紳士ノススメ

かっこいいオヤジ入門。~2006 New Year version~

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ペルー周遊期Ⅵ ~マチュピチュ其の弐~

2006年03月01日 00時54分24秒 | ペルー周遊期。
「天空の城」



インティ・プンカでおもわぬ時間と体力の消費をしてしまった一行は、改めてマチュピチュの遺跡を見に行くことにした。時間はそろそろ12時ごろになってきて、だんだん人も増えてきた。朝は、9時ぐらいに着いたのであんまり人はいなかった。普通、観光コースとしてはみんなクスコから来るのだが、実はクスコはマチュピチュから遠く離れていて電車で4時間かかるのだ。僕達は1時間半しかかからない近場のオリャンタイタンボから来たので、朝のマチュピチュを見ることができたが、クスコから来る人達はいくらがんばっても昼近くにならないとマチュピチュに到着することができない、というわけだ。だから一気にツアーの人が多くなった。その中にはもちろん日本人団体客も含まれている。「含まれている」という言葉には少し語弊がある。「半分ぐらい」が日本人だ。それもみんな50代以上のおっちゃんおばちゃん軍団だ。中には、失礼を承知で書くが、よく27時間のフライトに耐えれたな、という方もおられた。それは日本人に限らず、欧米からも高齢の人がかなり多く訪れていた。やはりマチュピチュは何歳になっても訪れたい神秘の都なのだろう。それを20代そこそこの自分が来れている、ということになんだか少し申し訳ないような気持ちになってしまった。遺跡の中はかなり広い。なんといってもインカ帝国の王様がかつていた土地なのだ。遺跡もさることながら断崖絶壁に広がるその段々畑の広さ!フィリピンにあるイフガオ棚田は「天国への階段」という異名を持つが、まさに「天空の城」へと続く「天国への階段」であった。遺跡見学もそこそこに、マチュピチュ遺跡の奥の山、ワイナピチュに登ろうということになった。なんせ帰りの電車を考えて3時半ぐらいまでしかおれず、もうすでに1時。ワイナピチュは往復1時間半ぐらいかかるらしいので時間のことを考えるとあんまりゆっくりすることはできなかった。
ワイナピチュは見てもわかる通りすごく急な山だ。遭難する人がいる、ということで入山するときに名前を書かされたし、入山できる時間は4時まで、と決められていた。マチュピチュ遺跡から登る場合は標高200mなのだが、あの急さだとさすがに200mだときつい。断崖をロッククライミングばりに登らなくてはならないのだ。さすがにここにはおばちゃん軍団はおらず、若者ばかりだった。その若者でさえヒーヒー言わされるぐらいの斜度。さすがにこれにはインティ・プンカの疲労も手伝ってかなりきつかった。きつかった理由のもうひとつに、昼ごはんを食べてなかったことだ。マチュピチュ遺跡は保存のために原則食料は持ち込み禁止である。(まあ欧米人はガン無視で持ち込みまくってたけど)それを忠実に守った僕達は疲労と空腹で死にそうだった。少なくとも僕は。

何度も休憩を挟みながら登ること40分、ようやく頂上付近へ。いやー、またまたすごいね。上から見るマチュピチュもまた美しい。それに遺跡、ハイラム・ビンガム・ロード、そして下に見える川の三重奏がなんとも絶景だった。頂上付近で休んでいると、登山中に何度もあった欧米人のおっちゃんが洞穴みたいなところから出てくる。奥になにがあるのか、と尋ねるとここから頂上に行けるよ、と言うではないか。登ってみると、ほんまに頂上で、足の踏み場もあんまりないようなとこだった。ビビリの僕はあんまり動けなかったけど、そこからの景色もとても感慨深いものがあった。

山を登るということは降りなければいけないわけで、もう足ぱんぱんの状態で一行は降りだした。もう僕は正直きつかったけど、みんな早く下に降りて休みたいというのがあったらしく、暗黙の了解ですごいスピードで降りていった。その結果、なんと20分ほどで降りることができた。人間やればできるらしい。しかし、降りてからは疲労がピークに達していたのと、帰りのバスの時間も考えて遺跡見学はほどほどにバス停へ向かった。遺跡を全部見れなかったのは本当に残念やったけど、あのときの状態を考えるといたしかたない。

下に降りてからはみやげ物を買って、すぐに電車に乗り込んだ。帰りの電車はぼくはすぐに爆睡体制に入ったのでなんも覚えてない。宿に帰ってからも、めしを食って全員疲れ果てて爆睡。
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ペルー周遊期Ⅴ ~マチュピチュ其の壱~

2006年02月25日 20時22分20秒 | ペルー周遊期。
ちょっと西のほうにある島に行ってたので滞ってました。
西の方にある島の町、福岡と湯布院というところはすごくいいところだったのですが、関西より寒いとはどういうことでしょうか?
でも、そのうちにペルーへ行く、というKSCの重鎮Yさんのために気合入れて書いていきます☆


朝、5:30に起きる。前日にがっつり寝ていたのでみんな寝起きはいいようだ。ただ、なぜか電気がつかなかった。日本で停電なんて起きようものなら「ドライヤー使えない!」「暖房つかない!」などと醜い雄たけびをあげるものだが、ここなら「南米だしね」と一瞬であきらめられるところがなんかうれしい。特に電気製品を使う必要性がないからだ。朝飯を食べに食堂に行くと真っ暗の中キャンドルでライトアップされてとてもロマンティックな雰囲気に包まれる中、朝食が用意されていた。朝から素敵なプレゼント。
朝食はミックスフルーツが盛られたもの、コーヒー、紅茶、パンとホットケーキ。紅茶は不思議な味がしておいしかったが、コーヒーはコーヒーの原液みたいのをお湯で薄めるものであんまりうまくなかった・・・地元の人も、「ペルーはせっかくおいしいコーヒーが取れるのに飲み方がイケテないからコーヒーあんまりおいしくないのよねー」と嘆いていた。

腹ごしらえを終え出発!ホテルから駅までの間歩いただけで、前日には気づかなかった周辺の壮大な景色に早くも一同圧倒されるホテルからは徒歩5分ほど。もうすでに他の観光客でいっぱいだった。乗った列車は「ビスタドーム」という列車で、けっこう良い列車らしい。車内も欧米の観光客で満員。ビスタドームの天井は観覧用にサイドがガラス張りになっていて車内から景色が良く見えるというナイスな構造になっており、ペルーの猛々しい山々の景色を存分に楽しむことができた。

デジカメの動画で、「世界の車窓から」を自分たちで撮っているときに、後ろのアメリカから来たというおばちゃん達が話しかけてきた。おばちゃん達はアルゼンチンやブラジルなど南米の国々を回ってきたという。誰かに話したくてしょうがない、みたいな感じでとてもうれしそうにハポネスに向かったしゃべってきてくれた。ビスタドームの車内では軽食が出るのだが、ホテルの朝食で満腹になっていたおれは全部お持ち帰りした。それを見たおばちゃん達はおれらが腹減ってるのだと思い、自分達のパンまで分けてくれた。やさしいね☆


1時間半ほどで列車は終着のマチュピチュ駅へ。民芸品が売っているテントを抜けてバス停へ。バスは急な坂道、「ハイラム・ビンガム・ロード」をくれりながら進んでいく。登っていくうちに段々と雄大な景色が広がってきて、否が応でも期待は高まってくる。そして到着。上にはホテルが一軒と(超激高ホテル!一泊455ドルだよ!)、みやげ物屋と売店がある。公衆電話もあり、ここから感動を伝えられるようになっているらしい。中々頭の良い経営戦略だと思ったが、おけいはんは日本へ国際電話をかけられず・・・そして遺跡の入り口を抜けていざ、マチュピチュ遺跡へ・・・!!



入り口から軽い上り坂を登り、数段の階段を登る。上へ行くごとに自分の心拍数が上がっていくのがわかる。遂に、あのマチュピチュとの対面なのだ。人類が残した最も偉大な建築都市のひとつ。
そしてついに、目の前にマチュピチュが!
まさに圧巻。まさに絶句。筆舌にしがたいとはこのことで、やはり直接見たものにしかわからない感動がそこにはあった。これを言葉にするには自分のボキャブラリーがなさすぎる、と感じた。本当に山の真ん中にポツーンとある遺跡。500年前にこんなところに村を作った人々に対して畏敬の念すら覚える、これが見たくてはるばる日本の裏側、南米はペルーまで来たのだ。

記念撮影を終え、まずは「インティ・プンカ」という遺跡へ。けっこう遠くて片道40分、なだらかな坂道をひたすら登った。途中で会った日本人のおばちゃんに行く価値はある、とは言われたものの軽く後悔した。インティ・プンカは、時間があれば行くようなところで遺跡についてまずはじめに行くところではない、と後で言われた。でもその眺めはなかなか良かった。遠くにマチュピチュを見ることのできるポイントである。そしてまた40分かけて戻る。これでけっこう体力を消耗してしまった。
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人生最後の(?)成績表

2006年02月21日 21時46分00秒 | ボヤキ。
4年生秋学期の成績表が返ってきた。
実はまだあと2単位、主専攻の単位が残っていたので今学期は無駄に4個もテストを受けてしまった。まあ学生を最後にエンジョイした、ともいえるが。

その結果。

見事全取りです。

国際交通論       75
総合政策        71
国際金融論       72
国際企業ネットワーク論 60

見事にそろいもそろっておれ自身を体現したような点数。
単位が取れればいい最低限の点数をこれだけ4つ揃えられるのはおそらくA型の方には耐えられないかもしれない。
そんななか、納得できない科目が。


国際企業組織論     50


・・・ぼくこの授業一回も行ってないんですけど。
授業も行かなければテストも行ってない、文字通りノータッチのこの授業。
いわば登録点ってことなのか。。。

グリーン教授、こんなんでいいんですか~?
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ペルー周遊期Ⅳ ~谷間の村~

2006年02月20日 01時43分05秒 | ペルー周遊期。

「Hotel Munay Tika」


標高3400mのクスコから一転、ここオリャンタイタンボは2800m。
このあたりに来る人にとっていきなり高度のクスコに入ると、高山病にかかる可能性が高い。そのためにこれぐらいの高さのオリャンで慣らしておけばいいらしい。2800mと聞くとほっとする。
オリャンはとても小さくてかわいい街だ。ちょうどクスコを小さくした感じといってもいいかもしれない。ここでも家々の色は統一されており、そこらじゅうに花が咲いている。今、ペルーは夏なのだと再認識。この”谷間の町”は本当に谷間に位置しており周りは3,4000mはあろうかという山々に囲まれている。ペルーの山ってすごく急なんですね。絵に描いたような、というかマチュピチュの写真でよく見るあの遺跡の後ろにあるような山ばっかりなんです。日本の山はすごくなだらかで、富士山も日本一高いとはいえあれほどの裾野を持っていれば6000m級の山であってもおかしくない。まあそういうなだらかさが、日本特有の柔らかな美というものを表現しているんだろうけど。

今夜泊まるホテルは「Munay Tika」。はっきりいってこのペルーでは劣悪な環境での宿泊を予想していた。しかし、Munay Tikaはすごくきれいで、ヨーロッパにあるコテージみたいなところだった。受付の女性もとてもかわいらしい。この旅では目の保養には事欠かないらしい。部屋はベッドが3つあるだけの簡単な部屋だったが、自分的にはお湯の出るシャワーがあることとベッドの上で虫が死んでない、というだけで十分だった。宿に到着したのは11時ごろ。近くにすごい遺跡があるから是非、と薦められていたが、みんな時差ぼけでちょっと疲れていたので一眠りしてから行くことにした。2時に起きて行こう、と約束して各自目覚ましをセットして眠りの中へ。。。
次に起きたときにおれが時計を見ると長針と短針がバーティカルに一直線になっている。
「・・・ん?もしや・・・。」
時間はきっかりと6時を指している。完全におれらは6時間以上眠りこけていたのだった。
おけいはんはこの時、明日のマチュピチュへ行くための起床時間が朝の5時半とかそんなんだったので寝過ごしたと思ってたらしい。

それぐらい時間の感覚を失うぐらい寝た3人は、時間も時間で腹が減ったので、街の中にあるドライバーのアドルフォおすすめのレストランに行くことにした。念のためほかのレストランも見て回ったが、どのレストランもほぼ同じメニューだ。このへんは外国人旅行者のためのメニューなのだろう。
レストランではピザとスープと魚料理を注文。高山病予防のために飲んではいけないと言われていたビールも、寝ぼけているためそんなことはすっかり忘れて注文した。どれもそれなりの味。でもけっこうボリュームがあって、やっぱり安いのがなんともうれしい。食い終わって広場を軽く散歩すると、夜も8時ごろだというのに赤ちゃんを抱いたお母さんや子供がいっぱいいる。
ここらへんの人たちの一日の生活ってどんなんやろう、という単純な疑問が浮かび上がる。きっと自分達みたいにせかせかしてないんやろうなーと思う。

明日はマチュピチュに行くために早起きしなければならないので、早めに切り上げて一行は寝ることにした。もう数時間でマチュピチュだ。。。
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ペルー周遊期Ⅲ ~未知の領域~

2006年02月18日 02時45分56秒 | ペルー周遊期。
「クスコの街並み」


リマで色々あったけど、とりあえずマチュピチュの近くの街、クスコへ向けて6時の便で出発した。LAN航空というローカルな航空会社の飛行機に乗ったのだが、予想に反してすごくきれいな飛行機でとても新しかったし天井が高かったのがちょっと優雅になった気分だった。しかしそれ以上に良い気分にさせてくれたのは、フライトアテンダントの、いやここはあえてスッチーと呼ばせてもらうが、スッチーのネエちゃん(失礼!)、もとい女性があまりに美人だったからだ。
ものすごくきれいだった。
もう一度言おう。ものすごくきれいだった。
ペネロペ系の美人やけどあそこまで濃くなく、しかしラテン系の美しさを有していて隣の席の後輩と思わず興奮してしまった。帰りの飛行機でもいたのでおそらく彼女はあの航空会社のエースなのだろう。

そんな話はいいとして。
1時間ほどでクスコ空港に到着!
ここクスコは標高3400m。富士山で言うと8合目ぐらいなんかな?予想通りかなり空気が薄い。いくら吸い込んでもあまり肺に空気が入ってこない。はーはー。空港では地元の楽団が民族音楽でお出迎え。こういうのってけっこううれしいっすよね。空港に旅行会社の人が迎えに来ていた。日本人のおばちゃん直子さんとペルー人のドライバー、アドルフォだ。ワゴンに乗り込んでひとまずオフィスへ。

クスコという街はとても美しい。なんといっても街全体が世界遺産になっているのだ。全てにおいて統一された色と、盆地になっているため少し高台に上ると町全体が見渡せる。これほど美しい街並みはイタリアのペルージャに匹敵するぐらいだった。クスコにはインカ時代の建物はないけどスペインの統治時代の建物だから簡単に言うと関学の校舎みたいな感じが街全体に広がってる、といったら近いのかな?

オフィスに到着後、前回写真で紹介したコカ茶を飲みながらツアー全体の説明を受けるが、まだ頭がぼーとしていまいち入ってこない。そこで1時間ぐらい休憩してから今夜の宿であるオリャンタイタンボという非常に言いにくい町へ。クスコは標高3400mやけどそのオリャン・・・は2800m。いきなりクスコに泊まると高山病にかかるので体を慣らすためにオリャンで2泊する。

クスコから車で1時間半ぐらい走るとそのオリャンなのだが、途中で何度か山越えみたいなことをしてそのときに、「あーここらへんだともう3600mぐらいかな」と聞くともう精神的に高山病にかかってしまい頭がクラクラする。はーはー。


途中でマルゲリータさんという人の家にお邪魔する。現地の人の生活ぶりを見せてもらうということだ。そこで見たのは完全なる地産地消の世界。広大な畑には数限りない作物が育ってるし、家畜もいる、周りの山々から水は流れてくる。そして全てが循環している。無駄がない。例えばその家ではクイというモルモットのような動物を飼っているのだが、クイ達は所狭しとリビングを走り回っている。もちろん足元をね。とうもろこしを取ってきてまずとうもろこしをゆでて食べる。そのとうもろこしの葉をクイ達に食べさせる。さらにペルーの人達はそのクイも食べるのだ。何ひとつ無駄なものがないことにすごく感銘を受けた。おそらく昔の日本でもこういったことが普通に行われていたのだろうが、大量生産大量消費で特化した仕事しか行わない現代の日本では考えられないなーと思った。どちらがいいとか悪いとかではないけど、こういう世界がまだ地球ではほとんどを占めているんだろう。

マルガリータさんにお礼を行って一行はいざ、オリャンタイタンボへ・・・
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ペルー周遊期Ⅱ ~別れ~

2006年02月17日 00時53分32秒 | ペルー周遊期。
リマに着いたころには時間の感覚がなくなってて頭がかなりぼーっとする。
そのせい、とは言わないがぼくはここでこの旅最大の失態を犯してしまう。

なんと、上着をなくしてしまったのだ!
荷物を運ぶためのカートを引き抜くために、右手に持っていた上着を別のカートの上に置いたまま忘れてしまったらしい。(あくまでも予想)
それに気づいたのが3,40分後だったので時すでに遅し。
そしてここは南米。
あたりにいる怪しそうなやつに聞きまくったけど知ってる人がいるはずもない。
まず第一にみんな英語がわからない。
Baggage Claimのところでひとり立ち尽くしたおれは泣きそうになった。

とりあえずこのまま泣き寝入りするのは悔しすぎるので、なんとか保険金ぐらいはぶんどってやろうと思い、警察に盗難証明書を発行してもらうことにした。
これをやってもらうのはタイに続いて2回目だ・・・
警察にその旨を伝えると、

「???」

ここでもか。。。
空港にいる警察なら英語ぐらいしゃべれよ、と心の中でかなり愚痴りながら身振り手振りで説明する。警察のおっちゃんは優しそうな人でなんとかおれのことを理解してくれようとして、わかった、ついてこい、と言わんばかりに手招きをした。
しかし、てっきり空港内の出張所でするのかと思いきや、おっちゃん含む警官2名は空港を出てどんどん離れていくではないか。歩いている間色んなことが頭をよぎった。
(ここで事件起きたら親になんて言おう?)
(そもそも生きて帰れるのか?)
(こいつがこう来たらこの警官の銃をこう抜いて・・・)
警察署らしきところにつくまでの20分間は自分にとっては永遠に感じた。
中には警察らしき人が何人かいる。でもまだ信じられない。
鉄格子を超えて中に入ると鉄格子に鍵がかけられた。
これでもう自分は逃げられない。
超薄暗い部屋の中でおっちゃんは調書を取り始める。が、その書くスピードが遅くてさらに何回も間違えるから作業は遅々としてすすまない。おっちゃんに、6時のフライトだから4時までに空港に帰らなくちゃいけない、ということを言うと、「ノー・プロブレモ!」と自身満々に答える。そしてまた間違える。さすがにこの瞬間はイラっとした。ようやく長い文章を書き終えてやっと終わった、と思ったらそれをまたタイプし直して処理しなければならない、と言う。じゃあなんで直接打ちこまねーんだ、と思ったけどおっちゃんがすごくがんばってるっぽいので理解した。すぐ終わるよね?と聞くと

「ウ、ウノ オウル」

も、もしや。。1時間のことでは、と聞くと、「Si!」と元気よく答えてくれるではないか。
その時点で時間は3時。無理だからもっと早くならないか、と言うと彼に聞いてくれ、と返ってきた。

奥を見ると偉そうなおっさんがパソコンで何かカタカタやっている。どうやらおっちゃんの役目はこれで終わりなようだ。おっちゃんは空港の帰り方まで教えてくれて警察署を後にした。すごく良いおっちゃんだった。

しかしおれの戦いはまだ終わっていない。奥にはおっさんと警察かなんなのかわからない若いやつが2人。若いやつはおれの方を興味ありげに見てくる。時々「トモダチ」「ハポン」とか言ってくるけどこちらに余り余裕がないので軽く笑ってごまかしていた。
それよりおっさんに催促すると「まあまあ、ここはペルーだぜ」みたいな態度で部屋を出て行った。

また戻ってきてやっと作業を始めたと思っても、タイプが死ぬほど遅い。パソコンに慣れてない人が

一個づつタイプするのと同じスピードだ。それを見た瞬間、天を仰いだ。
とにかくそのおっさんはタイプだけでなく、こちらをなめてるのか何をするのにもスピードが遅いのだ。おれがかなりいらいらしてると横に座ってた若いやつが色々話しかけてきた。するとどこかの国の硬貨を持ってるか、と言われたので日本の10円玉を挙げて、ハポンの宣伝をしておいた。
時刻が3:50を指そうかという時に、おっさんはとてもめんどくさそうに「Finish」と言ったのでおれはその紙をぶん取るようにもらい、「グラシアス」と何度も言い空港へダッシュで戻っていった。
その帰り道も死ぬほど怖かったけどそれどころではなかったのでとにかく走った。

2時間ぶりぐらいに空港に帰ってくると友達に、「拉致られたと思った」と言われた。正直、自分でも拉致られると思ったよ。。。

こうしてペルー上陸初日からものすごい体験をしたおれはへとへとになったわけで・・・

そんな自分を癒すために、上の写真は高山病に効くというコカ茶というお茶です。
味はあんまないけど香りがいいかんじ☆
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Hot Chocolate, love someone

2006年02月15日 16時34分15秒 | ボヤキ。
今年もSt. Valentine Dayがやってきた。
去年の手帳を見返してみると今頃はどうやら就活でそれどころじゃなかったらしい。
説明会に初めてのグループディスカッション。
色んな予定が怒涛のように押し寄せてくる直前って感じのときだ。
何も感じることはなかったな。

バレンタインに関しては年を経るごとにモチベーションというかドキドキがなくなってくる。まあそのほかのことも同じように新鮮味がなくなってくるから、しょうがないといえばしょうがないのだが・・・
思えば中学・高校生のときはほんとにこういうイベントの時はドキドキしてたな~。

中学のときなんて数日前から意識してて、前日の夜なんかは軽く興奮して寝れない!みたいなこともあったし
当日朝はまずは下駄箱勝負!
まあそこで入ってなくてもいつか誰かが私に来るだろう、みたいに考えてて無駄に学校にずっといた記憶が・・・
結局中学のときは一個ももらえんかった

高校のときは男子校やったからもうもらえんくて当たり前、みたいに開き直ってたから、もらえたときはもう有頂天になって舞い上がってましたね
甘くもあり苦くもある青春時代のひとコマ。

世の中のOLさん達の中では、バレンタインは金かかるしめんどくさいから嫌だという意見が多い。確かにおれも逆の立場だったらめんどくさいやろな~とか思ったりする。
でも、わがまま言うようですが女性には男をドキドキさせるためにがんばってほしいですね
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ペルー周遊期Ⅰ ~機内~

2006年02月12日 23時54分16秒 | ペルー周遊期。
むー。
何回書いても消える。
もうやめよかな。。。まあでもがんばろ。

ということで、かえって来ました。
やはり南米は遠かったです。
毎日書いてた日記を基に回想してみようと思います☆

2月1日 13:05KIX発 DTR着
前回の韓国のときは10時発の飛行機やったから朝6時起きとかでしんどかったけど今回はゆっくり。何度来ても思うけど関空って暑くないですか?いっつも汗かくんやけど・・・
チェックインも完了した、と思ってチケットを見たらなんとリマまでの全線で3人の席が違ったのには閉口した。カウンターのねえちゃんのあまりの気の利かなさに憤慨しつつも中へ。
飛行機は定刻通り出発。
おれの横には誰もおらんかったけどひとつあいて隣の人が斜め後ろから見たら長州小力に似ててウケタ
ノースウエスト航空ということで機内サービスはあんまり期待してなかったけど、やっぱり予想通りやった。
楽しみにしてた映画も全部古いやつやし大きいスクリーンは角度が悪くて見えんし
正面のやつは何インチやねんってぐらい小さくて見る気が失せた。

暇だからペルーの予習をしとこうと思って「地球の歩き方」を呼んだ。
ふむふむ。ペルーとはスペイン語なのか。。。
無駄にボリビアとかエクアドルとかまで読み終えたところで機内食が。
内容は覚えてないけどとにかく味が濃かった気がする。

機内食食った後に図書館で借りてきたインカ帝国の本について読んだけどあまりにアカデミックな内容であることと、機内食のビールがきいてきて寝ることに。
1時間後、目覚めてまたひまになったので、こういうことあろうかと思って持ってきた簿記の勉強道具で勉強した。
いや~薄暗い機内ってのは集中できるもんですね。
気がつくと3時間ぐらい経ってましたよ
そんなこんなで13時間中寝たのは1時間だけという若干しんどい飛行やったけど、無事デトロイトへ。デトロイトでまた荷物をピックアップせなあかんかったのはめんどくさかったけど、空港のトラムがかわいくて早くておもしろかった。
そっから3,4時間ぐらいで次の経由地、アトランタへ。
96年にオリンピックが開かれたこの地は中米が近いこともあって、空港の中でもスペイン語が飛び交う。しかも英語もスペイン訛りでみんな何言ってるかわからん。

そしてそこからいざ、リマへ。
リマ到着とともに第一日目は終了。
はー、長いなぁ。
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From Peru

2006年02月08日 04時34分26秒 | Weblog
Hola!

Im in Puno, the city of Peru, which has lake of titikaka.
Here is 3800m from sea level.
Can u beleive Im in here higher than Mt Fuji!

I saw Machu-Pichu a few days ago, and it was breathtaking.
Peru has other fantastic points to see.
Im so attracted this country.
but spanish is little bit difficult...

now Im typing in internet cafe.

I wiil be back soon, 10 feb.

Chao!!
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出発前夜。

2006年02月01日 01時09分49秒 | ボヤキ。
ついにペルーへの出発が明日に迫った。

荷物の意外な少なさに多少不安を覚えているが、まあ他に2人いるしなんとかなるだろう。

マチュピチュ、チチカカ湖・・・

魅力に溢れたペルーへの旅。

一生の思い出にするぞ!!
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