ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。上手下手は問題外。絵を媒介に、落ち着いて、伝え、語ることが目的です。

吉本隆明「写生の物語」を読む

2017年07月17日 | 日記

初夏の花、卯の花です。

 吉本さんの「写生の物語」が講談社文芸文庫から発刊されました。(¥1,600 文庫なのに高すぎます)

 早速購入し、読みました。吉本さんの書籍はだいたい知っているつもりでしたが、この本は恥ずかしながら知りませんでした。単行本は平成12年に講談社から出ています。

 本書は、日本の詩、つまり和歌=短詩系の発生の元を探り、現代まで続く俳句や短歌につなげる壮大な構想をもった詩論・日本語の由来をを考究した論考で、難解だが圧倒的な説得力をもっています。簡単に紹介することもできないのですが、巻頭の序論とも言える一節は「起源以前のこと」と題されていて、吉本さんの問題意識の一端を表現しているので、その一部を紹介しておきます。

 万葉集の5首を引用した後、例えば眠い様子を、「眠(い)も寝(ね)らやめ」とか、木陰の暗闇を「木(き)の木暗(このくれ)の」といったような表現を「おなじ語を動詞のしたに動詞的にか、名詞的なしたに動詞的にか重畳する語法だといっていい。」と言い、「これはおなじ語を重ねることで強調になっているとも受けとれるし、それよりももともとこういう重ねの語法が起源以前の和語の世界につきまとっていたものだと受けとれる。」とし、「具象的な語を、形容句として繰り返すことでしか、抽象化された心意を表現することができなかった。そしてこれは和語の本質で現在でもその遺制のなかにあるといっていい。」など、ゾクッとする解明があります。

 そのほか、私たちが通常知っている、枕詞の意味、本歌取りの意義、叙情から叙景への転換、そんな日本の短詩系にまつわる根本的なことが、万葉から俵万智など現代作家に至る作品を引いて、日本語、ひいては日本人の宿命として問題提起されています。

 定家の雅び、子規が主張した写生など、その芸術性への視角が、時代性や平俗化の経緯として論及されると、芭蕉の俳句や、啄木などの短歌がいっそうよく理解できるように思えます。

 私たちは、和歌・短歌を学校で学ぶが、正直なところ、その意味や美意識が全く理解できないで、ただ五七五七七という声調だけでおぼえてきた、というのが実情です。しかし、その歴史に日本人の生活感、美意識の葛藤、風俗の変遷が深く関わっているわけで、桑原武夫がこの分野を「第二芸術」だと貶めたことで、この文芸を遠ざけてしまったように思う。

 いま、俳句や短歌を嗜む人は多い。日本人だけが感ずる五七五七七の声調の心地よさ、その奥に潜む美意識について、先人たちが残してきた成果に触れることのできる論考です。【彬】

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