清水権現の去就
失脚したとはいえ、清水権現の威光なしには事態は収まらない。
中野さんでは「総括を出せ」という任務に耐えられない。
除名された岸d・水谷dそして九州地方委員会(平田派)にとっては、「忠誠が仇」とされてはたまらない。
清水dの「自己批判」はまず、相変わらずに長大で、こんなものを「指導的論文・学習文献」にされてはたまらない。
「誤るならまずは単刀直入にごめんなさいと言え」だ。
とりあえず、〈私・清水と天田ほか大PBの力の差が大きすぎて〉が目に入る。〈批判されて感情に動かされ止まらなくなってしまった〉結果、京都や兵庫の同志たちの提起を踏みにじり、与田に与してしまった‥‥。
「反スタとは」一国社会主義論だけだと思っていたけれど、(こういう)組織論の領域もあった‥‥、とか。
これだけ真摯で立派な自己批判が書ける、ということに感動する若手と、こんなものは何度も経験したとしらける声と‥‥。
ま、このままで終われば、「霊廟」が建ち、権現か秀吉明神か。文革を打倒した中国でも、今でも(檻に入れられた)毛沢東の神格化の力は無視できない。霊廟を誰が握るか?「玉(ぎょく)を誰が握るか?」
ま、いい。
「清水っ出てこい」「こそこそ陰に隠れるな」「パクられたら俺たちが助けるから」という声々。
中野さん亡き今、清水dの登場なしには一歩も進めない状況でもある。
「清水著作選」の安定的印紙収入と「非非」を体現するための(?)破格のリゾート資金(檻代)‥‥。
清水dは同世代の中では「実務?実業の力」が抜きん出ていたらしい。空論ばかりに現を抜かす当時の(超)エリート学生たちの中でリアリストだったということか?まさしくレーニンが徴用したスターリンの偉大さ?
「シミタケ」というかつての愛称は消え、「清水さん」‥‥。
そして「出てこい、出てこい、しみったれ」
「進退」を明らかにする、という言葉が今更ながら身にしみる。
苦境に立つ中核派(とその中央)
「福島の3・11」に直面して、中核派は脱原発運動にのめりこむ。
けれども余りに多くの壁にぶち当たっている。
古くから反原発に関わってきた人からは、常に言われ続けてきた。
「浜岡から引いた。早く戻ってくれ」
全国の住民や地域の運動から引いたままの中核派。シンパや仲間に「○○のために引け」と言い続けてきた中核派。いまさら何をおめおめと‥‥。
歴史を知らず、歴史に責任を持たない若い人たちは良いけれど‥‥
経産省前のテント小屋にうまく入り込んだのもつかの間、議論の流れを無視して突然、「(中核派主導の)福島集会」を提起して、「動労千葉のための脱原発の利用」と弾劾されて追い出された。
診療所カンパの行方、「子どもネット福島」での公金問題。
そして『前進』トップのプロレス見出しで「山本太郎」を叫ぶ。
中核派の名を売るために山本氏の足を引っ張った‥‥けれどそんなことも分からない。
ふつうなら、「全執行部の総辞職」。
けれども中核派には「監査」も「辞任」も「辞書にない」
「水平同盟」結成は、ことの是非や正否をおいて、あまりに「ごく少数派の分裂主義〉だ。同盟員たちは中核派単独の私物であるかの行動。
「党と同盟の一体化」とでもいうのだろうか?(党と労働組合の一体化!)組織も個人も一層の孤立を強いられる。「孤立して何が起こっているか、見えなくなった」
究極の自暴自棄。中央の心中路線とでもしかいえない。
自滅するなら一人でやって!
清水氏の義理の兄弟で「秘書」「伝令」として永く采配を振るってきた高木徹dの失脚。口うるさい奴だったな、と。
60年安保世代の多くが一線から身を引き、「団塊の世代」「全共闘世代」も次々に現場から去った。
「党の継承」は過去の話だ。
中核派にとっても、「昔、戦争があった」という所だ。
「美しい中核派の歴史」「党の自虐史観には反対」
カネ・カネ
高収入の現役が去れば、常任や格差に苦しむ若手の「党生活」は維持できない。「どこかにカネが落ちていないか?」
「年金口座」の供出・集中、そしてシェアリングという発想もないわけではない。けれど「財政のガラス張り」と「参画制度」「会計監査」なしには、誰も信頼できない。応じない。「非非の前衛党」とは相いれない。悪名高い戦時共産主義や「99%の貧しさの平等」にしかならない。
「年金口座」の供出・集中、そしてシェアリングという発想もないわけではない。けれど「財政のガラス張り」と「参画制度」「会計監査」なしには、誰も信頼できない。応じない。「非非の前衛党」とは相いれない。悪名高い戦時共産主義や「99%の貧しさの平等」にしかならない。
どこの世界も同じことか‥‥。
迫る「最高指導部の世代交代」
清水dもいまや76(?)、天田dは72(?)。長時間の激しい緊張にはもはや耐えられない。何度もダウンし、はっきり言って引退の歳だ。無事に後継者に実権を引き継ぎ、影響力を確保するには、かなりの荒療治が必要だ。
「集団指導性」など、「党の一枚岩」の原則を否定し、じっさいに無際限の内紛と分裂を引き起こす。ソ連や中国・北朝鮮のように国家権力を掌握するならいざ知らず、ごく少数派の中核派にあっては、分裂し飛び出して自立する道が豊かに残されている。
大量粛清をしてもなお「唯一の前衛党」を維持する意味はある。「党の革命」のように、先制のクーデタをしかけ、危険な因子を片っ端から切り捨てよ。あらゆる手段を使って。別件であれ何であれ。
それは「今でしょ!」
時期は前後するけれど、「荒川スパイ事件」はこんな中で起こった。
甘粕氏の除名の余波
昨年末の甘粕除名問題の余波は治まらない。
依然としてくすぶり続けている。
連座して(擁護して)ともに除名された中には、労働運動路線にとって欠かせない有為な人材も含まれている。交流センターの旗頭になるべき人材‥‥。
その除名された彼らをさらに擁護する核もあり、広い意味での擁護派の代表格の1人が荒川氏だった。
声明によれば、彼らもまた荒川氏と「有無通じ」た。
便利な言葉だ。何が「有」で何が「無」か。はっきりしてよ。
〈シロ説〉に立てば、荒川氏はとんだとばっちりを受けたのかもしれない。
「反党分子」なら、反論もできる。
「分派結成」なら、それでも「分派禁止だっけ」とつぶやくこともできる。
けれど、「スパイ」となると‥‥。
中核派は「戦時法廷」を平時に貫く「前衛党」なのだ。
〈クロ説〉は、情報公開を正当化できるのか、という素朴な疑問を残している。責任も‥‥。「スパイ天国の中核派(中央)」への疑念はけして小さなことではない。
査問・糾問そして排除・除名の疑惑の対象はあまりにも多い。さっさと芋づる式に摘発してウミを出し切らなければ。大手術が必要なのだ。たとえその結果、「誰も残らなかった」としてもだ。
いまの中核派とその中央、分析や批判よりも、小説にしたほうが適切かもしれない。佐木隆三やそう今井先輩などに‥‥。
「何が私にそうさせた?」
たぶん、本人も分からないことだらけだ。
自立と連帯
・中であれ外であれ、「自分の名で語ろう」。自前の旗を持って、登場しよう。その上でこその「党」や運動ではないか。
・「認識の一致」と、安部が推し進める「同じ価値観」「価値観の一致」や「日の丸・君が代」との違いは何か?カクマルの「思想的一致」とどう違うのか?
少し時間をかけて考えていきたい。違うにせよどうにせよ、むしろ「不一致」をどう扱うのか。「不一致の多様性」「中核派はカクマルと違って、みんな勝手にものを言い、勝手に行動する」。それが〈70年〉でもあったということ…。振り返り、熟慮する価値のある課題なのだと思う。何回、何日かけてもいい‥‥少なくとも「道徳教育批判」の原点にはなりそうだ。
・元中核派がいま、時を経て名乗りを上げている。テント小屋や被災地へのトラック部隊でも、「老いてなお元気」だ(テント関係者はすでに何人も亡くなった。「ま、死処を得たり?」)。
・地方では、毎年数百人の〈市民〉が参加する集会の、大事な一角に彼らもいる。「首都・東京」こそ運動の過疎地だ。
・そして、高円寺から始まった巨大なうねり。
・3・11は新たな「生き方」を求める、生活の海の底からの地殻変動を生んでいる。その中身はこれからいよいよ様々な形をとって花咲くことになる。
「中核派としての生き方」
・現役の中核派として続ける道も無いわけではない。
ただ、ここでは「上からの指令待ち」は意味がない。
あえて言いたいことを飲み込んで、内部からの変革を求める道も無いわけではない。大事なことは「存在が語る」。
・「ぶれない」のもいいが、「女の道は一本道」であれ、「ならぬことはならぬ」であれ、現実にほんろうされるのが運動であり、社会であり、世間だ。闘いに「清廉潔白」を求めるのは共産党だけでいい。
・「豊かで多様な心のポケット」を作り出し、いろんな場面で対応できる「体の隅々までの細胞の力」を蓄えよう。行く先々で千変万化できる適応力が、「いざその時」、役に立ち頼られるに足る自分を作る。いつまでも運動の「パシリ」でいられるわけがない。わずかばかりのサエで、重い課題を背負う時、最悪のダラ官の未来が迫る。
・かつての社会党の問題の一つは、「まともな人間は幹部にならない」、ということにもあった。
実は中核派にもそんな側面はある。
・最後に、「やられたらやりかえせ」「倍返し」はいい。ただ、注意と配慮がいる。そのために多くを学びたい。
・「社会主義と何か」。素朴な疑問だけれど、「この社会を何とかしたい」心の現れだ。「外部注入」論もいい、「政治闘争の重視」もいい。けれど、社会に学び社会とともに歩むことを忘れた社会主義って何だ?もっと手間暇かけて「社会」、時には「世間」を学びたい。
改めて「推定無罪」
・荒川氏は、「証拠なきものは無罪」の「推定無罪」が現状だ。〈クロ説〉であれ、〈シロ説〉であれ、多くの論議が欲しい。
除名や追放の歴史(参考)
付録程度でしかないけれど参考までに。
主に75年3・14以降を振り返る。時期の多少の前後はご容赦を。
75年 本多書記長の虐殺
・報を受けて、野島氏が急きょ清水氏と面会要請。「自分の任務を果たせ」と追い返される。以降70年代、いくつかの重要会議で基調報告はすべて常に清水氏が独占。(中核派の清州会談)
・清水-野島-秋山氏体制。表は北小路・水谷-松尾氏など。「地下の中2階に高木氏」)
80年代
・青忠時代(改革の4人組)→青忠「意見書」で失脚。
・天田氏KC(関東)キャップに。神奈川委員長を兼任。空席の埼玉県委員長に木崎氏が大抜擢)
・北小路氏失脚(動物的勘)→吉葉氏・岸氏ら抜擢。
・ウラの小委員会に白井氏復帰。
・法大支部の全員が分派→責任者の配転・流罪(のちに復活)
・松尾氏「入院=失脚」→全学連・堀内委員長も連座?学対は矢崎氏。鎌田新委員長(獄中)
・野島氏失脚・逃亡。(セクハラ?暴行?)
90年代
・吉葉氏退場。天田氏が本社のキャップに。→坂木氏の抜擢(労対キャップ)
・白井氏の糾問→逃亡「最高指導部への畏敬の念の欠如」
・秋山氏(責任者代行)失脚→蟄居(清水氏の入院中に反旗策動?)
・新指導路線(議長職新設、中野副議長)
2000年代
・宮崎学のスパイ事件
・角△氏・白井氏へのテロ(中核派は沈黙と否認)
・高杉スパイ事件
・関西の「3・14」→岸・水谷氏の除名(九州平田派独立)
・結柴氏(杉並議員)除名。連座して新城氏除名。→独立
・関西派(塩川派)の独立(地方委員会の除名)
・全国連が前進社へのデモ(独立)
・甘粕氏ら4人除名(分派活動の罪。同擁護の罪)
・荒川氏の追放(スパイ罪)