yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

豊臣秀頼の娘 天秀尼

2017-04-13 06:15:53 | 歴史
鎌倉にある古刹、東慶寺は江戸時代から「縁切り寺」として有名です。この寺の第20世住職となったのが、天秀尼です。 大坂夏の陣で大坂城は落城し、豊臣家は滅びました。豊臣秀頼には男女二人の遺児があり、男児は処刑されましたが、女児は助けられ、千姫(秀頼の妻)の養女となり尼になりました。その人が天秀尼です。権現様(徳川家康、千姫の祖父)のお声がかりでしたので厚く遇されたということです。天秀尼は縁切り寺の住職となり、不幸に見舞われた女性の救済に尽力しました。
 話では水戸光圀公(水戸黄門)は、日本全国を漫遊したことになっていますが、実際にはそうではなかったようです。鎌倉の東慶寺は、水戸光圀公が訪問したことのある数少ない場所の一つでした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 子夜呉歌 李白 | トップ | 源平交替説 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事