備忘録として

タイトルのまま

インド・デリー

2014-09-14 14:34:21 | 

ブッダに興味を持ってからずっと気になっているインドに先週行った。たまたま仕事が入ったためで、デリーの雑然とした街並みとそこに住む人の多さに圧倒された。それでも郊外は田んぼ、サトウキビ畑、とうもろこし畑や果樹園が延々と続き、写真で見たブッダの世界が実感できた。

残念ながらデリー周辺には仏跡やアショカ王の遺跡はなかったので、仕事の合間に誘われるまま世界遺産だというクトゥブ・ミナール(Qutb Minar)とフマユン廟(Humayun Tomb)を見に行った。いずれもイスラム教の遺跡で、イスラム遺跡はデリー周辺に集中している。予備知識がまったくない状況で遺跡を見て回ったが、Qutb Minarの塔は巨大で圧倒的だった。高さ72.5m、基部直径14.3mの巨大な塔は赤い砂岩でできていた。建設工事は1192年にスルタンのQutb-ud-din Aibakによって開始され、後継者が引き継ぎ、完成したのは1368年である。日本では、鎌倉幕府が始まり、滅び、室町幕府が起こり、足利義満が3代目の征夷大将軍になるまでの期間である。この塔を建てた王朝は奴隷王朝(Slave Dinasty)あるいはマムルーク・イスラム王朝と呼ばれ、デリー周辺、北インドを支配するイスラム王朝である。

 Qutb Minarと鉄柱

 

左:絵やコーランで装飾されたQutb Minar塔の表面 右:敷地内にある建設途中で放棄されたAlai Minar

写真右のAlai Minarは、14世紀初頭のサルタンがQutb Minarの2倍の高さになるように計画し建設を始めたが、サルタンの死によって建設は中止された。Alai Minarの基部の直径はQutb Minarの倍ほどもある。Alai Minarは石積みのQutb Minarとは異なり、石の間を煉瓦のもとになる粘土で埋める練り石積みのように見えた。Qutb Minarは砂岩が十分な強度を持つので高さ72.5mでも十分屹立すると想像できるが、Alai Minarが見たままの練り石積みだとしたら、強度が足りずQutb Minarの2倍の高さ(140m)に耐えることなど到底無理だと思う。何か練り石積みの強度を増す秘密があったのかもしれないが。 

最上写真Qutb Minar塔の手前に見える細い塔は鉄柱で、日本語Wikiでは”アショカ王の柱のひとつ”と断定しているが、英語版Wikiにはそんなことは一言も書いていない。英語版Wikiでは、400年ごろグプタ王朝のチャンドラグプタ2世が建てた塔で、奴隷王朝による周辺地域の征服を記念し他の場所にあったものをここに移したとする。高さは約7mで表面に何やら文字が彫ってあった。1600年以上を経た鉄が雨風にさらされながらも腐食が進んでいないので、オーパーツとされる。

下は、別の世界遺産フマユン廟(Humayun Tomb)で、16~18世紀のムガール帝国2代目皇帝Humayunのお墓であり、赤い砂岩と大理石でできている。この廟は後代に建設されたタージマハールに影響を与えたとされ、屋根のドームなどが修復されればより壮麗になると想像できる。クトゥブ・ミナールもフマユン廟も入場料は同じで外国人は250ルピー(500円弱)だったが、地元民はわずかに10ルピー(20円弱)だった。遺跡には大勢の子供たちが訪れていたので外国人と地元民を区別する価格設定に疑問を持たなかった。

今回のインド訪問で、クシナガラやブッダガヤなどの仏跡に行きたいという気持ちがさらに高まった。