ユダヤ音楽・イスラエル音楽・イスラエルの歌のブログ

ユダヤ音楽、イスラエルソング、ヘブライソング、イスラエルの歌ついて紹介。イスラエルの歌手・作曲家・作詞家・音楽家訪問記。

ネシャマー・カルリバッハさん「オッド イシャマー」

2016年05月04日 | イスラエルの歌
花婿の声と花嫁の声が、ユダの町々において、またエルサレムの巷で
再び聞かれるだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=zhcUi4aa4k8


月刊誌「みるとす」の4月号の「イスラエルの音楽家との出会い」は
シュロモー・カルリバッハさんの娘さんのネシャマー・カルリバッハさんを
書かせていただきました。 

   


その中で
「ヨシヤ、ホロコーストで多くのラビたちが亡くなっていったわ。
そして多くの歌もなくなってしまったの。だから父はユダヤ音楽を掘り起こしたの。
シュロモー・カルリバッハはユダヤ音楽の父だわ。
彼が作曲した結婚式の歌で「オッド イシャマー」という歌があるの。



この歌は確かそうね、1970年ごろだったかしら?
ニューヨークの姉妹の結婚式のために作曲したのよ。
ヒトラハブートするメロディーなので、「ハシディック・ソング・フェスティバル」で
ツェメド・レイームというグループが歌って賞を取って、
今では結婚式のときよく歌われるようになったの。



父がいなかったら結婚式の歌にしても、いろいろな歌にしても残らなかったわ。
父がユダヤ音楽をもう一度復興させたのよ」
と「オッド イシャマー」の歌のことをネシャマー・カルリバッハさんが
話してくださいました。




紙面では全て書ききれませんでしたが、この聖句は「オッド イシャマー」は
(エレミヤ書33章10節)歓喜の声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声が、
ユダの町々において、またエルサレムの巷で再び聞かれるだろう。から取られています。




「オッド イシャマー」はイスラエルの結婚式で広く歌われており、
この曲以外に数種類のメロディがあります。結婚式では、花婿が花嫁のところに行きます。
そしてゆっくり音楽が始まります。その後喜びで踊ります。
リズミカルに一時間でも二時間でも踊りつづけます。




この歌はエレミヤ31章15節~16節「主はこう仰せられる、
『嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞える。ラケルがその子らのために嘆くのである。
子らがもはやいないので、彼女はその子らのことで慰められるのを願わない』。



主はこう仰せられる、
『あなたは泣く声をとどめ、目から涙を流すことをやめよ。
あなたのわざに報いがある。彼らは敵の地から帰ってくると主は言われる。
あなたの将来には希望があり、あなたの子供たちは自分の国に
帰ってくると主は言われる』」
のもう一度離散の地からユダの地に帰ってくるという
預言の書が背景にある歌です。




聖書中の預言のなかには、救済・慰めの預言もあれば、厳しい預言も存在します。
エレミヤの預言は大部分が神殿崩壊に代表されるような厳しい預言、
ユダヤ民族の過酷な運命に関わる預言が多いですが、慰めの預言もいくつかあります。




預言をするとき
「主は仰せられる」と使いますが、このように何度も使うときは、
エレミヤが良い預言のときです。またこの題名にもなっています。




「オッド」という言葉は再びという意味ですが、また未来を表す言葉でもあります。
ある日が来るだろうと未来を表している。またさらに喜びが来るだろうということを
「オッド」で表しています。

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ナオミ・シェメルさんのユダヤ精神の贖いとは

2016年03月21日 | イスラエルの歌
以前イスラエルの女優リフカ・ミハエリさんに取材に行ったときです。
親友のナオミ・シェメルさんがラジオ番組のインタビューで
ユダヤ精神の贖いについて語られたときのことを話してくださいました。



「土地の贖いと言語の贖いという
2つの奇跡の後にやってくる奇跡とは、
ユダヤ精神の贖いだと私は信じています。


最初の2つの奇跡について、
私は子供時代から聞かせられながら育ってきました。
しかしこの2つは、
当時起こりえないことと考えられていました。


なにしろそのころの土地はやせ細り乾ききって、
実りの乏しい土壌でした。


マーク・トウェインの
「マサア タアヌゴット レエレツ ハコデッシュ」を
100年以上前に読んでみたとしましょう。
当時の土地のありようがたやすく理解できます。


こんにち、土地は回復し、
ヘブライ語も日常言語として成立しています。


そしてユダヤ精神が将来数世紀に
亘って根付いてゆくかというと、
はなはだ心もとないです。


しかしかといって当世の世俗的なユダヤ精神にも
それは為し得ないであろうと思います。
それはあくまで一時的なものに
過ぎないからであるからです。


依然として辻褄は合わず、
ユダヤ精神の残り火は未だ
くすぶり続けています。


そして私たちは新しいユダヤ精神を
表現してゆくのであります。
世俗的でない、まったく別のそれを。


そして次の世代に遺産として
受け継がねばならないと思っています」。



※マーク・トウェインはアメリカ人小説家で 1867年にパレスチナを訪れ、その時の心証を綴った「マサア タヌゴット レエレツ ハコデッシュ」は著書「The Innocents Abroad」に収録され、ヘブライ語にも訳されている。 「トムソーヤの冒険」「ハックルベリーフィンの冒険」などが主な作品
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取材の時差ボケは大変だ。

2016年02月27日 | イスラエル音楽家訪問



ふと過去のイスラエル音楽家取材はどうだったか少し振りかえってみた。



イスラエル音楽家取材の初日は大変だ。
現地迄飛行機を乗り継いで1日がかり。
トランジットがまた大変だ。
空港職員からの質問に1回でも
イエスと言ってしまうと、別室へ。
精神的に参ってしまう。



現地に着くのは真夜中。
おまけに時差が7時間。
しかし休むことは出来ない。
ホント初日の取材は体が
クタクタになってしまう。



この7時間の時差には
2週間~3週間の取材滞在中
いつも悩まされる。
取材中のうとうとは、
何とかしなければいけないと思うのだが・・・。



そしてやっと慣れたと思う頃には
いつも帰国のときだ。
日本に帰ってからがもっと大変だ。
時差ボケが治るには1ヶ月かかる。
適応力の足りなさに情けなく思う。




取材中の時差ボケは、
私の場合なぜか知らないが、
夕方急に眠けが襲ってくる。



以前バルーフ・ハヤット氏の
取材のときなどは、
ご自身の曲コル ハオラム クローを
ギターで演奏してくださるというのに
演奏中、眠気が襲い夢の中に。



失礼なことをしてしまった。
取材中は緊張感があるので良いが、
気を緩めたときに失敗する。




うーん、時差ボケ・・・、ない人もいるんだけど。





(写真は不覚にも、コル ハオラム クローという曲を聴きながら眠ってしまった筆者)
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ダニー・ゴランさん

2016年01月02日 | イスラエル音楽家訪問


前回の「みるとす」誌(10月・12月)の
音楽エッセイで詳しく紹介したダニー・ゴランさんです。



2年前の12月、音楽プロデューサーの
ハナン・ヨベル氏から
「ヨシヤ、今は表立って活動はしていないけど
聖なる凄い歌手がいるので、会ったらいいよ」
と勧められてダニー・ゴランさん宅に訪問した。



確かに彼の顔を見ると、
聖なる雰囲気を醸し出していていた。
オーラは感じるものなのだと思った。
近寄りがたいほど雰囲気を感じた。



私は最初彼に「ハコーテル」という歌を
歌ってほしいとリクエストをすると
彼はギターを持って弾き語りを始めた。
すると瞬く間もなく聖なる雰囲気が
部屋いっぱいに響き渡るのを感じた。
思わず鳥肌が立った。



取材の最後私は彼に思い切って質問した。



「私は、ダニーさんが歌われた
「ハコーテル」の歌声に心の底から感動しました。
出来れば多くの人に聞いてもらいたいと思いました。
ぜひもう一度音楽活動を
再開する気持ちはないのですか?」






しかし彼はゆっくり首を横に振った。
「もうそれはありません。歌は神への祈りだからです」



うーん、彼には欲と言うものがないのか?



今まで私は数多くのイスラエルの音楽家を取材してきたが、
自分が1番になるために、自分が有名になるために、
日々しのぎを削っている生々しい現場を見てきた。
しかし神のために、歌は祈りだというそのためだけに
歌っている音楽家と出会ったことはなかった。



音楽と言うものはもともと自分のためにではなく
天地創造したもう神への賛美なのではないのかと言うことを、
ダニー・ゴランさんに会って改めて感じさせられた。



詳しくは「みるとす」誌(10月・12月)に書きました。


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ナタン・シャハル博士

2016年01月02日 | イスラエル音楽家訪問
前々回の「みるとす」誌でご紹介しました
ナタン・シャハル博士さんです。
私のユダヤ音楽の先生です。




ベングリオン大学とクファルサバに
あるベイトベレルで
音楽学とユダヤ音楽の歴史の
教授をしていました。



彼は1937年、
キブツエインハロデに生まれました。
音楽は特に習ってはいませんでしたが
小さい頃から
ピアノの演奏をすることが出来ました。



1956年~1959年まで
エルサレムミュージックアカデミーで
音楽の理論とピアノを学び、
その後バルイラン大学で
音楽学を学びました。



ヘブライ大学ではドクターもとられ
その後教鞭をとるようになりました。
こんなすごい先生から
イスラエルに行ったときには
ユダヤ音楽の個人授業をしてくださいます。






「みるとす」誌にも書かせていただきましたが
2008年にナタンさんは
奥さんと一緒に日本に観光旅行来られ
私たちは東京で再開しました。



写真はしゃぶしゃぶを食べに
日本料理店に行った時のものです。
日本の肉があまりにも柔らかいので
いたく感動されていました。
店内のBGMが日本の音楽でなかったことには
大変不満を持っておられましたが
そのことも忘れるほどに
柔らかい肉を堪能されていました。

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イェススム ミドゥバル ベツィヤ

2016年01月01日 | イスラエルの歌
(写真はイヌワシサフラン)


イェススム ミドゥバル ベツィヤ
(荒野と砂漠は楽しむ)

荒野とかわいた地とは楽しみ、
さばくは喜びて花咲き、さふらんのように、
それは荒野に水がわきいで、
さばくに川が流れるからである。
              

      

この歌はダヴィッド・ザハヴィが作曲しました。



イスラエルでは水が不足しています。
1956年、砂漠にも人が住めるようにするため
ガリラヤ湖の水をネゲブに送る計画を立てました。



「イェススム ミドゥバル ベツィヤ」という歌は
そのガリラヤ湖からネゲブに向けての
導水管設備工事が完成したとき、
聖書(イザヤ書)からこの聖句を引いて
作曲したものです。



ダヴィッドははこの聖句が浮かんだとき、
一瞬にメロディーが湧いてきました。
そしてネゲブでの完成式典に出かけていって
彼がこの曲をそこで歌いました。
皆は心から喜びました。



「イェススム(荒野と砂漠は楽しむ)」
という最初の言葉が大切です。
この楽しむという言葉は「喜び」
という意味があります。
この歌は「ネゲブに水が湧いた」
という喜びの歌です。



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アルツァー アリーヌー

2016年01月01日 | イスラエルの歌
(写真は授業風景2009年12月)


アルツァー アリーヌー

この歌の作詞者はポーランド出身の
シュモエル・ナヴォン(1904-1996)で、
彼は1926年にイスラエルに帰還してきました。



覚えやすい歌詞で、
集まってダンスを踊るような時に
この歌が歌われていました。



第二次、第三次帰還者は
社会主義の帰還者と呼ばれていますが、
その価値観の相違から
宗教的なもの対して排他的になり、
革新の気風がありました。



音楽の分野でも、
聖書を出典とする曲は
あまり流行りませんでしたが、
この曲は踊りの曲として
うってつけでしたし、
曲調が当時の新風を求める風潮と
あいまって非常に親しまれました。




(2009年12月 元ベングリオン大学教授 ナタン・シャハル博士(ユダヤ音楽・音楽学教授)の勉強会より)
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キブツと音楽家

2015年12月28日 | イスラエル関連
(写真はナオミ・シェメルが生まれ育ったキブツ・キネレット)



全てのキブツは、必要な物資を
自給自足でまかなう生活共同体でした。
キブツ一つひとつが、
キブツ員それぞれの能力と必要性に応じて、
運営される社会主義的な一単位でした。



また、それらのキブツは
イスラエル全土に点在していたため、
文化的な面でも自給自足でした。



それぞれのキブツで、
音楽を知っているものは歌い、
もしくは祝い事の場などで演奏し
、または作曲などを行い、
ダンス・舞踊に秀でている者はそれを披露し、
もしくは他の者に手ほどきをし、
というようにそれぞれが
各々の才能を発揮していきました。



キブツ出身の音楽家は
キブツ・ナアンの作曲家
ダヴィッド・ザハヴィを始めとして、
キブツ・ベイトアルファのナホム・ヘイマン、
キブツ・ヤグールのヨラム・テハレブなど、
枚挙に暇がありません。



またナオミ・シェメルや
作曲家のマティ・カスピ氏も
同じくキブツ出身です。



そして私のユダヤ音楽の先生であるナタン・シャハル博士も
キブツ・エンハロデで生まれ育ちました。


(ユダヤ音楽第一人者 ナタン・シャハル氏)
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エレヴ バー

2015年11月23日 | イスラエルの歌
夕陽が村全体をまっ赤に染めるころ
羊の群れは村道に
ほこりをまきあげながら帰って来る
まだ遠くにいる羊たちは
鈴を鳴らしながら
陽をあびて長い影を落としている


また夜がやって来た





1960年、イスラエル音楽の活性化のために
第一回イスラエルソング・フェスティバルが
開催されました。
そしてこのフェスティバルで
「エレヴ バー」が第一位に輝きました。
この歌の作詞はオデッド・アヴィシャル、
作曲はアリエ・レヴァノンです。
アリエがピアノを弾いてその場で作曲し、
出来上がった曲をオデットが作詞しました。




この歌のテーマは村の羊飼いや、
夜の静けさといった牧歌的な風景です。
その当時はロックンロールに代表される
アメリカ音楽が台頭してきた時代でしたので、
それに対して異なる価値観を
投げかける存在でした。
現在でもダンスの曲として有名です。
フェスティバルでは審査委員会が組織され、
ヘブライ語の専門家や音楽の専門家もいました。



1967年、「黄金のエルサレム」もフェスティバルで発表された
数日後に六日戦争が勃発し、一躍イスラエルの代表的な歌になりました。
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シュロミート ボナー スカー

2015年09月20日 | イスラエルの歌
今年の仮庵の祭りは9月28日-29日になります。


仮庵の祭りに歌は少ないのですが
ナオミ・シェメルさんが作詞・作曲した
シュロミート ボナー スカー
と言う歌があります。



彼女は1974年、
ヨム・キプール戦争の翌年に作りました。
歌詞中のシュロミートという
少女の名前のなかに
「シャローム(平和)」が
おり込まれています。
ナオミさんの近所に
同名の少女が住んでおり、
庭にスカー(仮庵)を建てているのを見て
子供の歌として作りました。



ちなみにボクはこの歌が好きです。



「仮庵の祭り」はユダヤ暦ティシュレイの
月の15日から1週間行います。
子供たちが主体となって家の外や屋上、
ベランダに、スカーと呼ばれる
葦簾張りの仮庵を作り、
秋の収穫物で飾ります。



紀元前13世紀にイスラエルの祖先が
エジプトを出た後、
40年間も荒野で天幕生活をしつつ、
神に守られた歴史を偲び、
砂漠で過ごした40年間を記憶するために、
スカーの中で食事し
追体験しながら生活します。


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ナタン・シャハルさん

2015年06月28日 | イスラエルの歌
今月号の「みるとす」誌の音楽エッセイには、
イスラエルのユダヤ音楽研究の第一人者の
ナタン・シャハルさんを載せていただきました。



ナタン・シャハルさんは
ベングリオン大学のクファルサバにあるベイトベレルで
音楽学とユダヤ音楽の歴史の教授をしていました。



彼は1937年キブツエンハロデに生まれました。
音楽は特に習ってはいませんでしたが小さい頃から
ピアノの演奏をすることが出来ました。



1956年~1959年までエルサレムミュージックアカデミーで
音楽の理論とピアノを学び、その後バルイラン大学で
音楽学を学びました。ヘブライ大学ではPHD・ドクターもとられ
その後教鞭をとるようになりました。



このとき私は取材ではなく、ユダヤ音楽を学ぶという目的で訪問しました。
紙面には、その中から思い出深い2曲のことを中心に書かせていただきました。



私の体調は、相変わらず大きな波がありますが、
少しずつは良くなってきていると思います。
Sさんにありがたい助言をいただきました。レアット、レアットでいきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
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日本人は外国人から若く見られる。

2014年11月29日 | イスラエルの歌
イスラエルの歌手サリー・アフィーク・ツバイク。
名曲「イェディッド・ネフェシュ」の作曲者としても有名だ。
普段は普通のおばさんだが、
ギターの弾き語りをすると一転雰囲気が変わる。



神秘的というかユーディト・ラビッツのような
少しオーラがかかって、
あの気だるそうな歌い方に少し似ている。
感性のかたまりのような人だ。



そして彼女から取材中よく言われることは、
日本人は実年齢よりも若く見られることだ。
ボクは20歳も若く見られてしまった。
最初は冗談かお世辞だと思っていたが、
そうでないらしい。



サリーは取材よりもこちらの方が関心があり、
何度も若さを保つ秘訣を聞かれた。



日本人は外国人から若く見られる。
この年齢になるととってもいいことだと思ってしまう。
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イスラエル音楽家取材のこと

2014年10月04日 | イスラエル音楽家訪問
イスラエル音楽家取材で、ナオミ・シェメルさんと、
オーリー・ハルパズ氏に会えたことは
音楽家取材を続ける上で大きかった。
プライドが高い音楽家は素人とは会わない。
そこで日本人の不得意な自己主張していけなければいけない。


そこでナオミから取材をし、オーリーからギターを習ったと話すと
態度が一変して一目置かれる。それだけで信頼される。
それは音楽家の方々自体、ナオミが雲の上の存在であり、
会うことが不可能だからだ。
どれだけこれでスムースに取材が出来たかわからない。


お二人には心から感謝しなければならないと思っている。
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今月の「みるとす」誌の「イスラエル音楽家との出会い」

2014年08月11日 | イスラエルの歌
現在隔月刊雑誌「みるとす」の「イスラエル音楽家との出会い」の連載をさせていただいています。
今月号は「ヌリート・ヒルシュさんさん(下)」を掲載させていただきました。


ヌリートさんはイスラエルを代表する作曲家で
私にとっても一番最初に取材した方でホント懐かしいものです。


前回号はヌリート・ヒルシュさん宅を訪問しましたが、
最初の取材で、緊張の連続。次々起こる私の失敗の連続。
ヌリートさんに、いやな思いをさせてしまいました。


最後にはせっかく彼女作曲の「オセー シャローム」の
ピアノの生演奏を録音した、録音テープを
捨てることになってしまった失敗談を書きました。
あのときはホント申し訳ない思いでいっぱいでした。


あれから18年、今年1月、
音楽プロデュサーのハナン・ヨベル氏を通して奇跡的な再開。
今月号は、もう一つの代表曲「バシャナー ババア」の
曲の背景の真実も聞かせていただきました。



今年1月、音楽プロデュサーのハナン・ヨベル氏を通して奇跡的な再開をし、ヌリートさんから取材。


音楽家エッセイは、2009年から書かせていただいています。
イスラエルの歌の作者の家に直接訪問し、生の声を取材したものです。
私の拙文で、読者の方に大変迷惑をかけていると思いますが、
一度機会がありましたら、よろしくお願いいたします。




よろしくお願いします。
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日本のフォークソングとイスラエルのフォークソングの共通点?

2014年08月11日 | イスラエルの歌

私のギターの先生パルバリームのギタリスト、オーリー・ハルパズ氏。
オーリーさんは日本の歌の「昴」「いい日 旅立ち」が大好き。
あの少し物悲しいメロディーがイスラエルの人にとって合っていると言われた。
歌詞を作詞家エフード・マノールにつけてもらいたかったと言ったほど。


確かに「ウフ・ゴザル」や「ハイッシュ ハフー」などの歌は
日本のフォークソングのメロディーに近い?

オーリーさんはイスラエルNo1.のギタリストなのに、
ユーモアたっぷりの気さくな良い人だ。そして会話の8割はジョーク。
日本からお土産をたくさん持ってくと
「ヨシュア、いつから君はサンタクロースになったんだい?」



いつもこんな感じです。
でも今はイスラエルの状況とても心配です。

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