イスラエルソング

イスラエルの歌手、作曲家、作詞家の方々の訪問記。

『魂を癒やすユダヤの旋SHALOM』ミルトス社

2017年01月04日 | イスラエルの歌
ミルトス社の音楽CD付きイスラエル写真集
『魂を癒やすユダヤの旋SHALOM』。

この繊細な編集プロデュースは
イスラエルでも中々ないのでホント貴重なCDです。
中でも「ハコーテル」と言う曲は圧巻でした。

私は以前月刊「みるとす」誌のエッセイに
この曲を取り上げましたが、
作者が訴えたいあのもの悲しさを、
見事繊細さが光る音楽で表わしていました。

その「みるとす」誌に寄稿したものと
少し重複しますが書いてみます。







この「ハコーテル」の曲は、
悲しいと言うよりも、物悲しい
と言った表現の方がよいのだろうか。
エルサレムが奪還されるために、
どれだけの人の祈りをしただろうか。
そんなことを感じる
胸が張り裂けそうになるメロディーだった.



作曲者ドゥーヴィー・ゼルツェルさんは
インスピレーションでメロディーが湧いた
と言ったが、このことが聞いていてよくわかった。
歌が終わると、彼はゆっくりとカセットの
「stop」のボタンを押し、
この曲について再び語り始めた。



「ボクは曲ができたので、
すぐに友人の作詞者
ヨッスィ・ガムズに電話で
詩をつけて欲しいと言ったんだ。
彼もこの興奮を詩に表したいと思い、
すぐに解放されたばかりの西の壁に走った。


すると少女というか、そうだな・・・
若い婦人が壁に向いて立っていたんだ。
作詞者ヨッスィが言うのには、
この詩の冒頭
『少女が壁に向いて立っていた。唇とあごを近づけた』
とは、直接的には言ってないが
壁にキスするためだった。
この少女の若き主人、
あるいはボーイフレンドかもしれんが
六日戦争で亡くなったからだ。


当時の軍隊の首長ラビ、シュロモー・ゴーレンが
大きな歓喜の中で
「トゥトゥトゥ・・・」
と角笛を吹いていた。
その角笛の鳴り響く中で、
彼女は彼(作詞者・ヨッスィ)に言ったんだ。
『この角笛の音は非常に強い音です。
しかし「沈黙(静けさ)」は
その大きな鳴り響く
角笛の音よりももっと強い』」。





「えっ!?ドゥ、ドゥーヴィーさん、
角笛の音より沈黙の方が強いとは
それってどういうことですか?」

彼が話している途中だったが、
私は思わず聞いてしまった。
突然横やりが入ったみたいで、
彼は少し戸惑った表情になった。



そして少し間をおいて、
腕を組みながらゆっくり語り始めた。

「うーん、そうだなぁ・・・
それは、すなわち時には沈黙というものは、
魂からの叫びや身をよじるような
悲しみの泣き声を秘めている。
そしてその沈黙の声の方が強い。

角笛の音は、自分達は勝った、
エルサレムを征服した、
という勝利の喜びの声だ。

しかし沈黙はたくさんの
ユダヤ人やアラブ人兵士、
両方の側に生命と血が流されたと
いうことを言っているんだ。
その喜びの背後に生命をささげ
血を流したということを忘れないで
欲しいということなんだ
ヨシヤ、わかるか?


まぁいい・・・
この歌の詩というものは、
作詞者ヨッスィが西の壁に行って、
実際見た情景や心情を書いているんだ」



彼はこのように歌詞の意味を一つひとつ
説明していってくれた。
それは作者しかわからない貴重なものだった




(作曲者ドゥーヴィー・ゼルツェルさんからの手紙)


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「バシャナー ハバア」の作詞者が話した本当の意味

2016年12月31日 | イスラエルの歌
(写真左 エフード・マノール氏 亡くなる6か月前)


「バシャナー ハバア」と言う歌は
来年こそ!どんなに素晴らしい年となるだろう!
と言った希望に満ちた歌です。


この作詞者イスラエルの代表的作詞家
エフード・マノール氏に
2005年私は彼の代表曲の「バシャナー ハバア」
の曲について取材しました。


7年前に「みるとす」誌にも書いたので
重複する部分もあるが
少しだけそのことを書きます。


レストランでランチしながらの取材になった。
エフードさんの話す速度はゆっくりゆっくりだ。
それは相手のことを考えてのことである。




「いつから作詞を始めたかって?
ボクが作詞をはじめたのは
14歳の頃だった。
アメリカの歌にあこがれ、英語の歌に
ヘブライ語を当てて詩を作り始めたんだ。
しかしボクが15歳のときに、
そのいちばん精神的な支えとなっていた
父親が亡くなり大ショックだった。

続いて1968年には最愛の弟までも
戦争(スエズ運河)で亡くしてしまい、
ボクはもう立ち上がれないほどの
ダメージを受けたんだ。
ヨシヤ、分かるだろ?
実はそんな悲しみの中から
『バシャナー ハバア』の曲を作った」


「えっ?バシャナー ハバアって
来年こそは素晴らしい年になるんだろう
といった希望の歌なのでは?」
私は思わず聞き返した。


彼は目をつぶり
腕を組んだままポツリポツリと話し始めた。


「そう。もちろんこの歌は希望の歌だ。
しかしボクにとっては違う意味を含んでいるんだ」


「違う意味?」


「そうだ、現実には
父と弟は死んでいるのだから
絶対に会えない。
そうだろ?
しかしどうしても会いたいんだ。
もう一度家族と一緒に。






(歌詞の海岸沿いとはカイザリヤの海岸)


そんなかなわぬ願いを歌に託して、
比喩的表現を使って作ったんだ。
つまり反語なんだ。
『バシャナー ハバア』の歌は
来年に向かっての喜びの歌であるとともに、
ボクにとってはの父親や弟に対する、
深い熱い思いが込められた魂の歌んだ」。


「ヨシヤ、今ボクが言ったことが理解できたか?」
「済みません。いや、正直よく分かりません」
「なぜ謝る?謝らなくてもい。・・・無理もない」
「そんな、こんなことイスラエルの人たちも知らないのでは?」
「そうだ、ほとんど知らない」

「え そんなこと私が聞いていいんですか」


「もちろんだ。ヨシヤがイスラエルの音楽を学ぶ
においてはこういうことも聞いておいた方がいい。
イスラエルの音楽には複雑な側面がある。
ユダヤ民族が歩んだ迫害の歴史もあり、
どんな楽しい明るい曲でもどこかに悲しみ、
寂しさを秘めているんだ」




レストランで食事をしながらの取材だったが、
あっという間にすぐに人々
に囲まれてしまうほどだった。
司会業、翻訳などもされ、有名な方だったからだ。


そのイスラエルの代表的作詞家
エフード・マノール氏が
亡くなられてもう11年が経つ。


もちろんこの歌は
「来年こそどんなに素晴らしい年となるだろう!」
という希望の歌である。
その一方、作者にはこういう思いもあるのだということも
知っていただきたいと思って書いた。


最後一言書いてもらったが、
「シャローム、レヒトラオット」の文字が
現実になるとは・・・






うーん、やっぱり寂しいね。






















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「レマアン ツィヨン」の歌の意味

2016年12月24日 | イスラエルの歌
「みるとす」誌の4月、6月号には「レマアン ツィヨン」という
歌の作曲者のベンツィヨン・アロンさんのことを書きました。
その「レマアン ツィヨン」の曲の意味を彼が話した場面を少し書きます。




作曲者のベンツィヨン・アロンさんは
両手を大きく広げて語る。
自宅に迎えてくれた時もこのポーズだった。




そうだなあ・・・・
「レマアン ツィヨン」はボクがイザヤ書を
深く読んでいたときに湧いてきたメロディーなんだ。
ボクの名前はベンツィヨン(シオンの子)なので
イザヤ書には特別な思い入れをもっているんだ」。





貴重な話だ。インスピレーションとは
突然雨が降ってくるもののようだと思っていただけに、
やはり聖書が大切なのだと再認識させられた。
しかしイスラエルの作曲家が作曲するときに、
音楽理論でするのではなく、インスピレーションで
作る人が多いのには本当に驚く。
ユダヤ人はそれほど感性が強いということなのか。



「ボクは色々な国を訪れたが、エルサレムが一番美しい。
そのエルサレムを夢見ているときの喜びを映し出す歌が
『レマアン ツィヨン』なんだ」



すると彼は机の上に置いてあった
聖書を開きながら歌詞の意味も教えてくれた。



「『異邦人たち(もろもろの国)』の言葉は重要だ。
真のエルサレムの救いがなるためには
そこに神を慕う異邦人がいなければならないんだ。
全ての人がユダヤ教徒になればいいというわけではない。
なあ そうだろ?
つまり君たちの存在も大きいということなんだよ」。



彼は立ち上がり、両手を大きく広げたまま、
目線を少し上続けて語り続ける。







「『義』いう言葉も大切だ。義はエルサレムの象徴だ。
タルムードでは義にはふたつの意味があるんだ。
ひとつは人をさばくための義と
もうひとつは人を救うための愛と哀れみを含んだ義だ。







『シオンの義が朝日の輝きのようにあらわれいで』の
『朝日の輝き』という言葉は、輝く星を指し、
聖書では光を意味している。光が全てを照らすように、
エルサレムが世界を照らすようにという意味なんだ」。






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ハヌカ祭・マオズ ツール(岩の砦よ)

2016年12月23日 | イスラエルの歌
(ハヌキヤに火を灯す「イェディド ネフェシュ」を作曲したサラ・ツヴァイクさん)

マオズ ツール(岩の砦よ)

「Maoz Tzur」もしくは מעוז צור
でYou Tubeで検索すると動画が見れます。



この歌はハヌカの祭りのときに歌います。
歌詞は詩の中でも最も古い詩です。
モルデハイ・イツハクハザクが書きました。



この歌はユダヤの曲の中でも一番のヒット曲です。
1000年近くたって今もなお歌われています。
モルデハイは1082年、第三次十字軍遠征の頃書きました。
この十字軍遠征で多くのユダヤ人が殺されました。



ハヌカの祭りは聖書に出てきません。
聖書が関わって以降できたお祭りです。
トゥー ビシュバット(樹木の新年)は
教師が作った祭りです。
ハヌカの祭りの歌はどの祭りよりも
多くの歌が存在する祭りです。





400位のハヌカの歌があります。
また油にちなんで、
スフガニアと呼ばれる油で揚げたパンを食べたり、
じゃがいもをすりおろして油で揚げたお菓子、
レヴィヴォットを食べたり、こまを回したりします。



紀元前二世紀、
パレスチナはアンティオコス王の
ギリシア支配下にあったとき、
エルサレムの神殿に、
ゼウス像が祭られるまでになっていました。
信仰の純化を求めた敬虔なユダヤ人
イェフダー・マカビーは、
反乱の指揮を執り、
セレウコス朝ギリシアの軍隊を倒して、
紀元前164年、ついにエルサレムを奪還し
神殿は清められました。





このとき聖所にあった七枝の燭台(メノラー)の
油が一日分しかなかったのに、
8日間も燃え続けるという奇跡が起きました。
これを記念して、小さかったユダヤ人の勢力が
大きい勢力に勝利したことで、
光の象徴として光の祭「ハヌカ祭」
(宮清めの祭り)が
行われるようになりました。



イスラエル建国前も、シオニストは、
マカビーのように立ち上がって
、光の存在になってもう一度シオンに返ろう
という運動になりました。



一番の歌詞は、私の神様は砦です。
その砦である神様に向かって
私は賛美の声を上げます。
ギリシアの勢力に汚されたものを
整えて神様に捧げ物をしていきます。
敵から私たちを救い出して下さった神様に、
祭壇を清めて私は感謝の歌を捧げます、
という意味です。

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「エレ ハムダー リビー」

2016年11月26日 | イスラエルの歌
「エレ ハムダー リビー」


16世紀ごろにツファットに住んでいた、
ユダヤ教神秘主義者の一人
ラビ・エレアザル・アズカリによる作詞です。




同時期にこれまた有名な作詞家であり、
「レハー ドディ」を作詞した
シュロモー・エルカベツも同じ
ユダヤ教神秘主義グループのメンバーでした。




あまり知られていませんが、この
「エレ ハムダー リビー」は
「イェディッド ネフェシュ」の一部分です。




また、こんにちでは
「フサー ナー ヴェアル ナー ティトアレム」
と歌いますが、アズカリの作詞では
二つ目の「ナー(どうぞの意)」が無いので、
後世になってのみ加えられたと思われます。




これは様々な場所で歌われるあまりに、
歌詞に変化が加えられたとされています。
このような原詞との違いは、
いかにこの曲が歌われ、
親しまれてきたかを物語っています。

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ユダヤ新年

2016年10月01日 | イスラエル関連
イスラエル音楽家の人たちに
ユダヤ新年のお祝いのメールを出した。



早速、ハナン・ヨベル氏、シュリー・ナタンさん、
リフカ・ミハエリさんから返信が来た。



速い!





そして今、エフィ・ネッツェル氏、サラさん、
ダニー・ゴランさん、オーリー・ハルパズ
さんからも返信メールが来た。



本当に感謝である。



もうこれを続けて14年は経つ。
最初は手紙だったが
今ではメール中心である。
時代の流れを感じる。



継続は力なり。
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エッツ ハリモン

2016年08月19日 | イスラエルの歌
この歌の作詞者はヤアコヴ・オルランドです。
1944年に作りました。
作曲したのは、イェディディア・アドゥモンです。
彼はイスラエルの音楽界の中で
重要な作曲家のひとりです。
ヤアコヴと同様、イスラエル賞を受賞しました。



彼は「ベシューブ アドナイ」などを作曲した、
ドイツ出身のユダヤ人音楽研究家
アブラハム・ツヴィ・イーデルソンの弟子で、
いろいろの国々の音楽を聞いていました。
そしてイスラエルで初めてミズラヒ(東方系)
の音楽の分野を作りました。



このミズラヒは中近東一帯の国々から
帰還してきたユダヤ人が、
帰還する前の生活習慣・音楽を
イスラエルに持ち込んだ事から始まりました。
独立以来、ヨーロッパ文化が
幅を利かしてきましたが、
そういったミズラヒの音楽が定着しはじめ、
音楽文化の融合が始まりました。



この歌が作られた経緯は、
ヤアコヴ・オルランドが、ウズベキスタンの
タシケントの結婚式に招かれたときのことです。



その結婚式にはあるメロディーが流れていましたが、
あまりにも素晴らしかったので、思わず詩をつけました。
そしてその後イェディディア・アドゥモンに曲をつけてもらい、
完成しました。彼の詩は聖書がベースになっています。



この歌は愛の歌で、雅歌の雰囲気に大変よく似ています。
ここではエルサレムを慕う気持ちを戦場から帰った兵士と
その恋人の愛によって表現しています。



この歌は当時イスラエルのシアター演劇一番の女優、
ハナ・ロビナが歌って自然とイスラエル国じゅうに
広まっていきました。
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ネシャマー・カルリバッハさん「オッド イシャマー」

2016年05月04日 | イスラエルの歌
花婿の声と花嫁の声が、ユダの町々において、またエルサレムの巷で
再び聞かれるだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=zhcUi4aa4k8


月刊誌「みるとす」の4月号の「イスラエルの音楽家との出会い」は
シュロモー・カルリバッハさんの娘さんのネシャマー・カルリバッハさんを
書かせていただきました。 

   


その中で
「ヨシヤ、ホロコーストで多くのラビたちが亡くなっていったわ。
そして多くの歌もなくなってしまったの。だから父はユダヤ音楽を掘り起こしたの。
シュロモー・カルリバッハはユダヤ音楽の父だわ。
彼が作曲した結婚式の歌で「オッド イシャマー」という歌があるの。



この歌は確かそうね、1970年ごろだったかしら?
ニューヨークの姉妹の結婚式のために作曲したのよ。
ヒトラハブートするメロディーなので、「ハシディック・ソング・フェスティバル」で
ツェメド・レイームというグループが歌って賞を取って、
今では結婚式のときよく歌われるようになったの。



父がいなかったら結婚式の歌にしても、いろいろな歌にしても残らなかったわ。
父がユダヤ音楽をもう一度復興させたのよ」
と「オッド イシャマー」の歌のことをネシャマー・カルリバッハさんが
話してくださいました。




紙面では全て書ききれませんでしたが、この聖句は「オッド イシャマー」は
(エレミヤ書33章10節)歓喜の声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声が、
ユダの町々において、またエルサレムの巷で再び聞かれるだろう。から取られています。




「オッド イシャマー」はイスラエルの結婚式で広く歌われており、
この曲以外に数種類のメロディがあります。結婚式では、花婿が花嫁のところに行きます。
そしてゆっくり音楽が始まります。その後喜びで踊ります。
リズミカルに一時間でも二時間でも踊りつづけます。




この歌はエレミヤ31章15節~16節「主はこう仰せられる、
『嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞える。ラケルがその子らのために嘆くのである。
子らがもはやいないので、彼女はその子らのことで慰められるのを願わない』。



主はこう仰せられる、
『あなたは泣く声をとどめ、目から涙を流すことをやめよ。
あなたのわざに報いがある。彼らは敵の地から帰ってくると主は言われる。
あなたの将来には希望があり、あなたの子供たちは自分の国に
帰ってくると主は言われる』」
のもう一度離散の地からユダの地に帰ってくるという
預言の書が背景にある歌です。




聖書中の預言のなかには、救済・慰めの預言もあれば、厳しい預言も存在します。
エレミヤの預言は大部分が神殿崩壊に代表されるような厳しい預言、
ユダヤ民族の過酷な運命に関わる預言が多いですが、慰めの預言もいくつかあります。




預言をするとき
「主は仰せられる」と使いますが、このように何度も使うときは、
エレミヤが良い預言のときです。またこの題名にもなっています。




「オッド」という言葉は再びという意味ですが、また未来を表す言葉でもあります。
ある日が来るだろうと未来を表している。またさらに喜びが来るだろうということを
「オッド」で表しています。

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ナオミ・シェメルさんのユダヤ精神の贖いとは

2016年03月21日 | イスラエルの歌
以前イスラエルの女優リフカ・ミハエリさんに取材に行ったときです。
親友のナオミ・シェメルさんがラジオ番組のインタビューで
ユダヤ精神の贖いについて語られたときのことを話してくださいました。



「土地の贖いと言語の贖いという
2つの奇跡の後にやってくる奇跡とは、
ユダヤ精神の贖いだと私は信じています。


最初の2つの奇跡について、
私は子供時代から聞かせられながら育ってきました。
しかしこの2つは、
当時起こりえないことと考えられていました。


なにしろそのころの土地はやせ細り乾ききって、
実りの乏しい土壌でした。


マーク・トウェインの
「マサア タアヌゴット レエレツ ハコデッシュ」を
100年以上前に読んでみたとしましょう。
当時の土地のありようがたやすく理解できます。


こんにち、土地は回復し、
ヘブライ語も日常言語として成立しています。


そしてユダヤ精神が将来数世紀に
亘って根付いてゆくかというと、
はなはだ心もとないです。


しかしかといって当世の世俗的なユダヤ精神にも
それは為し得ないであろうと思います。
それはあくまで一時的なものに
過ぎないからであるからです。


依然として辻褄は合わず、
ユダヤ精神の残り火は未だ
くすぶり続けています。


そして私たちは新しいユダヤ精神を
表現してゆくのであります。
世俗的でない、まったく別のそれを。


そして次の世代に遺産として
受け継がねばならないと思っています」。



※マーク・トウェインはアメリカ人小説家で 1867年にパレスチナを訪れ、その時の心証を綴った「マサア タヌゴット レエレツ ハコデッシュ」は著書「The Innocents Abroad」に収録され、ヘブライ語にも訳されている。 「トムソーヤの冒険」「ハックルベリーフィンの冒険」などが主な作品
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取材の時差ボケは大変だ。

2016年02月27日 | イスラエル音楽家訪問



ふと過去のイスラエル音楽家取材はどうだったか少し振りかえってみた。



イスラエル音楽家取材の初日は大変だ。
現地迄飛行機を乗り継いで1日がかり。
トランジットがまた大変だ。
空港職員からの質問に1回でも
イエスと言ってしまうと、別室へ。
精神的に参ってしまう。



現地に着くのは真夜中。
おまけに時差が7時間。
しかし休むことは出来ない。
ホント初日の取材は体が
クタクタになってしまう。



この7時間の時差には
2週間~3週間の取材滞在中
いつも悩まされる。
取材中のうとうとは、
何とかしなければいけないと思うのだが・・・。



そしてやっと慣れたと思う頃には
いつも帰国のときだ。
日本に帰ってからがもっと大変だ。
時差ボケが治るには1ヶ月かかる。
適応力の足りなさに情けなく思う。




取材中の時差ボケは、
私の場合なぜか知らないが、
夕方急に眠けが襲ってくる。



以前バルーフ・ハヤット氏の
取材のときなどは、
ご自身の曲コル ハオラム クローを
ギターで演奏してくださるというのに
演奏中、眠気が襲い夢の中に。



失礼なことをしてしまった。
取材中は緊張感があるので良いが、
気を緩めたときに失敗する。




うーん、時差ボケ・・・、ない人もいるんだけど。





(写真は不覚にも、コル ハオラム クローという曲を聴きながら眠ってしまった筆者)
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ダニー・ゴランさん

2016年01月02日 | イスラエル音楽家訪問


前回の「みるとす」誌(10月・12月)の
音楽エッセイで詳しく紹介したダニー・ゴランさんです。



2年前の12月、音楽プロデューサーの
ハナン・ヨベル氏から
「ヨシヤ、今は表立って活動はしていないけど
聖なる凄い歌手がいるので、会ったらいいよ」
と勧められてダニー・ゴランさん宅に訪問した。



確かに彼の顔を見ると、
聖なる雰囲気を醸し出していていた。
オーラは感じるものなのだと思った。
近寄りがたいほど雰囲気を感じた。



私は最初彼に「ハコーテル」という歌を
歌ってほしいとリクエストをすると
彼はギターを持って弾き語りを始めた。
すると瞬く間もなく聖なる雰囲気が
部屋いっぱいに響き渡るのを感じた。
思わず鳥肌が立った。



取材の最後私は彼に思い切って質問した。



「私は、ダニーさんが歌われた
「ハコーテル」の歌声に心の底から感動しました。
出来れば多くの人に聞いてもらいたいと思いました。
ぜひもう一度音楽活動を
再開する気持ちはないのですか?」






しかし彼はゆっくり首を横に振った。
「もうそれはありません。歌は神への祈りだからです」



うーん、彼には欲と言うものがないのか?



今まで私は数多くのイスラエルの音楽家を取材してきたが、
自分が1番になるために、自分が有名になるために、
日々しのぎを削っている生々しい現場を見てきた。
しかし神のために、歌は祈りだというそのためだけに
歌っている音楽家と出会ったことはなかった。



音楽と言うものはもともと自分のためにではなく
天地創造したもう神への賛美なのではないのかと言うことを、
ダニー・ゴランさんに会って改めて感じさせられた。



詳しくは「みるとす」誌(10月・12月)に書きました。


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ナタン・シャハル博士

2016年01月02日 | イスラエル音楽家訪問
前々回の「みるとす」誌でご紹介しました
ナタン・シャハル博士さんです。
私のユダヤ音楽の先生です。




ベングリオン大学とクファルサバに
あるベイトベレルで
音楽学とユダヤ音楽の歴史の
教授をしていました。



彼は1937年、
キブツエインハロデに生まれました。
音楽は特に習ってはいませんでしたが
小さい頃から
ピアノの演奏をすることが出来ました。



1956年~1959年まで
エルサレムミュージックアカデミーで
音楽の理論とピアノを学び、
その後バルイラン大学で
音楽学を学びました。



ヘブライ大学ではドクターもとられ
その後教鞭をとるようになりました。
こんなすごい先生から
イスラエルに行ったときには
ユダヤ音楽の個人授業をしてくださいます。






「みるとす」誌にも書かせていただきましたが
2008年にナタンさんは
奥さんと一緒に日本に観光旅行来られ
私たちは東京で再開しました。



写真はしゃぶしゃぶを食べに
日本料理店に行った時のものです。
日本の肉があまりにも柔らかいので
いたく感動されていました。
店内のBGMが日本の音楽でなかったことには
大変不満を持っておられましたが
そのことも忘れるほどに
柔らかい肉を堪能されていました。

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イェススム ミドゥバル ベツィヤ

2016年01月01日 | イスラエルの歌
(写真はイヌワシサフラン)


イェススム ミドゥバル ベツィヤ
(荒野と砂漠は楽しむ)


      

この歌はダヴィッド・ザハヴィが作曲しました。



イスラエルでは水が不足しています。
1956年、砂漠にも人が住めるようにするため
ガリラヤ湖の水をネゲブに送る計画を立てました。



「イェススム ミドゥバル ベツィヤ」という歌は
そのガリラヤ湖からネゲブに向けての
導水管設備工事が完成したとき、
聖書(イザヤ書)からこの聖句を引いて
作曲したものです。



ダヴィッドははこの聖句が浮かんだとき、
一瞬にメロディーが湧いてきました。
そしてネゲブでの完成式典に出かけていって
彼がこの曲をそこで歌いました。
皆は心から喜びました。



「イェススム(荒野と砂漠は楽しむ)」
という最初の言葉が大切です。
この楽しむという言葉は「喜び」
という意味があります。
この歌は「ネゲブに水が湧いた」
という喜びの歌です。



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アルツァー アリーヌー

2016年01月01日 | イスラエルの歌
(写真は授業風景2009年12月)


アルツァー アリーヌー

この歌の作詞者はポーランド出身の
シュモエル・ナヴォン(1904-1996)で、
彼は1926年にイスラエルに帰還してきました。



覚えやすい歌詞で、
集まってダンスを踊るような時に
この歌が歌われていました。



第二次、第三次帰還者は
社会主義の帰還者と呼ばれていますが、
その価値観の相違から
宗教的なもの対して排他的になり、
革新の気風がありました。



音楽の分野でも、
聖書を出典とする曲は
あまり流行りませんでしたが、
この曲は踊りの曲として
うってつけでしたし、
曲調が当時の新風を求める風潮と
あいまって非常に親しまれました。




(2009年12月 元ベングリオン大学教授 ナタン・シャハル博士(ユダヤ音楽・音楽学教授)の勉強会より)
コメント (2)
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キブツと音楽家

2015年12月28日 | イスラエル関連
(写真はナオミ・シェメルが生まれ育ったキブツ・キネレット)



全てのキブツは、必要な物資を
自給自足でまかなう生活共同体でした。
キブツ一つひとつが、
キブツ員それぞれの能力と必要性に応じて、
運営される社会主義的な一単位でした。



また、それらのキブツは
イスラエル全土に点在していたため、
文化的な面でも自給自足でした。



それぞれのキブツで、
音楽を知っているものは歌い、
もしくは祝い事の場などで演奏し
、または作曲などを行い、
ダンス・舞踊に秀でている者はそれを披露し、
もしくは他の者に手ほどきをし、
というようにそれぞれが
各々の才能を発揮していきました。



キブツ出身の音楽家は
キブツ・ナアンの作曲家
ダヴィッド・ザハヴィを始めとして、
キブツ・ベイトアルファのナホム・ヘイマン、
キブツ・ヤグールのヨラム・テハレブなど、
枚挙に暇がありません。



またナオミ・シェメルや
作曲家のマティ・カスピ氏も
同じくキブツ出身です。



そして私のユダヤ音楽の先生であるナタン・シャハル博士も
キブツ・エンハロデで生まれ育ちました。


(ユダヤ音楽第一人者 ナタン・シャハル氏)
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