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田中角栄の基礎知識・4 今太閤②

田中角栄の基礎知識

4・今太閤②

 角栄は地元の土木派遣所で、働いた後1934年15歳の時に上京。井上工業という土建会社に住み込み、新生活をスタートさせる。だが戦禍がやってくる。20歳で徴兵され、満州で兵役に就いた角栄であったが、そこですぐ下の妹(田中フジエ・絶対的短命運)が病死したことを知る。

 さらにその後病弱だった2番目の妹も郷里で命を落とした。角栄は1942年に「はな」夫人と結婚し、長男・

田中正法(まさのり・病弱短命運)をもうけたが、その最愛の息子も5歳で世を去った。これらの悲しい体験は政治家・田中角栄の『原点』にもなっている。「その時俺はしみじみ考えたんだ。妹の時にしろ長男の時にしろ、あとに残った自分が、いつも十分なことをしてやれなかったという悔いを感じた。

 生きているうちに家族にも、友人にもできるだけのことをしてやりたいという気持ちが一層強くなった。人のために生きたいと思った」(『君は田中角栄に成れるか』戸川猪佐武)

終戦後有力な実業家となった田中角栄は、会社の顧問だった政治家・大麻唯男の勧めで、政界を志すようになる。後に政治家として頭角を現していった角栄に、日本を代表するエリート官僚たちの多くが心酔し、傾倒していった。

 学歴も肌合いも全く違う角栄は生きるための実学、そして人情、他者を尊重する律義さ、人々の暮らしをよくしたいという純粋な志を持ち合わせていた。それが優秀な官僚たちの心に響いたのである。

 角栄は高学歴の官僚たちにこんなことを言っていた。

『俺には君らのような人脈がない。何しろ同窓会の類は、二田尋常高等小学校だけだからな』

 しかし角栄はその二田小学校時代の校長であった草間道之輔を『終生の恩師』と呼び、その教えについてこう書いている。

『何事も真心を尽くす人こそ、本当の勇者なのだと、草間校長は、1年生にもわかるように、優しく話してくださった』

『私は入学以来どんなことも真剣にやろうと思った。どんなことにも真心を尽くそうと自分に誓った。いや、草間先生に誓ったのかもしれない』(『私の少年時代』田中角栄)5・角福戦争へ続く

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