威風堂々

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カリタスカウンセリング104

2016年11月03日 | 第五章 和解と平和


ロジャーズ 命題 16

『自己体制もしくは自己構造と矛盾対立するいかなる経験も、なんらかの脅威として知覚されるだろうし、このような知覚が多ければおおいほど自己構造はそれ自体を維持するように強固に体制化される』


自分と反対の意見や、自分が予想だにしていない反応を他者から受けるとやはりそれを容易くは受容できない。相手の気持ちを考えずに意見を言うと相手から反発を受けてしまうことがよくある。しかし、言わなければいけないときも必ず出ては来る。


最近、「怒り」の感情処理が多少は上手くできてきたようだ。コツはない。諦め半分。懸命に努力することを止める。人間関係を増やさない。他人に関心を持たない.という感じで自然と怒りは猛烈にはわかなくなってきた。出来る範囲のことを肉体に無理強いさせずに行う、ということであろうか。

人はざまざまで、すぐに文句を言う人、本当に仕事をさぼっている人、感覚がずれている人、様々だ。一様に付き合っていてはこっちが疲れる。最近本当に、家内と子ども達だけが私のことを分かってくれれば良い、と思うようになっている。

神に祈る経験は20代の後半で凝縮されている。何だろう。母も認知症になりかけていた時期だし、私は結婚する頃でもあった。職業も本当は今の職業には就きたくなかったし、大きな悩みと恨みを抱いていた時期であった。きっと一番多きかったのは母の認知症を受容することが簡単ではなく、自己概念が強固に固まって、彼女を直そうと試みた30代だったのだろう。そして肉体的にも衰える40代で鬱病を発症したわけだ。私の人生はこういうものであった。だが、50代えとなって今はもう昔のような焦燥感や悔しい思い、野心といったものは薄れてしまっている。ある意味自分の人生の戦いと平和協定を結んでいるような感じである。





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