アモス日記

聖書の預言者精神で社会事情を批判し、正しい聖書のビジョンを示す「カナ共同体」代表・安田由久のエッセイと活動日記。

本・DVDの紹介・ヨセフスの著作(山本書店)

2008年03月26日 10時54分45秒 | Weblog
本・DVDの紹介    080326

ヨセフスの著作(山本書店)

欧米キリスト教国では聖書の副読本として広く読まれているヨセフスの著作を山本七平さんが、こだわって全部、山本書店の全経営の命運を賭けて発行されたには大きな理由があったにちがいない。この発行のために「ユダヤ人と日本人」など身体を酷使して多くの一般向けの本を発行し、その印税をまったく採算のとれない、損する、決して儲からないヨセフスの著作の発行に踏み切られたかである。私は日本教を打破するものをヨセフスの著作から感じ取っていたからだと思う。何が、そえはイエス・キリストの出来事がすべて事実であったことをである。日本教の創始者の一人に伊藤博文初代内閣首相がいる。かれは欧米の優れた文明で絶対受け入れられないのは、イエスの十字架と復活と言った。つまり日本教は根本にそれを受け入れないのである。そのことをよく知っていた山本七平さんは、何としてもヨセフスの著作を発行しなければならない、と決断しておられたに違いない。
ちなみにヨセフスの著作を知らない方、福音書、使徒言行録、パウロの手紙を裏付ける第一級の資料として必ず読むことが常識であり、まだの方、必ず、読まれるように。フリー事典から要点だけ引用しておこう。
「フラウィウス・ヨセフス(Flavius Josephus, 紀元35年? - 紀元100年)は古代イスラエルの著述家。紀元66年に勃発したユダヤ戦争においてはじめユダヤ軍の指揮官として戦ったがローマ軍に投降し、ティトゥスの幕僚としてエルサレム陥落にいたる一部始終を目撃。後にこの顛末を記した『ユダヤ戦記』をあらわした。ヨセフスは本名ヨセフ・ベン・マタティアフ(マタイの子ヨセフ)。彼は祭司の家系に生まれ、彼自身の言葉によれば、青年時代にサドカイ派やエッセネ派など当時のユダヤ教の諸派を経て最終的にファリサイ派を選んだという。紀元64年にはユダヤ人の陳情使節の一員としてローマへ赴き、ネロ帝妃ポッパイア・サビナの知己を得ている。ユダヤ戦争の初期(紀元66年)、ヨセフスは防衛のためエルサレムからガリラヤへ派遣され、ガリラヤの町ヨタパタを守ってローマ軍と戦ったが敗れた。異邦人への投降をよしとしない守将たちは自決を決議、くじを引いて互いに殺しあったが、ヨセフスは最後の2人になったところでもう1人の兵士を説得、2人で投降した。ローマ軍司令官ウェスパシアヌス(後のローマ皇帝)の前に引き出され、ウェスパシアヌスがローマ皇帝になると予言して命を助けられる。ネロ帝死後の混乱を経て実際にウェスパシアヌスが皇帝になると、その息子ティトゥスの幕僚として重用され、エルサレム攻撃に参加。紀元70年のエルサレム陥落を目撃した。71年にティトゥスと共にローマに向かい、終生そこで暮らして厚遇を受け、ローマ市民権と皇帝の氏族名であるフラウィウスという名まで与えられた。75年から80年までのある時期にローマで、自分の経験と種々の資料をもとに『ユダヤ戦記』を著わし高い評価を得た。ヨセフス自身によると、『ユダヤ戦記』にはもともとアラム語版が存在し、それをギリシャ語で書き改めたといわれる。アラム語版は現存せず、現在まで伝わっているのはギリシャ語版の『ユダヤ戦記』である。
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