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2008/03/17 藤原京を歩く(2) 遺跡見学の詳細

2008-03-17 20:18:20 | Weblog

■ 遺跡見学会「藤原京を歩く」

遺跡見学会「藤原京を歩く」に参加

日時 2008/03/16(日) 
集合場所 橿原考古学研究所付属博物館 13:00
解散    近鉄畝傍御陵前駅         16:50


藤原京とその周辺 数字順に見学した

見学コース

 (S) 橿原博物館 → ①橿原遺跡 → ②丈六北・南遺跡 →
 ③藤原京右京十二条四坊調査地 → ④藤原京右京十一条四坊調査地
 → ⑤藤原京右京十一条三坊調査地 → ⑥田中廃寺 →
 ⑦日高山瓦窯跡 → ⑧朱雀大路跡 → ⑨藤原宮跡 →
 ⑨A藤原宮北面西門跡 → ⑨B橿原市藤原京資料室 →
 ⑨C縄手池周辺 → ⑩本薬師寺跡 → (G) 畝傍御陵前駅 (約8Km)

見学した遺跡

①橿原遺跡

   
  ①橿原遺跡付近、右側が陸上競技場

  この遺跡の調査は1938年~1940年にかけて行われ、縄文時代晩
  期の土器や土偶などが多く出土した。また、飛鳥~奈良時代を中心
  とした井戸が22基調査され、多くは藤原京に関わるものと考えられる。

②丈六北、南遺跡


  ②丈六交差点

   橿原遺跡と同じ時期に調査され、飛鳥~奈良時代の井戸や、柱、
  礎石などが発見された。宮殿(舒明天皇の厩坂宮)や(厩坂寺)の跡
  とも推測されているが、明らかではない。

③藤原京右京十二条四坊

   
  ③藤原京右京十二条四坊付近 石川池

   藤原京の南限に関しては、いまだ確定していない。しかし、この調
  査では十二条大路の北側溝が確認され、部分的にせよ十二条大路
  が実際に造られていたことが明らかになった。この溝は現在まで最も
  南で確認された条坊関連遺跡。

④藤原京右京十一条四坊

   下ツ道に関するこの場所では、十一条条間路が推定される所で東
  西の大溝(幅6~7m、深さ1.4m)が確認された。また、西四坊坊間
  路推定部分では大溝に掛かる橋脚がみられた。この大溝は3回調査
  され、総延長は150m以上ある。西では下ツ道東側溝につながると考
  えられ、東ではやや南に振る状況も明らかになっている。位置や規模
  から物資を運ぶための運河としての性格も考えられる。また、大溝か
  らは金属製人型、人面墨書士器、士馬といった飛鳥~奈良時代の祭
  祀具がまとまって出土しており、ここでも大規模な祭祀が行われたこと
  を示している。そして、その時期が藤原京期から平城京遷都後である
  ことも重要で、付近が特別な性格を有していたことが推測される。

⑤藤原京右京十一条三坊

   




  ⑤藤原京右京十一条三坊付近 発掘現場 

  発掘現場を見るのは初めて。道とか側溝とか柱の跡とか実感した。

⑥田中廃寺


  ⑥-1 田中廃寺 少し高いところ(ブランコあたり)に基壇があった


  ⑥-2 田中廃寺 少し高い竹やぶのところに基壇があった。⑥-1より約100m
      東北東にある

   曽我氏の傍系氏族である田中臣の氏寺とされ、周辺は舒明天皇の
  田中宮の推定地でもある。現、法満寺の境内には礎石があり、その
  西方の「弁天の森」と呼ばれる土壇は金堂跡と推定されている。創建
  時の軒瓦は山田寺式の単弁蓮華文軒丸瓦と重孤文軒平瓦の組み合
  わせで、7世紀の中頃です。また、調査では藤原京の条坊によって寺
  域が縮小されたことが明らかになっている。

⑦日高山瓦窯跡


  ⑦日高山瓦窯跡付近 スタッフの方々。右から解説役の濱口和弘氏(サングラ
   スの人)、大西貴夫氏、マイク・FM放送担当の男性2名、交通整理等の女性
   数名。

   藤原京の瓦を焼いた窯で、丘陵の北西斜面に4基の窯の存在が明
  らかになっている。1号窯は階段を持つ登窯で、2、4号窯は日乾レン
  ガを積んで側壁とする平窯。2種類の窯が存在することが特徴と言え
  る。

⑧朱雀大路跡


  ⑧朱雀大路跡

   藤原京の中心を南北に通る道路で、藤原宮南面では両側溝の中心
  間距離で25m、宮内の先行条坊では同じく16mの規模が確認されて
  いる。
  また、南側では日高山を造成して道を造っている状況が明らかになっ
  ているが、飛鳥川より南では明確ではない。一方の北側では、耳成山
  をまたいだところで東側溝が確認されている。

⑨藤原京跡


  ⑨-1 藤原宮平面配置図


  ⑨-2 門の復元写真、平城京と同じようなのが12基あったとされる


  ⑨-3 藤原宮跡 朱雀門から大極殿跡に向かって歩く


  ⑨-4 大極殿跡


  ⑨A 北面西門跡 矢印が礎石


  ⑨B 橿原市藤原京資料館


  ⑨C-1 西面南門付近、縄手池


  ⑨C-2 西面南門跡 基壇のレプリカ

   藤原宮の周囲には大垣がめぐり、各辺に3つずつ門があった。門は
  基壇の上に建つ礎石建物で、正面5間、側面2間の瓦葺。柱間は17尺
  (5.0m)に復原され、平城宮朱雀門と同じ規模。また、門号として出土
  木簡などから北面西門が海犬養門、北面中門が猪使門、北面東門が
  蝮王門、東面北門が山部門、東面中門が建部門、東面南門が少子部
  門と呼ばれたと推定される。また、大垣にはぜん地、濠と広い外周帯
  がともなうのが藤原宮の特徴。

 ⑩本薬師寺跡


  ⑩本薬師寺跡 夏になると一面に『ほていあおい』が開花する

   天武9年(690)に天皇が皇后の病気平癒のために発願した。塔を2
  基持つ点がこの伽藍の特徴。また、伽藍の下層から藤原京の条坊道
  路が確認され、藤原京の造営開始が680年をさかのぼることも指摘さ
  れている。


■ 散歩道にて

 
2008/03/17 17:53


■ きょうのタマちゃん

 




   



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