備忘録として

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大東亜戦争の実相

2010-02-18 23:07:09 | 近代史
 今日の「不毛地帯」の壱岐は、モスクワ行きを懇願する部下に対し、”極寒の暗闇で11年間つるはしを振るっていた人間の気持ちが判るか!”と声を荒げるが、結局モスクワへ旅立つ。

 「大東亜戦争の実相」は、山崎豊子の「不毛地帯」の主人公”壱岐”のモデルになった瀬島龍三の本である。壱岐が関東軍参謀として満洲で終戦を迎えシベリアに11年間抑留されたように、瀬島龍三は全く同じ経歴を持ち、帰国後総合商社の伊藤忠に入り会長にまで上り詰める。この本は1972年にハーバード大学で行った「1930年代より大東亜戦争開戦までの間、日本が歩んだ途の回顧」というテーマの講演録である。

 講演は戦前の日本の政治体制の問題点の指摘から始まる。
① 軍隊の用兵、作戦のことまたは軍を指揮することを統帥、その権限を統帥権と称した。
② 日本では統帥権は内閣(行政)にはなく天皇にあり、天皇に直属する統帥部(海軍の軍令部と陸軍の参謀本部)が天皇の統帥権行使を補佐した。
③ 陸軍大臣や海軍大臣はそれぞれの予算編成などを管轄する行政職で、陸軍の参謀総長や海軍の軍令部総長はそれと併立する独立機関であった。
④ 旧憲法下では、内閣総理大臣、各国務大臣、参謀総長、軍令部総長らはいずれも同格で天皇の下に併立していた。
⑤ 陸軍と海軍の対立は深刻であったが、これを統括できるのは天皇しかいなかった。しかし、天皇は「君臨すれども統治せず」という立場を守り、その権力を行使することはなかった。

 日本の政治体制、軍政を明らかにした後、満洲事変、満洲国の独立、支那事変、日独伊三国同盟、東条内閣登場、ハル・ノート、開戦を順を追って説明し、その時々の日本の国防方針や上層部の対応が詳細に語られる。大東亜戦争は自存自衛の戦争だったという瀬島の考えや、天皇の「聖断」も出てくる。国際社会の中で、日本がどんどん追い込まれて行き、英米の経済制裁により開戦せざるを得なくなることが、よくわかる。さらに、瀬島は、ここでこうしていれば戦争は回避できたというターニングポイントを示すことも忘れていない。ターニングポイントは1度だけではなく何度も出現する。東条英機も責任の所在がはっきりしない政府の一人にすぎない。

 瀬島龍三の示す教訓
① 結果的に日本の大陸政策はアメリカや中国の反発を招いたため賢明ではなかった
② 満州権益だけを守り、支那事変を防止すべきだった。
③ 旧憲法下では天皇の下に各大臣、参謀が並立し、陸軍と海軍の対立、統帥部と行政の不調和、計画の一貫性の欠如、権力分散に伴う責任所在の不明確があった。
④ 軍事が政治に優先した。最大の問題点は現役武官が陸海軍大臣を歴任したことだという。この制度だと軍の意に沿わない内閣をすぐに倒すことができる。さらに軍人によるテロの脅威がこれに拍車をかけた。
⑤ 海軍と陸軍で国防方針が分裂していた。軍備の増強が戦争抑止になると考えていたが、軍備は戦争促進に直結する。陸海軍それぞれが自軍の軍備に注力し、国を見ていない状態だった。
⑥ 少ない陸軍兵力で南方を制圧や大艦巨砲主義など重大な戦局判断のミスがあった。
⑦ 首脳会談が開けていれば戦争は回避できたかもしれない。

 本を手にした当初は、”大東亜戦争は自存自衛の戦争だった”や”必死に日本を守ろうとした人々(戦犯を含む)の行動は再評価されるべき”や戦時の参謀としての自己批判がないことなどから、右翼思想家の話だと思い、かなり批判的に読んでいた。ところが、最後の教訓まで読み進んだ時点で、この本は一貫して事実と人々の行動を詳細に捉え多角的に分析したものであり、右翼や左翼などの思想をもって語られたものではないことに気付いた。参謀が戦局を分析するのに思想などあるはずもないのである。

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