ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

コンビニは便利だ

2017年03月18日 | 日記

 花をつけたまま冬を越したシクラメン。暖かくなり見違えるように生き生きとなる。


 コンビニはconvenienceつまり便利という意味だから、タイトルのように「コンビニが便利」というのは修辞の矛盾なのだが、にもかかわらず実感として、コンビニは便利だ、と言ってみたくなる。それほど私たちに日常に密着しているのがコンビニエンスストアである。
 私の住んでいる新宿区内では新しい店ができるとしたら、間違いなくコンビニだし、百メートルも離れずに同じようなコンビニが林立している。近頃はイートインの場所を備え、宅配物の受け渡し、金融の端末があって、さらにトイレも開放、そのうえ昼夜を問わずの営業だから、私たちの生活の結節点となっている。
 そんなコンビニなのに、なぜか店員は日本人ではなくアジア系の若い人たちが大多数だ。日本人らしき人といえば、その店のオーナーだけのようにみえる。こんなに依存しているのに、日本人がいないのは、この職場が何か特殊な問題をはらんでいるからのだろう。考えられるのは、当然、低賃金と深夜のきつい労働。
 近年、過酷な労働形態が問題になる企業というのは、ユニクロなどの安売り企業、居酒屋、宅配といった川上からの流れの最終的な川下、消費者との接点部分だ。高度資本主義社会では生産より消費が優先される(国民総生産の寄与率は個人消費が過半数を占める)のだが、その最大の経済現場はまだありうるべき仕組みが不確定なのである。いずれ二次産業より医療、健康、レジャーといったサービス業を中心とした三次産業が経済をはじめ世の中の仕組みを再編していき、社会総体のキーポジションを握るはず。その結果としてコンビニの店員も名前はともあれ社会関係のマネージメントを扱う重要な役割を得ることになることは目に見えており、いまはその過渡期というべきか。最近、各所にコンセルジュという呼び名の職業を持った人が現れているが、三次産業の現場に立ち働く人たちは商品の流通や技術革新の進むべき道筋を示す、いわば優秀なコンセルジュになっていくだろう。単なるレジおばさん的なコンビニの店員は早々にいなくなると思う。
 かつて、家電量販店が家電メーカーを差配したように、末端商品の流通や技術革新は、コンビニが発火点になって進んでいくことは間違いがないはずだ。【彬】

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