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『さみしさ』に沁みる言葉・伊藤比呂美

さみしさに沁(し)みる言葉

人生の幾つもの修羅と向き合ってきた詩人が、「さみしさ」について語ります。

伊藤比呂美

 私はね、さみしさだけは人生の中で我慢しなくちゃいけないものだと思っています。なぜそう思うのかというと、「さみしい」って話を周りからよく聞くからなんです。

 一人で暮らしている女たちは『一人はさみしい』って言うし、夫がいる女たちだって『さみしい』とは言わないけれど、夫と何らかの行き違いを感じてさみしそうにしている。

お年寄りを見ても、どんどんさみしくなっていくわけです。

 じゃあそのさみしさをどうしたらいいかって言っても、解決がつかないんですよ。一人でいても、誰かと暮らしていても、どっちにしたってさみしさはある。だったら引き受けるしかない。私はそう思っています。

 私の父は『淋しい、さみしい』と『退屈だ、退屈だ』が老後の主な不満でした。彼はさみしさと退屈が原因で死んでいったようなものだった。

 そんな父の介護をしながら、さみしさってものは、この世に生まれた時から備わっている人間の根源的な機能のようなものじゃないかと思ったんです。

 だから、我慢するとかしないとかじゃなくて、さみしくたって仕方がないんです。人間生きていればみんなさみしいもの。だから結婚とかするんでしょうね。 続く

               

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