惜福(せきふく)という言葉があります。幸田露伴の随筆「努力論」の中にあります。惜福とは、自分に与えられた福を使い尽さずに、残しておく。という意味です。露伴は次のように書いています。
福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。
惜福の工夫を積んでいる人が、不思議にまた福に遇うものであり、惜福の工夫に欠けて居る人が不思議に福に遇わぬものであることは、面白い世間の現象である。
露伴は惜福のほかに、「分福」と「植福」を論じています。
分福(ぶんぷく)は
幸福を人に分け与えることです。自分ひとりの幸福なんてありえません。周囲の人も幸福であるからこそ、自分も幸福なのです。幸福を惜しむ気持ちは大切ですが、独り占めにしようとするのは感心しません。
植福(しょくふく)は
幸福を植えること。将来に渡って幸せであり続けるように、今から幸福の種を撒いておくこと。精進(正しい努力)し続けることです。
また将棋の米長邦雄永世棋聖は、惜福、分福、植福に関連して、「運命の女神は、謙虚と笑いを好む」とも言っています。人生で幸福な時こそ謙虚であれ、失意の時にも笑いを忘れてはいけないと言っています。
米長邦雄 「運を育てる」
福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。
惜福の工夫を積んでいる人が、不思議にまた福に遇うものであり、惜福の工夫に欠けて居る人が不思議に福に遇わぬものであることは、面白い世間の現象である。
露伴は惜福のほかに、「分福」と「植福」を論じています。
分福(ぶんぷく)は
幸福を人に分け与えることです。自分ひとりの幸福なんてありえません。周囲の人も幸福であるからこそ、自分も幸福なのです。幸福を惜しむ気持ちは大切ですが、独り占めにしようとするのは感心しません。
植福(しょくふく)は
幸福を植えること。将来に渡って幸せであり続けるように、今から幸福の種を撒いておくこと。精進(正しい努力)し続けることです。
また将棋の米長邦雄永世棋聖は、惜福、分福、植福に関連して、「運命の女神は、謙虚と笑いを好む」とも言っています。人生で幸福な時こそ謙虚であれ、失意の時にも笑いを忘れてはいけないと言っています。
米長邦雄 「運を育てる」