ホビタン ~趣味の探訪~

ミニスーファミをやってます。

真田丸 いよいよ終盤へ

2016年09月19日 19時29分42秒 | 日記
まああまりブログで取り上げてこなかったのですが毎週真田丸を見ています。真田幸村ならぬ信繁の活躍?というかこの信繁さんってドラマだと完全に脇役化しています。タイトル通り真田信繁は最後の最後で主役になる方、真田丸とはそういう意味合いで付けたタイトルなのかもしれません。


真田丸とは関ケ原が終わり太平の世を迎えた中で起きた戦国時代の終わりを象徴させる戦いである大阪の陣の前半戦である大阪冬の陣にて真田信繁が気づいた高台状の陣営のことでした。それまで父親である草刈さん演じる昌幸と兄の大泉洋演じる信幸(信之に改名)に隠れて目立たなかったのですが最後の最後で幸村こと堺さん演じる信繁にスポットライトが当たったのでした。





真田丸は毎週日曜夜8時から8時45分、NHKにて絶賛放映中です。


この真田信繁ですが日陰の人生としか言えない人生でした。ドラマでも完全に草刈さんに喰われまくっている主演の堺さん、中盤より小日向さん演じる豊臣秀吉にまたしても喰われて犬伏の別れにて兄の信幸(改名前)に喰われるという始末でちょっとかわいそうな信繁さんにいよいよ主役としての役割が来るみたいな形になりました。





草刈正雄さん…もはや彼が主演のようなドラマになってますが…





秀吉役の小日向さんにも喰われまくり…





大泉洋さんにも喰われた…とにかく笑えれば…最後に笑えれば…そんな真田丸みたいな歌なんて歌わないで…





鬱積の溜まった堺さん、さあ!今こそ倍返しの時です!!



真田信繁の人生はただただ日陰、こんにちは真田幸村の名前でゲームなどで大活躍しているものの実際は最後の最後にてその名を轟かしただけでした。そんな信繁さんの人生ですが彼の人生はどうやら秀吉や家康に翻弄されていたと思えてなりません。特に終盤は家康に苦汁を飲まされ続けた人生でした。でもそんな家康と死期が近いのです。信繁の死は1615年、一方の家康は1616年でした。まあ偶然ですがちょっと真田信繁の人生を追ってみます。





真田信繁ならぬ幸村はゲームで大活躍、戦国BASARAと…





戦国無双です。両方とも同じ人が題材でも違いますね。信長の野望にも出てきます。



1567年 信繁誕生 0歳

この誕生の年は諸説あるようで1570年とする説があるようです。父親の昌幸は真田の次期頭首ではなく真田幸綱の三男坊に過ぎず当時は武藤喜兵衛と名乗っていました。この時点では真田の主軸より外れていたみたいです。信繁は日陰中の日陰でした。後にあいまみえる徳川家康ですがこの前年に元康から家康に改名、そんな家康ものちに自分を追い詰める人物が改名後の翌年に生まれたなど知りも得ないことでした。

1575年 長篠の合戦 8歳

転機は突如として訪れます。真田幸綱の長男と次男が長篠の合戦にて死亡、次期頭首に武藤喜兵衛が内定して名前を昌幸に改めます。武田の武藤氏の養子になっていた昌幸は真田の頭首となり急きょ信繁は跡取りの次男となりました。それでも次男坊、信繁の人生は次男なので冴えないようです。

1582年 武田家滅亡 15歳

真田が頼りにしていた武田が滅亡します。ここより真田家は主を探す旅に出るのです。真田丸の冒頭もこのあたりより始まりました。武田信玄の名前で戦乱の世にその名を轟かせた武田家でしたが父を超えられない勝頼のふがいなさなのか、滅亡してしまいました。信繁さんの人生はお先真っ暗でした。

1585年 第一次上田合戦 18歳

真田の主を探してのの流浪の旅が続きましてこのころは上杉家に帰属してました。その中で徳川勢と戦います。これが徳川家との因縁の始まりでしたが信繁は上杉家の人質として行くというなんともな人生と思いきや上杉影勝と仲良しになり信濃に所領を与えられることになりました。お金も千貫以上所持など人生、何が転んでうまくいくか分からないですがとりあえず安堵できそうな雰囲気の中で…

1586年 秀吉の人質として大阪入り 19歳

上杉景勝が不在時に信繁は呼び出されて突如大阪にて人質となることになりました。当時の天下人の秀吉に見初められた信繁は次第に豊臣家に毒されていきます。上杉の儀と豊臣家への熱き信望はのちの信繁に影を落としますがそんなことはつゆ知らず、状況に振り回されて信繁は豊臣家の馬廻衆になりますがまたしても信繁は1万9000石の知行を与えられるなど軽微であるものの出世を遂げました。そして…

1594年 従五位を朝廷より賜る 27歳

ひたすら秀吉に気に入られた信繁、ある時ですが信繁は秀吉(秀次ですが)により朝廷より位を賜ることになりました。この位を賜り信繁の日陰の人生は最高潮に達しました。この時ですが兄の信幸にもお願いしますと進言、真田丸の劇中にて大泉洋さん演じる信幸は自分の手柄でというよりはむしろ弟のおかげで官位がもらえたような感じなので怒り狂ってましたね。

1598年 豊臣秀吉死去 31歳

この豊臣秀吉が死去したことにより絶好調だった信繁の人生が狂い始めます。豊臣家は次期跡取りである秀次を切腹、信長の姉のお市の方の娘の茶々との間に秀頼ができたことにより秀次は追い詰められてしまったと真田丸では解釈されてました。跡取りが子供で基盤の弱い豊臣政権を事実上担ったような石田三成が豊臣を切り盛りするのですが…

1600年 犬伏の別れと第二次上田合戦、そして関ケ原にて… 33歳 

石田三成は徳川家康の排除に乗り出します。少し前に徳川家の屋敷を急襲して家康を亡き者にしようとするも傘下の武将より造反に会いクーデターに失敗します。本来秀吉の遺言である五奉行五大老により秀頼を下支えするという体制でしたがその体制のかなめとなった前田利家が死去、これにより石田と徳川の緊張状態が解除されました。その中で真田家は兄信幸は徳川方へ、父の昌幸と信繁は豊臣方につくという別れをする決断をしました。世にいう犬伏の別れ、圧倒的に数で勝る豊臣方、これでまたまた信繁さんの人生は安泰に向かうかに見えました。

そんな中で真田家はまたまた徳川家と上田であいまみえます。父の昌幸は徳川との二回目の戦いにて久々に戦で培った知恵をフルに発揮、初陣である徳川秀忠を振るいあがらせて後々使い物にならない人間にしようともくろみましたが…実はこの行為がまたまた後の真田家に影を落とすことになりました。

上田の合戦は激突すると思いきや途中で切り上げ、秀忠は家康の命を受けて関ケ原の戦いに向かいます。真田家は完全にカヤの外、これで西軍の豊臣が勝てば昌幸さんの雷鳴は天下に轟くと思ったのですが西軍の負けが知らされて茫然、昌幸と信繁は死罪こそ免れましたが紀伊国九度山に幽閉となりました。絶好調だった信繁さんの人生、一気に奈落の底に堕ちました。

1611年 父、昌幸死去 44歳

そして九度山の厳しい生活が10年近くになり父親は無念のうちに死去しました。兄の信之(家康に命じられて改名)は上田にて本領を安堵されたものの父は厳しい土地での隠居的な生活の中、その厳しさ故に寿命を縮めて後悔と絶望の海にさらされながら死んでいきました。信繁さんはもう何もなくなってしまいました。

1612年 信繁出家 45歳

父親の死により魂の無くなったかのような信繁は失意のまま出家、完全に武士としての魂が無くなってしまったかに見えました。そう、その時はそのように見えましたが…

1614年 大阪冬の陣 47歳

信繁は最後の最後で武士に戻ります。家康は豊臣家を滅せんと契機を伺っていたところにあの方広寺釣鐘事件により豊臣家に謀反の兆しありとされます。豊臣勢は諸大名の加勢が期待できないなか浪人を集めました。その中に信繁もいました。こうして信繁は赤づくめの鎧を身にまといもののふとして最後の戦いにはせ参じたのです。この時、大阪城の弱点を分かりづらくするために築き上げた土塁こそが真田丸だったのです。ですが…

1615年 大阪夏の陣 49歳

信繁最後の戦い、信繁の勇猛な戦いは実に後世に伝わるにふさわしいものでその勢いは家康本陣にせまりますが…


とまあこのあたりはぜひ真田丸のドラマで見たいものです。そう、この戦いで信繁の人生は終わりました。この翌年の1616年に家康は74歳で生涯を閉じます。そしてこの戦いより60年近くして難波戦記にて信繁の名前を記した著書より世に認知されていくようになるのでした。秀忠は昌幸により初陣を白星で飾れず挙句関ケ原に遅参してためその後上田の信之に辛く当たったようです。父の行為は真田に影を落とすも信之は徳川からの嫌がらせに備えまして最終的に上田を国替えさせられることになったのでした。そして、幕末から今日まで真田家は存続していったのです。


まあこのドラマにてもし石田勢が勝利していたら真田家はどうなっていたのかなど思わずにいられないことが多々あります。最後の大阪の陣では信繁が徳川方に来るように手配されていたのですがそれに乗らず豊臣への儀を貫いてしまいました。こうして日陰の男の人生は最後に輝いて終わったのです。その一途で忠義を重んじる姿勢があったからこそこの信繁という男が今日まで語り継がれるようになったのでしょう。


今年も9月にて11月で終了する大河ドラマ故あと数回ですが大阪の陣のくだりに話が行きます。信繁の最後の輝きをぜひ視聴したく思いますね。
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