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震災後初めて流した涙②

震災後初めて流した涙

悲しいままでいいんじゃないか

 岩沼から来た人、仙台市内から来た人、酒田から来た人、いろいろな人が会場に見えていた。地元から河北新報・朝日新聞社も詰めかけていた。

前方に被災者遺族で意見陳述の6名のご夫人方が並び、子供や孫、娘や息子、を突然失った悲しみは、いまだに抜けず、これからも忘れることは出来ない、という趣旨の話が多かった。みなさん意見を申し述べた後、一様にハンカチで涙を拭っている姿が印象的だった。

 「『頑張ってね』と声をかけられた時、私は『頑張れません』と返事したこともあります。だってこれ以上どう頑張ればいいのですか?『元気ですか』にはカチンと来る。『親切ぶる』『いい人ぶる』人たちには抵抗を覚えた」と話した被災者もいた。

みんな悲しみを乗り超えるのではなく、悲しみと一緒に生きて行こうという人たちの集まりなのだという。

 時間が解決する・・・というようなものではないのだという。悲しみはずっと続く、だから遺族は『悲しみは決して癒されることはなく、生きていくには、仲間同士支え合うことが必要だ』とつむぎの会の田中会長は話していた。

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田中会長さんは、インドへ行って亡くなった人の遺族がみんな亡くなった人のいいところをほめるやり方、自慢話を語るやり方をとてもいいと感じて帰って来たそうで、

『今日、会場にいらっしゃるみなさんも一人一人亡くなった人をほめ、こういう人だったと自慢話をしてみようじゃないですか』

遺族が前の方から順番にそれぞれ語り出した。

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「私は小学生の男の子二人を亡くしました。二人とも誕生日が一緒でしたのでお祝いも二人一緒でやっていました。ところがあの津波で二人とも亡くなり、今度は命日も一緒になりました。

 二人はとっても素直でいい子でした」と30代後半と思われるお母さんの話から始まっていろいろな自慢話が出て、私の番になりマイクを渡された。続く

 

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