな楽しみを探すけれど見つからないのです。

 

 

この薬を飲むための お水だけでお腹いっぱいになってしまいます。

 

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三島さんコメントありがとうございます

2017-06-22 05:18:23 | 読者コメント

あまり気分的には元気ではないのですが

 (三島)2017-06-21 21:42:24

私でもどんな場所でも人間関係においても自分の思うようにはならないもどかしさは常日頃ですよ。
目に見えない空気や人が出す雰囲気や波動に支配されたりしてそれが良い方向に向いていれば不満はないけど
逆にばかりゆく事が多いと心身の具合が悪くなります。
見えない何者かのマイナスの支配、それは光に自分を変装して人を動かしているサタンだと私などどうしても思ってしまうのです。
自分が何の支配も今は受けずに自然界の中にいる時などはめったにないけどそんな時にはソフィアさんのように思いますよ。
そんな気分の時が神に通じるものだと単純に感じます。

 

生まれて持った宿命というものがあるならば 人間には宿命を変えることは

不可能に近いものがあると思います。でもその見えないレールの上を走りながらでも

行き着く暗闇だけを案じる日々に時間を費やす事と

レールの脇に咲く草花を愛で楽しみながら、生きていく事との違いで人生観は

違っていく事と思います。サタンも神も(そう感じる)この世に存在すると思い、

しかしあえてサタンに憎しみをかんじて生きるより「哀れな奴」の結末を想像し

避けて通れる方法を模索して生きたいと思います。

自分にとってストレスとなることが、努力によって回避できるのであれば

回避の方向に努力したいと思います。悪はけして永遠に蔓延ることはないと

そう信じて 今自分がおかれた環境の中で自分の座を確保してすごしたいと

思っています

 

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そして 一年が経ちました

2017-06-21 18:51:38 | 今を生きる

昨日は 大学病院で教授との話し合い(?)を一時間。

その為に朝9時に家を出て 帰宅は17時で心身ともに疲れました。

やるだけはやった・・・という思いと、

大学病院の組織の中で 一患者は無力であることを感じ

教授の手のひらで転がされている私を実感しつつ帰路につきました。

 

車窓からは田んぼが一面に緑色に育った稲が見え 

一年前の事を思い起こしていました。

去年の六月・・・早朝散歩で 小さな社の庭掃除をしていた私は

ケアハウスを出ることなど 微塵にも考えてはいなかったのです。

しかし八月も半ばを過ぎ 稲穂が黄金色になったころ

二年以上続いた胃腸の不良と そして介護保険の調査

八月の長時間停電の際の施設側の対応などが重なり

このケアハウスを終の棲家にすることに耐え難い衝動が胸中を占領し

県の広報で見かけた公営住宅の空き家募集に 

なんの迷いも無く応募したのです。

不自由な足を引きずり新幹線を使って戸籍謄本を取りに行き

必死で書類を整え走り回ったあのエネルギーは怪物のごとき・・・と

振り返っています。

ケアハウスから700m位の所にひっそりとあった

あの小さな社は出征兵士を見送る場であり、

帰ることのなかった兵士の遺品を埋葬してあると

人づてに聞いた時、私が毎朝 掃除に通うのが義務のように

そして、五月のはじめに植えられた苗の中で無く蛙の声が爰地よく感じるのは

偶然とは思えない 因縁を感じていたのです。

 

そして 一年後の今 杉の木立ちに囲まれて心身を癒されているような

そんな思いを抱いて車窓から流れゆく田園風景を眺めていました。

 

時の流れは こうして全く予想もしなかった方向にいくのだと

改めて 今の私を考えました。

 

三年間住んだケアハウスでいろいろな出来事があり心乱したことが

よみがえりました。他県から入居した私は「流れ者」と揶揄され

そして 友人と呼べるほど 心底からの信頼関係を築ける人は無く、

いえ、施設の方針がそのような人間関係の構築を阻止していたことを

未だ 理解できないながらも、理解するに値しない問題として流す事を知り

理不尽な孤独に耐えられるほど強くない自分であったと振り返っています。

 

心開いた人達とティータイムもできず、土産物のおすそ分けも禁止されているので

風呂場で待ち合わせて受け渡しをしなければならない異常さ。

職員がゴミ袋を開けて中を検査する はしたなさに疲弊していたストレスが

胃腸の不具合として頻繁に疼痛を起こしていたのだと 今そう思っています。

 

2DKの公営住宅に一人暮らす私に、孤独感はありません。

ケアハウスでの時間割通りの生活よりも

体調にあわせて食事を作り眠り近隣を散策することが

そして週に一度 娘程の年齢のヘルパーさんとの時間

私の体調を案じつつ 機能訓練の指導をしてくれるスタッフや

利用者さんとの語らいは適度な刺激であり 楽しみでもあるのです。

しかし ケアハウスで暮らした三年間は 無意味ではなかったのです。

六十数年間 知らずに生きてきた「世間」を知ることができた時でもあり

今の私の心は 不思議なくらい穏やな感覚を実感しています。

 

又骨壊死のリスクを抱えた抜歯があり、重症筋無力症の疑いもある体調でも

天に向かって真っすぐにそびえる杉の木を見ていると

病気の事も 家族関係のことも 大した問題ではないように思えるのです。

不思議ですね。

時の流れは、何十冊の本を読むよりも奇想天外な事実を顕にするのですから。

私は 今 この時を大切に 生きていきたいと思っています。

いつか来る終わりの日まで この平安が続くことを願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大学病院という組織の中で

2017-06-21 05:19:53 | 医療と患者

昨日 大学病院皮膚科の教授と約1時間面談をしてきました。

約束より2時間早く行き、一度は蹴られましたが

医療安全推進センターに電話をかけてみました(ホームページにTEL掲載)

やはり蹴られました。大学の組織として相談窓口を通し

必要な事項だけ 推進センターに挙げるらしいです。

(だったら 一般人が見るホームページに直通電話を乗せるな!と言いたい)

 

早めに 軽い昼食をとり 皮膚科の受付に挨拶をすませました。

定刻に面談が始まりました。さすが教授・・・というか

自分の同胞も私も傷つけないような言葉を選び、一言づつ聞き取ってはくれました。

私は6個の疑問をなげかけましたが、ついに最後までしらをきられたのは

執刀医がだれであったかという事です。

少なくとも、外来に出ているドクターではないのはたしかです。

カルテにも氏名の記載が無いと言います。(嘘ですよね)

主治医である斎藤医師が「誰先生が手術したの?」と聞くことは

斎藤医師がオーダーを出したのではないことは事実として、しかし

術後の消毒依頼の紹介状は斎藤医師の氏名捺印で出されていることには

かなり ダークな裏事情を感じています。(印鑑が一人歩きするのでしょうか?)

私は医師免許の無い立場の者が 「簡単な巻爪手術」を指導医師なしで行ったと

思っています。教授は執刀者をさがすがもう半年もたっているから~・・と

濁していましたが、医療・金融の帳票は10年保管のはずですし

麻酔や手術用具を勝手に持ち出される事は無く 必ず本人、上長の捺印がされた

書類があるので、容易にわかる事と思っていますが私に明かすことができないのでしょう。

 

大学病院という組織の中で 患者は無力です。されるがままです。

医師は多くの患者の手術等の経験を積んで、時に死亡させ、一人前になると言う。

未熟な研修医が私に係ったとしても不思議ではないのですが、そこに監督医師が

居ず、謝罪もない、今後のケアーの補償すら打ち出してこないことに怒りが

こみあげていることを、お金持ちの坊ちゃん大学と言われるこの病院の医師には

理解できないのだろうか?

ややもすれば 補償金目当てのクレーム位にしか思ってないのかもしれません。

私にとって この足は 私の余生と同じなにです。

さらに歩行が困難になり転倒し、骨折が元で自力歩行ができなることは

生きている意味を狭めることになるのです。

このぎりぎりの思いを 健康で お金持ちのドクター達に理解できるだろうか?

もしも 高齢者の死亡事故であったら・・・

時間と弁護士費用と体力と・・・

かなりの重労働となるわけで 多くの被害者は途中で断念せざる得ないことを

自分の事例と重ね合わせて感じました。

大樹の力を見せつけられら昨日でした。

 

昨日の夏日とはうって変わって朝から雨がふり肌寒い一日になりそうです。

昨日の疲れがまだ残っているのでこれから先のことを静かに考える一日を

すごそうと思います。

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今日も大学病院です

2017-06-20 05:25:04 | 医療と患者

今日は 失った足の爪のことで 教授と話をすることになっています。

前回助教授が 「爪の再生は無い」と言われショックでした。

今までのドクター達はみな 違うことを言い爪が再生するかのように

軟膏を出したり・・・曖昧でしたが 事実を告げられる事も辛い事で

数日落ち込んでいました。

県域医療安全センターの方から指導され、大学病院内の医療事故専門の

窓口に取り次いで頂こうと 相談窓口の女性に取次をお願いすると

今までの優し気な態度は一変し「00先生になんの用ですか!」と

切り口上かわり 詰問的な態度で結局取り次いでもらえませんでした。

そして3日目 電話がきて皮膚科の教授からお話しするそうですが・・と。

それが今日です。

私がなぜ たかが爪1枚失った事にこだわるのか?

それは 嘘の連続だからです。

10前の巻爪手術の経験では、座って手術を見ていたので手順もよくおぼえています。

 

今回 主治医はs先生だが当日は若い男性の医師?と研修生?6~7名が待機して

始まりました。

① 骨のぎりぎりの所まで切りましたから再発はないですよ・・と医師?

② 再診の予約はなく術後の診察は無し。

③ 異変を感じ初診時の医師に写真付きで手紙を出すと1週間目に電話があり

  受診をするが、「誰先生が手術したの?」と執刀医を知らなかった。

  当然 カルテにも書かれていないのでしょう。 そして

  爪が剥がれる病気があるのよね~(爪甲剥離)を示唆するが検査等なし。

  教授も交えてカンファレンスをするからと言い写真を撮り次回は5月1日の予約

  (爪甲剥離説は調べたが 私には該当しない症状)

④ 5月1日受診 写真を撮って終わり カンファレンスの話は無し。

  次回は8月と云われ 一言申しあげ 毎月診察をすることになった。

  その日 男性医師が「再手術にはこういうリスクがあるんだよ」と言葉を

  投げ捨てたが 調べた結果 そういうリスクは無いとわかった。

⑤ 次の診察時 若い女医が「爪が伸びてる伸びてる」とはしゃいでいる。

  5mm四方しかない残存した爪の伸びが目視でわかるはずがない。

⑥ 准教授診察となったとき ブログにも掲載した術前・術後の写真を

  もって行くと 銃教授はそれ パソコンに取り込みますのでくださいと

  言われたが、すでに初診の医師に手紙と一緒に送ってある物だが

  カンファレンスで開示されていないということだと確信した。

  その日 准教授は爪を失った足指を見ることなく、何百人に一人の

  の確立ででる合併症で 爪の再生法はありませんと答えた。

⑥ 合併症について調べたが これは合併症ではないとわかる。

こうして話せば話すほど 嘘がボロボロでてくるのです。

執刀医は あれから一度も来ることは無く 今私は 彼は正規の医師ではないと

思っています。つまり・・・研修医かレジデント。

それは 術後に近所の皮膚科で消毒して貰うために出された紹介状に

執刀医の名前は無く 初診時の医師の名前ですが、私が消毒に行く

開業医の名前を告げたのは 執刀医だけですから 初診医が紹介状を

作ることは不可能です。そして初診時の医師が執刀医が誰かも知らなかった事は

だれが手術のオーダーをだしたのでしょうか?

疑問だらけです。

今日の教授との面談次第で また新たな事実が出てくるかと思います。

私が危惧するのは

巻爪の手術で、爪床も爪母も全部メスを入れてしまった手術を 若い医師の卵達が

写真をとり見学し勉強した事です。

「あれは間違いでした」と卵君たちに発表すれば執刀した医師?は大恥者ですし

そのままにしておいたら、私とおなじように爪を失う患者がまた出るということに

繋がるのです。

嘘 嘘 嘘・・・の医師達です。 転院も考えています。

 

 

 

 

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三島さん お元気でいらして何よりです

2017-06-20 05:07:51 | 読者コメント

闇多しの世界 

(三島)2017-06-19 11:09:59

ソフィアさんお久しぶりです。
ブログは毎日訪問していましたが時間や精神的なゆとりがなくてコメントはできませんでした。

田宮二郎主演の「白い巨塔」は観ていました。
個人的には田宮さんは良い男でした。
確か生い立ちが不幸であった人だったような方でしたね。
三弾銃自殺してしまったのも本人でなければ本当の理由など分からないと思うし、あくまでマスコミが好き勝手に憶測の範囲内で報じた理由しか分かりません。

どこの世界も人間関係は精神を病みます。
給与の中に我慢料が入ってれば我慢もできるかもしれないけど?県下最低受給でブラックでは私など我慢できません。

ソフィアさんのコメントにあったように(そこそこ最低水準であれども)生活が成り立って、無職の身となれば怖いものありませんしね.....??!.
又ソフィアさんのように今日まで精神面の不満と諸刃の剣をいくつも抱えて身体では様々な不調はおかしくないと思います。
私は聖書を信じているしこの世を支配している悪魔サタンを信じているし、サタンを永遠に縛り付けない限り人類に真の幸福や平和な世界などありえないと思っています。
天地万物創造主だけが知る最後の審判と新天地の来る日それしか救いはありません、、、と言いつつ本当かと思う気持ちもありこの世知辛い社会にいると目をくらませられますから。
事実聖書の真実どこまで確かなのかなど分からないという思いもあります。
その関連性で文章を書いたり公演したりする身の人はそれで利益が出ているが私たち何もない信者ですから。

 

三島さんがお元気でホットしました。

まだ見ぬ友人の三島さん事はやはり気になっていましたが、こうしてまたコメントを

拝見して安心しました。

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keiichiさんコメントありがとうございます

2017-06-19 03:06:03 | 読者コメント

なんと、まぁ~ 

(Keiichi)2017-06-18 21:13:03

私は、大学病院で清掃をしている一介の派遣社員です。
昔、看護婦さんが、「本当に腹黒い人を見たことがありますか?」と悲壮な顔で言ってきたことがあります…。医師の事を言っていました。
悪い人ばかりではないと思いますが…。
ブログ主様の健康や、その他の問題も良い方向に進むよう、心から祈っております。

 

ドークターズ物のドラマが全くのフィクションでないことを実感しています。

8年前に獨協医大病院に入院した時・・・私は人体実験そのものでした。

主治医が耳元で「4月2日までは退院させないからな!」と言い。

毎日弱い麻酔で眠らされ、気が付くと車いすに乗せられて検査室にいることが

しばしばありました。退院後 自宅のお風呂場で見た自分の姿にぞっとしました。

体中 針をさした跡か?皮下出血で紫色か どす黒くなっていました。

私は検査の同意書も書いていないし、検査に連れていかれたことすら

夢うつつです。夢の中で 全身に通電されて焼かれるような痛みと

体の筋肉が勝手に動いてしまう体験をしまたが あれは夢では無かったかも。

大学病院は教授を先頭にいくつかの派閥があるようです。

麻酔をかけられら患者はなされるがまま状態で 今回のような事故があっても

医師同士で隠蔽し合っているように感じています

 

 

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体調の良い時間

2017-06-18 05:31:39 | 医療と患者

朝 5時・・・一日の中で一番体調の良い時間です

しだいに体が重くなって 眼瞼下垂が始まって 疲れてきます。

気持ちも散漫になり、趣味の 裁縫もはかどりません。

簡単な食事を作って食べるのがやっと・・・・

 

この異常な疲労感は ひと月前位からひどくなった気がします。

夕方6時には目を開けていられないくらい ぐったりしているのも

ひと月前からひどくなったような気がします。

 

先日神経内科を受診し 重症筋無力症を疑っての検査を受けました。

結果は28日です。

 

肺炎の後少しづつ ステロイド剤を減らし5mgから 今2mgです

ステロイドを減らしてから この症状が強く出てきているように思います。

重症筋無力症も自己免疫不全疾患で治療薬はストロイドのようですから

5mgのころには何とか症状を抑えられていたのが2mgでは無理になって

きているのかもしれません。

膠原病の主治医は 肺炎の後 ステロイド剤を服用していると肺炎になりやすいから

減らしていきましょう・・と言われて減量したのですが

かえって体調は思わしくなく、 これが「医者の匙加減」というものでしょうか?

通院の翌日は頭も持ち上がらないくらい疲労しています。

やっぱり・・・なにか・・・変です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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タンバタンさん コメントありがとうございます

2017-06-17 18:44:18 | 読者コメント

Unknown 

(タンバタン)2017-06-15 22:54:27

本当に腹がたちますね。でも結果的に直していただけたので良かったです。
納得いかないこと最後までしっかり頑張れたね。凄いことです。見習いたいものです

 

  おいら 財産も名声も何もない 職もない 素浪人生活だから 

怖いものなしで ダメはダメって言って 追い出されたらマスメディアに投稿だ~い!

 ・・・こんな 破れかぶれの ばあちゃんです。

 

 県の広報室から「知事へのご意見ありがとうございました」と

     お礼状がきましたよ。 危険回避のためには発言しないと・・・ですね

 

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大学病院という組織

2017-06-16 05:19:20 | 医療と患者

巻爪の手術痕の異常を Ⅾ大学病院の医療福祉相談室に話し

准教授の説明を聞くまでに進展しましたが・・・そして

真摯に回答して頂いたのですが・・・それでは今までの医師らの対応は何?と

疑問が深まってきていました。

県の医療相談センターにもアドバイスを頂き、病院内に

医療安全推進センターという機関があるので そこのk先生にお話しすることを

お勧めしますとの事であったので、今まで院内の相談室のⅯさんに皮膚科との

取次をして頂いていたので、彼女に電話でk先生とお話しがしたいので・・と

取次をお願いすると 突然対応が変わりk先生に何の御用ですか!と切り口上になり

味方と思っていたⅯさんは反旗を翻すが如くの対応になってしまいました。

「k先生のご都合を聞いて電話をします」と言って電話を切ってから3日目の

昨日 やっと電話があり 皮膚科の教授が説明させて頂きます との回答でした。

来週火曜日に教授がどのような説明をするのか?

なぜk先生に取り次いでくれないのか?

ますます 皮膚科内のお粗末な対応、医療事故を隠ぺいする方向が感じられました。

術後 消毒を依頼した自宅に近い皮膚科医が異常を発見していれば・・と

責任転嫁をするような発言をしたり、

カンファレンスの結果報告が無かったり

執刀医は以後全く姿を見せず、再生しないと言われた手術痕を診ることもない。

一番の疑問は、主治医が「誰先生が手術したの?」と執刀医を知らなかった事です。

主治医以外のだれが 手術のオーダーを出したのでしょう。カルテに記載はないのかしら?

若い研修医を引き連れて 意気揚々と手術に臨んだ医師は 本来残すべき爪母にメスを入れて

再生不能術を披露したようです。来週 教授との面談に臨むつもりですが

安易に丸め込んで蓋をするような姿勢がみられたら

医療安全推進センター長のk先生をお訪ねしようと思っています。

大学病院内の複雑な組織で患者は誰を信じてよいのかわかず右往左往するばかりです。

再び私のような 病院で作られた障碍者が出ないことを願って

嘘・詭弁を明らかにしたいと思って 準備しています。

 

 

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お役所仕事ですね~

2017-06-14 17:35:40 | 今を生きる

5月の13日に突然停電し 急いで東電に電話をかけ復旧をかけてから

約半月が経ちました。停電の理由は分電盤の漏電センサーが作動した事。

20年余りが経ち自然劣化のようです。休み明けに公社にその旨報告しましたが、

木で鼻を括ったように 修繕は行わない。東電の作業員の費用も払わないと強気でした。

分電盤の劣化で停電して足の悪い私が転倒する危険もあり

漏電で火災になる可能性も考えるが誰の責任ですか!と食い下がったのですが

担当者は「上司が・・。経費が無い・・」と言い訳をしたまま時間だけが過ぎました。

県のホームページに県知事への提案・意見というメールの欄があるので

事のいきさつを書き込みました。それから2週間・・・

昨日 公社の指定業者が点検に来られ、漏電ブレーカーが完全に壊れていると

公社に報告を上げると もう明日の朝には分電盤の取り換えに来るというのです。

私が東電に支払った1万3千円も戻ってくるようです。

やれやれ です。

火災や暗闇の中での転倒にも至らぬうちに修繕されることになって 

ほっとしましたが、公営住宅もお役所仕事。

県知事への投稿で監督官庁から指示が出たのでしょう。

経費が無いことを理由にしていましたが 知事の一声で

不可能が可能になってしまうのです。

私は 煩い入居者と思われて居ることでしょうね。

 

5年程前に 近所のデイサービスの家屋が火災になりました。

pm8時頃でだれもいなかったのが幸いでしたが原因は漏電だったようです。

書類も何もかも消失し 管理者の方の落胆は多きい事でしょう。

団地型の公営住宅で火災が発生したら エレベーターも止まり

高齢者や幼児の生命に係ることなので 煩い入居者と思われても

知事へのメールに投稿してよかったと そう思える一日でした。

 

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まんさん タンバタンさん コメントありがとうございます

2017-06-13 21:21:43 | 読者コメント

読者登録宜しくお願いします 

(まん)2017-06-13 09:45:39

初めまして
体調が思わしくないと書いてありますが・・
誰でも何処か悪いんですね
私も同じ年代でリューマチを患っています

良く聞く話ですね
今の時代は子供はあてになりませんね
皆友達と話す時は何処も一緒ですね
くれぐれもお大事になさってください

私もブログを出しています
宜しかったら読んでください
坂之上さんぽ

 
Unknown 
(タンバタン)
2017-06-13 16:27:57
はじめまして。体調がすぐれないときはなかなか前向きになりにくいものですね。といってもひとのせいにもできないし困ったものですね。無理に子供たちに頼らず元気だったときのことを思い出したり 病気がよくなった時のことを考えてみたらどうでしょうか。
元気だしてください。 
                                     
はじめまして激励の言葉嬉しくいただきました。
ここ数日 とてもリアルな 不吉な夢ばかり見ていました。
朝 空が明るくなると目は覚めるのですが だるくて何もする気力がでず
昼間もベッドに横たわって・・・今日久しぶりに洗濯をする始末です。
起きても左瞼が下がって体に力が入らず 15日に筋無力症と脳梗塞の検査を受けに
行くことになっています。筋無力症は8年程前にもそれらしき症状があり
3週間の検査入院をしたのですが,抗体がでていなかったのでグレーのままでした。
グレーというのが一番嫌な状態ですね。
~かもしれないけど特定難病なので診断が出ないと治療もできないのですから。
寒々しい霧雨が一日中降っていたので 午後早めにお風呂に入り
髪を洗って・・・少し気分が上向きになったようです。
今も片目が二重に見えるので右目で見るようにしています。
体力の回復は焦らず、流れに任せて体が辛かったら寝る事にしています。
これが 一人暮らしの特権かもしれませんね。
子供夫婦や孫に気を遣わず 無理に台所にも立たずに居られる幸福もあると
そう 考える事にします。

 雨にけむる杉木立は
                       キッチンからの眺望です。

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無気力な日々

2017-06-12 14:12:40 | 病と共に

今週木曜日には 又 獨協医大病院の受診です。

眼瞼下垂と体に力が入らない原因を探すための検査です。

もし 重症筋無力症からきている症状だったら・・・入院。

結果は再来週の水曜日です。

なぜこんなに次々と体が壊れていくのでしょう。

今は思考力も止まり 無気力です。

愚痴を言う相手もいません。

子供たちに電話をしたところで「考えこんでもしょうがないよ」と

返ってくるのがせいぜい。

いいぇ!「いわれれも困る」と跳ね返ってくるかもしれない。

だったら言わない方が良い。これまで数回の入院で息子は保証人の立場で

病院には来たが、娘夫婦も嫁も見舞いなどには来なかったのだから

今後も期待しない法が良い。洗濯や身の周りのことはヘルパーさんが

実費(1時間2000円)でしてくれるので お金で片ずくものはその方がよい。

それにしても子供たち夫婦の気持ちが理解不能です。

 

 

 

 

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