コトバのニワ

出会った音やコトバのことなど

ヒョンチョルメモ 2~6

2010-06-30 | ソ・テジ

 少年ソ・テジがなかなか離してくれない。だけどいったいわたしは何の権利があって、彼のメモをひっぱり出して勝手に訳しているのかな。(ここの「4.태지's WRITE」から)
 愛を求める少年(これは何歳の時のノートなんだろう?)にとっては、キリスト教の愛も、ユダヤ教の愛も、世俗的な男女の愛も、ぜんぶ探求の対象のようだ。
 
(ヒョンチョルメモ 2)
평화를 구하는 기도                    平和を求める祈り                

오, 주여! 나를 당신의 도구로 써주소서.  主よ、わたしをあなたの道具とさせてください。

미움이 있는 곳에 사랑을               憎しみのあるところに愛を
다툼이 있는 곳에 용서를               争いのあるところに赦しを
분열이 있는 곳에 일치를               分裂のあるところに一致を
의혹이 있는 곳에 신앙을                疑いのあるところに信仰を
그릇됨이 있는 곳에 진리를             誤りのあるところに真理を 
절망이 있는 곳에 희망을                        絶望のあるところに希望を
어둠에 빛을                                          闇に光を
슬픔이 있는 곳에 기쁨을 가져오는 자 되게 하소서.
                                                悲しみのあるところに喜びを もたらす者にしてください。
위로 받기보다는 위로하고                      慰められるよりも慰めることを      
이해 받기보다는 이해하며                      理解されるよりも理解することを
사랑 받기보다는 사랑하게 하여 주소서.   愛されるよりも愛することをさせてください。

우리는 줌으로써 받고                            わたしたちは与えてこそ受け取り
용서함으로써 용서 받으며                      赦してこそ赦され
자기를 버리고 죽음으로써                      自分を捨てて死んでこそ
영생을 얻기 때문입니다.                        永遠の命を得るからです。   
                         - 성 프란치스코                           -アッシジの聖フランチェスコ
          
 
 力強い愛の祈り。1994年のインタビューで、<教室イデア>を逆回しすると聴こえる音のせいで教会から悪魔崇拝疑惑をかけられていたテジは、「教会には行かないけど、困難な時は神様に力をくださいと祈る」と言ってたっけ。

(ヒョンチョルメモ 4)  
 서정주(徐廷柱、1915~2000)の「푸르른 날(秋晴れの日)」は、この方のブログに歌詞と和訳と歌が紹介されているので、そちらを。
 この歌が当時はやっていたのかな。

(ヒョンチョルメモ 5)
                          
사랑                            愛

세상에는 강한 것이 12개 있다.            世界には強いものが12ある。
우선 돌이 강하다.                    まず、石が強い。
그러나 돌은 쇠에의해 잘려진다.           だが石は、鉄によって切られる。
쇠는 불에의해 녹아버린다.               鉄は、火で溶けてしまう。
불은 물에 의해 꺼진다.                 火は、水で消える。
물은 구름속의 것으로 흡수되어 버린다.      水は、雲の中へと吸い込まれてしまう。
구름은 바람이 불면 날아가 버린다.         雲は、風が吹けば飛んでしまう。
그러나                           だが
바람은 인간을 불어 날리지 못한다.         風は、人間を吹き飛ばせない。
그 인간도 공포에의해 비참하게 위축된다.     その人間も、恐怖にはふるえあがる。
공포는 술에의해 제거된다.              恐怖は、酒でとり除かれる。
술은 잠을 깨면 깬다.                  酒は、眠りから覚めれば醒める。
그 잠도 죽음 만큼은 강하지는 않다.         その眠りも、死ほどは強くない。
그러나                           だが
그 죽음조차도 사랑에는 이기지 못하는 것이다. その死さえも、愛には勝てない。
               -탈무드 중에서-                    -タルムードより-

 
タルムードは、「ヒョンチョルメモ 11」でも引用されている。
 「友- 妻を選ぶときは階段を一段降り/友を選ぶときは階段を一段上がれ/友が興奮していたら鎮めようとせず/悲しみに沈んでいる時は慰めるな」
  「友情- 友が野菜を持っているなら、肉を与えよ/友があなたに蜜のように甘くても、それを全部しゃぶってはならぬ」 

(ヒョンチョルメモ 6)
                 
평행선 
                                 
우리는 서로 만나본적도 없지만
헤어져 본적도 없습니다              
무슨 인연으로 태어났기에     
어쩔 수 없는 거리를 두고 가야만 합니까   
가까와지면 가까와질까 두려워하고
멀어지면 멀어질까 두려워하고
나는 그를 부르며
그는 나를 부르며              
스스로를 저버리며 가야만 합니까
우리는 아직 하나가 되어 본적도 없지만은
둘이 되어 본적도 없습니다             ~詩 김남조~

平行線                キム・ナムジョ(金南祚、1927~)

わたしたちは 出会ってみたこともないけれど
別れてみたこともありません
どういう縁で生まれたせいで
ひたすら距離を置きつつ進まねばならないのでしょうか
近づけば近づくのでは
と おそれ
遠ざかれば遠ざかるのではと おそれ
わたしは彼を呼び
彼はわたしを呼びながら
じぶんに背いて進むしかないのでしょうか
わたしたちはまだ ひとつになってみたこともないけれど
ふたりになってみたこともありません

 
金南祚、漢字の名前ではイメージがわかないけど、女性です。この詩を引用している韓国語のブログを見ると、必ずといっていいほど線路のレールの写真つき。
 少年テジ君、永遠に平行線をたどる愛を予感していたのかな。


わたしたちふたり

2010-06-26 | ソ・テジ

 少年ソ・テジのメモ帳に書かれた2つめの詩。(ここの「4.태지's WRITE」)
 フランスの詩人ポール・エリュアール(1895~1952)が、3度目の結婚をした1951年に発表した愛の詩で、ふたりで手をつないでいけば、どこであろうと我が家のように感じる、というシンプルな愛のよろこびを歌ったものだけど、韓国語訳では恋人同士の信頼の詩になっている。
 インターネットで検索すると、別の韓国語訳でも信頼の部分は同じなので、なにかの教科書にでも載っていたんだろうか。だけどこの詩に「信頼」を持ち出すのは、誤訳でなければ教育当局(?)の陰謀だろう。

 写真のテジ版の韓国語を直訳した太字の部分を、40年前の訳だけど、下の日本語訳(高村智訳)の太字の箇所と比べてみてください。

우리 둘이는 서로 손을 맞잡고         わたしたちふたりは たがいに手に手をとって
어디서나 마음속 깊이 서로를 믿는다   どこにいても心の奥深く たがいを信じる
아늑한 나무아래
 어두운 하늘아래       おだやかな樹の下 くらい空のもと
모든 지붕 아래 난로가에서            すべての屋根の下 炉辺で
햇빛이
내리쬐는 빈 거리에서          陽がてりつける ひとけのない通りで
민중의 망
막한 눈동자 속에서          民衆のうつろな瞳のなかで
현명한 사람이나 아둔한
사람 곁에서       かしこいひとや おろかなひとのそばで
어린 아이들이나 어른들 틈에서도
        こどもたちや おとなたちのあいだでも
사랑은 아무것
도 감추지 않느       愛は 何ものをも 隠しはしない
우리들
은 그것의 확실한 증거이다     わたしたちは その確かな証拠だ
사랑하는 사람들은 마음속 깊이       愛し合うひとたちは 心の奥深く
서로를 믿는다                 たがいを信じる
              - 엘뤼아르- (Paul Eluard)                                          ーエリュアールー
(追記:最初に載せた韓国語がテジ版と違っていた箇所を直しました。)

Nous deux        Paul Eluard
      
Nous deux nous tenant par la main  
Nous nous croyons partout chez nous  
Sous l'arbre doux sous le ciel noir   
Sous tous les toits au coin du feu    
Dans la rue vide en plein soleil      
Dans les yeux vagues de la foule     
Auprès des sages et des fous       
Parmi les enfants et les grands      
L'amour n'a rien de mystérieux     
Nous sommes l'évidence même      
Les amoureux se croient chez nous.
   

わたしたちふたり   ポール・エリュアール

わたしたちふたりは たがいに手に手をとって
わたしたちは どこでも じぶんたちの家にいるようにおもう
やさしい樹のしたで 夕ぞらのもとで
屋根屋根のしたで カマドのすみで
陽がてりつける ひとけない街のなかで
むらがるひとたちの うつろな眼のなかで
かしこいひとびとや おろかなひとびとのそばで
こどもたちや おとなたちのあいだで
愛は なんのふしぎもなく
わたしたちは 明白そのものだ
恋するふたりは じぶんたちの家にいるようにおもう
               (高村智編訳『エリュアール 愛 後期恋愛詩集』1969、勁草書房)

 手をつないで街を行く思春期の少年少女を思わせるこの詩を読むと、そのネガフィルムのような、フランソワーズ・アルディの<男の子女の子>を思い出す。
 弱冠18歳にして200万枚の大ヒットを飛ばした、1962年のデビュー曲だ

Tous les Garçons et les Filles


Tous les garçons et les filles       Françoise Hardy
男の子女の子                     フランソワーズ・アルディ詞・曲


Tous les garçons et les filles de mon âge se promènent dans la rue deux par deux.
Tous les garçons et les filles de mon âge savent bien ce que c’est d’être heureux.
Et les yeux dans les yeux, Et la main dans la main.
Ils s’en vont amoureux, Sans peur du lendemain.
Oui mais moi, je vais seule, par les rues, l’âme en peine,
Oui mais moi, je vais seule, car personne ne m’aime
Mes jours comme mes nuits, sont en tous points pareils,
Sans joie et pleine d’ennui,
Personne ne murmure « je t’aime » à mon oreille.

同じ年ごろの男の子と女の子は みんな2人で街を歩く
同じ年ごろの男の子と女の子は みんな幸せを知ってる
*目と目を合わせ 手に手をとって
  恋するふたりに明日はこわくない
    なのに わたしはひとり 悲しく街をさまよう
    なのに わたしはひとり 誰も愛してくれないから
昼も夜もわたしには まるで同じ
喜びもなく退屈なだけ
誰も耳もとで愛してるってささやいてくれない

Tous les garçons et les filles de mon âge font ensemble des projets d'avenir
Tous les garçons et les filles de mon âge savent très bien ce qu'aimer veut dire
Et les yeux dans les yeux et la main dans la main
Ils s'en vont amoureux sans peur du lendemain
Oui mais moi, je vais seule par les rues, l'âme en peine
Oui mais moi, je vais seule, car personne ne m'aime
Mes jours comme mes nuits, sont en tous points pareils
Sans joies et pleins d'ennuis
- Oh ! Quand donc pour moi brillera le soleil ?

同じ年ごろの男の子と女の子は みんな一緒に未来の計画を立てる
同じ年ごろの男の子と女の子は みんな愛の意味を知ってる
*繰り返し
昼も夜もわたしには まるで同じ
喜びもなく退屈なだけ
ああ、いつになったら太陽はわたしに輝くのだろう?

Comme les garçons et les filles de mon âge, connaîtrais-je bientôt ce qu'est l'amour ?
Comme les garçons et les filles de mon âge, je me demande quand viendra le jour
Où les yeux dans ses yeux et la main dans sa main
J'aurai le coeur heureux sans peur du lendemain
Le jour où je n'aurai plus du tout l'âme en peine
Le jour où moi aussi j'aurai quelqu'un qui m'aime


同じ年ごろの男の子と女の子みたいに わたしももうすぐ愛を知るのだろうか
同じ年ごろの男の子と女の子みたいに その日はいつ来るのだろう
彼と見つめ合い 彼と手をつないで
明日をおそれず 幸せに心はずむ日
もうぜんぜん悲しくなんかない日
わたしにも愛してくれる人がいる日は


メビウスツアーCD発売

2010-06-24 | ソ・テジ

 TSUTAYAで本を買ってプレゼント用にラッピングしてもらったら、ソ・テジの7集の<ロボット>のMVに登場するスモーキングロボットが、包装紙にいた。 
 いや、今日はそんなことを言っている場合ではない。
 メビウスツアーのライブアルバムが7月16日発売。<ノワハムケハン>のみ7月13日にオンラインで先行公開。
 
 ダッコムの公示がなにやら詩的だ。
「去る2009年、十とひとつの夏の夜を美しく刺繍した열 한번의 여름 밤을 아름답게 수놓은 24曲全曲が収録され、全国ツアー『ザ・メビウス』の総括プロデューサーであるTが全曲をミキシング&マスタリング、あの日の美しい記憶を生き生きとよみがえらせてくれるでしょう。」

「夜を美しく刺繍した」というのは、韓国語の定型的な言い回しのようだけど、あれはテジの刺繍だったのか(笑)。
 このあいだ見た中島哲也監督の「下妻物語」でも、刺繍という行為に意外な光が当たっていて驚いた。ロリータとヤンキーが主人公だと思って、長い間食わず嫌いだったけど、すごい傑作。2004年公開作、<ロボット>の年に見るべきだった。


ヒョンチョル格言集

2010-06-21 | ソ・テジ
 今年、ETP FEST は開催しないことをソテジカンパニーが正式発表。あ、逆に今まではまだ開催の可能性があったのか。
 NAVER MUSICのソ・テジ15周年記念館(HP)に載っている、ヒョンチョル君の自筆メモ帳(ここの右上の「4.태지's WRITE」)がおもしろい。愛と友情と人生を考える詩の引用にもまして、最後の13枚目の格言集に悩める少年テジを感じたので、写真の上から順番に訳してみた。
 
잡학 사전 雑学辞典
 
나는 미래가 있는것만으로 행복하다.
僕は未来があるだけで幸せだ。
 
인간은 도구를 만드는 동물이다.    -플랭클린-  (注0)
人間は道具を作る動物である。 -ベンジャミン・フランクリン
 
웅변은 은이요 침묵은 금이다. 침묵은 더큰 웅변이다.
雄弁は銀なり、沈黙は金なり。沈黙は、より大きな雄弁だ。
 
황금은 뜨거운 난로속에서 시험되며
우정은 역경에의해  시험된다.
黄金は熱い炉の中で試され、友情は逆境の中で試される。(注1)
 
비록 내일 지구의 종말이 온다해도
난 한 그루의 사과 나무를 심겠다.   - 스피노자-
たとえ明日、地球の終わりが来ると言っても、私は1本のリンゴの木を植えよう。
-スピノザ (注2)
 
나는 노예가 되고 싶지 않는것처럼
주인도 되고 싶지 않다.
           -링컨-
私は奴隷になりたくないがゆえに、主人にもなりたくない。 -リンカーン
 
우리는 전투에는 졌지만 전쟁에는
아직 지지 않았다.           -드골-
我々は戦闘には負けたが、まだ戦争には負けていない。 -ドゴール
 
은혜를 모르는 자식을 가지는 어버이의 괴로움은
독사의 이빨에 물리기보다 더하다.
恩知らずの子を持つ親の苦しみは、蛇の毒牙にかまれるよりつらい。(注3)
 
말이 적은 남자가 가장 훌륭한 남자다.
口数が少ないのが最上の男だ。(注4)
 
학문과 예술만이 인간을 신성에까지
높일 수 있다.                  -루소
-
学問と芸術だけが、人間を神性にまで高めることができる。 -ルソー
 
사람은 나면서부터 사형선고를 받았다.
-쇼팬하우어-
人は生まれた時から死刑宣告を受けている。 -ショーペンハウアー
 
注0  Franklinなので、正しいつづりは"프랭클린"
注1 古代ギリシアの喜劇作家メナンドロスの言葉
注2 韓国ではスピノザの言葉として通っているもよう。日本では宗教改革をしたルターの言葉と言われているけれど、定かではない。
注3 シェークスピア『リア王』から
注4 シェークスピア『ヘンリー五世』から
 
 「心から心へ -見えない沈黙のために- チョン・ヒョンチョル」と表紙に書かれたこのメモ帳、何歳の時のなんだろう?「フランスは戦闘に負けたが、戦争に負けたわけではない」というドゴール将軍の言葉は、高校中退はしたけど人生に敗れたわけじゃない、と言っているようだし、リア王の嘆きの引用は、親を心配させて心がとがめているかのようだ。
 最後の「死刑宣告」の文字には一瞬ギョッとするけれど、人間誰しも生まれた時に死ぬことは決まっているという真理を、若くして理解していたんだな。
 
 このあいだ、ジョン・レノンの自筆の歌詞が1億円超で落札されたけど、この鄭鉉哲クンのメモ帳も、やがて高値が付くのかな…と下世話な想像が頭をかすめる。ソテジフィギュアのせいだ(また言いがかり)。

空の壁

2010-06-18 | ソ・テジ

 YouTubeのソ・テジ公式チャンネルの動画第一号、「ソ・テジ(ご尊顔)版Human Dream」のミュージックビデオを見ていると、なんだか中学生みたいにカワイイ38歳だな、と思う。
 
 中学時代のテジのこと、「ソ・テジ15周年NAVER記念館」(HP)に載っているのを知らなかった。上のイラストは、そのページから借りてきたもの。
 テジ君の15,000ウォンのベースギターは、アンプがなくて直接ステレオコンポに接続されている。1985年にしてすでにパソコンを持っている。
 部屋の壁には、「グループサウンド 空の壁」の落書きがあり、説明文には:

「空の壁:岩壁の傾斜が垂直を越え、一部が張り出した大きな岩のこと」と書いてある。つまり登山用語でいうオーバーハングとか、前傾壁のことだったのか。
 江原道の龍華山(ヨンファ)山には、「空の壁(ハヌルビョク)」という岩場まである(写真はこの方のブログを参照)。

 しかも、中学生バンド「空の壁」の練習場所として、「ソウル 昭格洞(ソギョクトン)60番地10号、チョン・ヒョンチョルの韓屋の玄関横の部屋」と書いてあるではないか。
 中学の時は、嘉会洞(カフェドン)から西隣の昭格洞に引っ越してたのか。知らなかった。同じ北村(プクチョン)地区とはいえ、国際ギャラリーの裏手あたりである。また行ってこなくちゃならない(笑)。

 このNAVERの15周年記念サイトには、テジの少年時代の自筆ノートのギャラリーもある。(ここの右上の「4.태지's WRITE」をクリック)。テジフォントとはぜんぜん似てない下手くそな字(すみません)で、尹東柱(ユン・ドンジュ)やポール・エリュアールの詩から、アッシジの聖フランチェスコの「平和の祈り」、タルムードの引用まである。
 このサイト、2007年12月からあるのに、初めて見た。
 「ザ・メビウス」をX回(これは秘密だそうである)観に行かれたI さんからは、初めて見る写真をいただいた。(I さん、ありがとう~*^^*)

          
 
 江南の論峴洞(ノンヒョンドン)にあるソ・テジビルの最寄駅、地下鉄2号線の駅三(ヨクサム)駅の壁。なんと駅番号は、221だったんですね。まさかこの数字のためにあの場所を選んだとは思えないけど、あの人のすることだから、わからない。
 いっそこの緑のタイル、チョルピンク色に塗り替えたらどうでしょう?


待ち遠しい

2010-06-16 | ソ・テジ

 「16日午後」にオープンするというYouTube のソ・テジ公式チャンネル、まだかまだか。
 第1弾は<Human Dream>の新バージョンのMV、バンドをバックに歌うテジの姿だけで構成されているというけれど、早く見たいっっっ!!!!! 
 記事はここ。現在アルバム製作中という記事も。

6/17追記:待ちくたびれて寝てしましまいました。夜のうちにアップされるなり、コメントで教えてくださったみなさん、ありがとうございます。

SEOTAIJI - HUMAN DREAM "SEOTAIJI VERSION" (HD)


相思夢

2010-06-15 | 音楽

 次回(6月29日)の国立国楽院のトークコンサート「茶談」、フュージョン国楽の部は誰が出るのかな、と思ったら、“モダン伽耶琴(カヤグム)”のチョン・ミナという人。
 YouTubeで聴いたこのワルツが気に入ってしまった。
  
チョン・ミナ  - 무엇이 되어 (Whatever We Become)


무엇이 되어   Music 정민아     Lyrics 정민아 , 로맨스 조
何になって    作曲 チョン・ミナ     作詞 チョン・ミナ、ロマンス・チョ(調? 朝?趙??

바람이 되어 만날까 구름되어 만날까      風になって会おうか 雲になって会おうか
강물이 되어 만날까 바다되어 만날까      河の水になって会おうか 海になって会おうか

그대가 무엇이 되었어도 그 무엇이 되었어도 あなたが何になっても その何かになっても
난 그대 가까이 있는 무엇이 되고 싶네     私は あなたのそばにいる何かになりたい

돌이 되어 이별할까 나무 되어 이별할까    石になって別れようか 木になって別れようか
물고기로 이별할까 가재 되어 이별할까     魚で別れようか ザリガニになって別れようか

그대가 무엇이 되었어도 그 무엇이 되었어도   あなたが何になっても その何かになっても
난 이대로 그대와 나 사이 이별 안에 있네    私はこのまま あなたと私の間 この星(/別れ)
                                                                                                             の中にいる
그대가 무엇이 되었어도 그 무엇이 되었어도  あなたが何になっても その何かになっても
난 이대로 그대와 나 사이의 이별 안에 있네   私はこのまま あなたと私の間の この星(/別
                                               れ)の中にいる
무엇이 되어 만날까                                   何になって会おうか 
어찌 이별할까                      どうして別れようか

(歌詞の作者名と
行分けを、CDの歌詞カードに合わせて変更。7/25) 

  “伽耶琴シンガーソングライター”チョン・ミナは、大学で国楽を専攻した人ながら、弘大(ホンデ)前のインディーミュージック・シーン出身。
 中2の時に近所にカヤグム教室ができて、先生から頑張って国楽高校に進学すれば学費も国費だし、いい大学に行けると勧められ、この道に進んだそうだ(記事)。
 国楽管弦楽団の団員試験に何度も落ちたのが幸い(?)し、電話相談員として働きながら弘大前のライブハウスで演奏するようになり、2006年に1stアルバム「相思夢」(上の曲もこれに収録)を、今年3月にセカンドアルバム「残像」を出している。
       
              

 「相思夢(サンサモン)」というのは、16世紀の名妓ファン・ジニの詠んだ漢詩の題名で、アルバムのタイトル曲<相思夢>は、それを韓国語に読み下した詩にチョン・ミナが曲をつけたもの。(この曲と、曲を作った経緯の話は、一番下に紹介したHPの動画동영상 보기→2007.8.1の国楽FMで聴けます。)
 次の和訳はハヤカワ文庫の『ファン・ジニ』を訳された方のブログから。(この部分、最初に書いた情報が誤りだったので、修正しました。6/17)
 
         相思夢    黄真伊(1506~1544頃)
相思相見只憑夢     会いたいあなた、 夢でしか会えないのに
儂訪歓時歓訪儂   わたしがそちらへ行ったら、 あなたはこちら
願使遙遙他夜夢   どうかお願い、 こんど夢をみるときは 
一時同作路中逢   いっしょに家を出て、 道の途中で会いましょう

 
ちなみに最初の<何になって>は、今MBCで視聴率30%を越える人気の時代劇「同伊(トンイ)」で挿入歌として使われているそうです。
 このドラマが日本でも放映され、この曲を聴ける日も近いかも。
 Daum カフェのチョン・ミナのページはこちら。http://cafe.daum.net/gayagumer


国立国楽院 茶談

2010-06-13 | 日記

 気がついたら梅雨だ。
 早くソウル旅行の話を終わらせよう(しつこい)。
 
 ソウル2日目の朝、COEXで「ザ・メビウス」の8時の回を観てから、同じ江南にある国立国楽院(HP)のトークコンサート「茶談(タダム)」へ行った。
 月に一度、最終火曜日(3月~11月、除く7・8月)に開かれ、茶菓の接待付きで10,000ウォン、午前11時からとまるでメビウスの後に寄ってね、と言わんばかりの時間帯。
  
 前日に電話予約したら、開演30分前までに来ないと当日券の人に切符を譲ると言われたので、芸術の殿堂(この広大な敷地内に国立国楽院もある)までの思いがけず長い坂道を、端草(ソチョ)駅からぜいぜいしながら登る。楽器店の点在する大通りの広さも、道の勾配も、地図からは想像できなかった。見上げると坂道の頂点にデンと構えるオペラハウスは、なんか威圧的だなあ。

 いったん芸術の殿堂の中に入ってから、広場を突っ切り、またまた上り坂の上にある国立国楽院までダッシュ(は体力ないのでしてなかったと思う)。

           

 上の写真正面の階段を昇りきって、国立国楽院の広場をコの字形に囲む3つの建物のうち、今日の会場はこちら、牛眠堂(ウミョンダン)。
           

 開演30分前は過ぎていたけれど、切符はあった。後で司会者が、3月と4月は満席だったけど、今月は空席がちらほら、どうしたんでしょうね、と言う。
 ロビーでは、お茶の接待をしている。息せき切って登ってきたので、3種類のお茶(サンザシ茶、菊花茶、シッケ)と大ぶりのギョウザのような形のヨモギ餅と羊羹を食べ、いざ写真を撮ろうとしたら、あっという間に次々手が伸びて、お菓子の大皿は空になってしまった。おばさんパワー(雰囲気は上品な奥様方のようだったけど)はどこも同じ。
 写真を撮る前に食べているようでは、永遠に写真家にはなれまい。
 
 仕方がないので、ロビーに展示されていた編磬(日本語でヘンケイ、韓国語でピョンギョン)の写真を。古代中国から朝鮮半島に伝わった宮廷音楽用の旋律楽器で、厚みの違うへの字形の石板(磬)を16個つるして並べたもので、叩くと澄んだ音がするそうだ。

            

 どんな音がするのか聴いてみたいな、と思ったら動画があった。



  さて、いよいよ司会のユ・ヨルが登場。
 「冬のソナタ」の中盤、スキー場のコンサートの司会で同僚サンヒョクとユジンの結婚を発表し、ミニョンを絶望に陥れた、あの人です。
 ドラマでは小柄に見えたけど、ちゃんと大きな人だった。冬ソナの時は、共演者がみんな背が高かったからな。まだあんまり目がよく覚めてないみたいで、メモを見ながら話す。
 プログラムは次の4部構成:

1. 伽耶琴(カヤグム)の弾き語り、杖鼓(チャンゴ)伴奏
2. 韓国の伝統酒について対談
3. 古武術テッキョン택견の実演とお話
4. フュージョン国楽アカペラ五重唱

 カヤグムの歌は意外なほどあっさりと終わり、次の対談は、麹醇堂(クッスンダン)という、伝統酒の復興をはかるマッコリ会社の社長さん。
 日本統治下の酒税令で、免許を受けた者以外の酒造が違法行為として罰せられるようになり、家々に伝わる「家醸酒(カヤンジュ)」の伝統が途絶え、600種類以上の伝統酒が失われてしまった、という話に、申し訳ない気持ちになる。 

 もっとも家に帰って調べてみると、伝統酒が姿を消した背景には、解放後もこの酒税令を引き継いだ韓国政府の政策や、食糧事情から1980年代まで米を原料にする酒造りが禁じられていたことなども関係しているようだ。
 幸いなことに、社長さんの口調に悲しみはあっても、憎しみはなかった(と思う)ので、「韓国伝統酒のグローバル化の夢」を実現してほしい。

 3番目の古武術テッキョンは、すごく面白かった。
 日本の武術が攻撃的、中国武術の動作が華麗、とすると、韓国のテッキョン(正確な歴史は不明。テコンドーの原型であることは確かのよう)は、動作に入る前の「三拍子ステップ」が特徴だそうだ。この動画でよくわかります。



 前に書いたコットゥ博物館の人形の表情や、タルチュムの仮面もそうだけど、韓国の民衆文化にはどこかユーモラスなところがあって、この三拍子の動作もおかしい。 
 「全ての動作に必ず『のらりくらりする緩衝動作』が隠されている」と書いているこの記事が、当日の説明に近いかな。

 客席ではこの三角ステップは踏めないので、かわりに丹田に力をこめる呼吸法とテッキョン独特の気合のかけ方を習い、チャンゴに合わせて観客全員で「イック~ イック~」と豆まきのような動作で、ストレスを振りまく。
 とても楽しい先生で、ぜひ、うちのそばにも道場を開いてもらいたい。

 最後は、民謡やパンソリを西洋音楽式のアカペラ五重唱で歌う、トリス(토리's)というグループ(一番上の写真の5人組)。 
 「トリ」というのは、旋律の基本的な特徴のことだそうで、「朝鮮半島の民謡には、地方ごとの独特の『トリ』があることが知られている。いわば旋律上の『お国ぶり』である。」(植村幸生『韓国音楽探検』1998、音楽の友社)
 
 去年、21C 韓国音楽プロジェクト(HP)という創作国楽のコンクールで大賞を受賞したこのグループ、ハングルの文字をプリントした韓洋折衷の不思議な衣装を着て、田植え歌とパンソリ(春香伝)と舟歌をクラシック風のアカペラにアレンジした、不思議な歌を歌った。
 どこでも好きなところで合いの手(추임새 チュイムセ:얼씨구、좋다 など)を入れていいんですよ~と言われたけど、へんなところで掛け声(歌舞伎でいうと「○○屋!」みたいなものか)を掛けられて、調子が狂わないのかな。観客も参加していいのが、クラシックとの違いか。

 コンサートが終わって外に出ると、遠くからオペラのアリアが聞こえてくる。来た時とは反対に、国立国楽院からオペラハウス側を見下ろす格好に。

          
 
 オペラハウスの方へと降りていくと、音楽がだんだん近づいてきて、子どもたちが走り回る芝生の向こうに「世界音楽の噴水」があった。スピーカーから流れる音楽に合わせて噴水が踊っている。噴水ショーの時間は1日に4回あって、夜はライトアップされるそうだ。

          
 
 芸術の殿堂の敷地内には美術館もあって、ミュージアムショップで美しいお土産を買った。芸術の殿堂の全容は、日本語のこのサイトでよくわかります。http://www.konest.com/data/spot_mise_detail.html?no=1709
 国立国楽院のコンサートは、上記サイトにも紹介されている「土曜名品公演」がおすすめのもよう。機会があったら、ぜひ。


ソ・テジのフィギュア

2010-06-10 | ソ・テジ

 スルーしようかと思ったけど、一応。
 実寸の6分の1モデルのソ・テジのフィギュアが6月15日(火)発売。
 制作に2年をかけたという、関節も動くアクションフィギュアで身長12インチ(30センチ)、<Human Dream>の時のギターと衣装・リュック付きで、280,000ウォン、1500体限定。販売はetpショップで当日午後3時より。

 買えない負け惜しみかと思ったけど、やっぱりほしくない。
 ろう人形のようなテジとお人形遊びをする趣味は、わたしにはありません。テジブリックは(持ってないけど)可愛いと思うし、ユーモアがあってテジらしいと思うけど、この人形、カッコよく涼しげに作られすぎてて、可愛くないのが致命的。整形したようなアゴのラインからして違うじゃないか!
 やっぱりわたしの好きなのは、動いて音楽するテジであって、オブジェとしてのテジではないと思いました。このお洋服も、着せたり脱がせたりして遊ぶんでしょうか。パンツもはいているんでしょうか。
 悪口ばかりですみません。

6/12 追記:
 このフィギュアに欠けているのは、もしかしたら「無駄にカワイイ」ということかな、と思いました。「無駄にカワイイ」というのは、ある方の表現の借用ですが、ソ・テジの魅力の一面をずばり言い当てていると思います。
 音楽以外のテジ商品の開発は、「カッコいい」ではなく「無駄にカワイイ」をコンセプトにすべきではないのかな。

6/15 追記:発売日。やっぱり気になる。

    

6/16 追記:発売15分で売り切れ。同時接続者数が2万人に達したとか。

6/18 追記:前回の注文中、重複注文と顧客の「心変わり」により、198個余ったので、本日午後3時より、第2次注文受付だそうだ。198/1500って、ずいぶん多くないか。


半々夢

2010-06-09 | ソ・テジ

 「半々(パンバン)ム」を食べた。
 結論(いきなり)。「“パンバンム”をください」という注文の仕方は、ない。

 その前に、大学路のアートウォンシアターで、三谷幸喜原作の「笑の大学」の韓国版を観た。この作品、2008年に東崇アートセンターで初演されて以来ロングランを続けていて、今も大学路と三成洞COEX内のアートホールの2ヶ所で同時上演中である。
 
 インターパーク(HP)でチケット情報を見ると、どちらもまだ座席に余裕がありそうだったので、夕方COEXのメガボックスに戻って「ザ・メビウス」を観たくなった時のために、どちらでも観られるように前売りを買わないでおいた。
 結局、東崇アートセンターで「下女」を観てしまったので、大学路で観ることに。

 293席の小劇場はよくお客さんが入っていて、直前にチケットを買ったら前から3列目の右端近く。喜劇の台本をめぐる検閲官と座付作家の攻防の密室劇を、役者が日替わりで演じていて、この日はチョン・ジェソン(検閲官)とキム・ジフン(喜劇作家)の組み合わせ。キム・ジフンはなかなか美形だと思ったら、ドラマで日本でも人気のようだ。
 映画では、それぞれ役所広司とSMAPの稲垣吾郎が演じている役なので、ちょっとアクの強さが足りない気がしたけど、厳選キャストの映画と比べてはいけませんね。

 物語の舞台や設定は、韓国に翻案されているのだろうと思ったら、原作とそっくり同じ、太平洋戦争下の日本の検閲室で、名前も向坂(さきさか)や椿のままで、ちょっとびっくり。韓国人は抵抗感なく感情移入できるんだろうか。
 日本語版と同じセリフも多くて、でも映画とは間のとり方が違うので、慣れるまでちょっとヘンな感じ。

 たくさんの言葉遊びの中でも、「お国のため」→「お国ちゃん(恋人)のため」→「お肉のため」の部分が韓国語ではどうなってるのかな、と楽しみにしてたら、突然、原作にはない「チョナンペーハマンセー」という音が聴こえてきて、一瞬意味不明。
 「天皇陛下万歳」?
 まさか、そのような音が、韓国人の口から?そもそもあの人たちは、「天皇」という表現を嫌って「日王(イルワン)」とか言うのではなかったか。

 そしたら、「天皇陛下万歳」は馬の名前だった。
 セリフに「天皇陛下万歳」という言葉を入れろ、という検閲官のムリな要求に対して、喜劇作家の椿は、「天皇陛下万歳!出発だ!」と馬車を引く馬に呼びかけ、そんな長い名前の馬がいるか、と突っ込まれると、「天皇」「陛下」「万歳」という3頭の馬の名前に分解してしまうのである。
 観客は笑っていたから、韓国人にとって、この言葉遊びには何か溜飲の下がるところがあるのだろう。

 原作と同じ部分では、あ、日本語と同じだ、と注意がゆるみ、時々韓国語で何と言っているのかわからない場面では、笑えない悲しさを味わううちに、ところどころ意識が薄れた。
 朝8時の「ザ・メビウス」から始まって、1日に映画と公演を4本も観るなんて、やっぱり無謀だったのだ。観客は盛り上がって終わってたけど、わたしは疲れと韓国語力不足から、一緒に思い切り笑えなかった敗北感(?)とともに、劇場を後にした。

 それで、「半々ム」を食べて帰ることにした。
 ソ・テジが去年9月8日、8集活動を終えてファンに宛てたメッセージの中の、あれである。

알지? 난 계속 너희들과 함께니까.. 보고 싶어도 좀만 참아~
어느 날 갑자기..
"반반무+맥주"로도 해결이 안 되는 밤엔 디얼티로 놀러와~ (음주 디얼티의  난) ㅋㅋ
わかってるよね?ずっと君たちと一緒なんだから… 会いたくてもちょっとだけガマン~
ある日突然…
「半々ム+ビール」でも解決できない夜は、Dear T に遊びにこいよ~(酔っ払いDear Tの乱)クク
(注 「乱」の部分、コメント欄で教えていただき訂正しました。ありがとうございます。)


 「半々ム」というのは、「ヤンニョム(タレつき)チキン半分、フライドチキン半分+大根(ム)の漬物たくさん」という意味であることは、インターネットで検索したら出てきたし、ファンのイラストにも描かれていたので、韓国で普通に使われる表現だと思っていた。

 それで、ソウルに着いた日、宿の20代後半くらいのお兄さんに、「半々ム」というのはどこに行けば食べられるのか、尋ねた。
 すると、そんな言葉は知らないと言う。ソ・テジがファンにこれこれこう言ったんですよ、と説明すると、それだったら、チキン屋さんに行って、「ヤンニョムチキン半分、フライドチキン半分でください」と言えばいい、「ム」の大根は言わなくても付いてくる付けあわせ(パンチャン)だ、と言うのである。
 え、「半々ム」というのも、ソテジマニアの隠語だったの?

 でも、もしかしたらこのお兄さんが単に流行語に疎いだけかもしれないので、タクシーのおじさん2人にも確かめてみた。やはり「半々ム」なんて表現、聞いたことないと言う。
 そうだったのか。現地に行かないとわからないことってあるんですね。
 いずれにせよ、Dear Tに行く前に一度、食べてみなくては。

 それで、夜も10時を過ぎていたけれど、「下女」「笑の大学」と、テジの映画も観ずにほっつき歩いて気持ちが落ち込んでいたので、東崇アートセンター前の「大学路 栄養センター」という店に入った。後で調べたら、明洞に本店がある、参鶏湯とローストチキンで有名なチェーン店のようだ。

 お店の30代くらいのお姉さんに、やっぱり「半々ム」という表現では注文しない、ということを確認してから、それをください、と言うと、2人前で15,000ウォンですけどいいですか?と言う。ぜったい食べきれないと思うけど、ソ・テジのファンなので…
 近くに若い男の子でもいたら一緒に食べてもらおうと思ったけど、あいにく女性客が1組しかいない。もうすぐ閉店のようだ。

 出てきたものは、やっぱり量が多かった。上の写真は小さそうに見えても、とっても大きいんですよ。
 赤いヤンニョムは、コチュジャンというよりケチャップ系の味で、「年配の人は手が汚れるのでヤンニョムチキンは食べたがらない」と言うお姉さんの説明は、むしろ味のせいのような。タレなしのほうは、衣に辛子系の味がして、すごくおいしかった。荒塩を付けて食べる。大根は、ピクルスの味。

 お店のお姉さんが、ソ・テジは日本でも人気があるのかと聞くので、名前は知られていても、韓流スターと違って音楽を聴く人はあまりいない、と言うと、自分も高校生のころ、「ハヨガ」が好きだったな、でもテレビに出ないから、わざわざレコードを買って探して聴くのでない限り、普通の人にとっては「旬を過ぎた人」の印象かな、と。

 食べきれなかった分は、立派な紙袋に包んでくれたけど、結局食べられず…すみません。
 夜更けにたった一人で食べる「半々ム」、さびしすぎる… 


下女の座席

2010-06-07 | ソ・テジ

 ソウル二日目の続き。
 ロボット博物館の後、すぐ近くの東崇アートセンター(HP)に行った。2Fのコットゥ博物館を見るのと、1Fのアート系映画館ハイパーテック・ナーダ(勝手にスペイン語のnada「無」と解釈)に、ソ・テジのネームプレートの座席があるかどうか確かめるのが、目的。

 ハイパーテック・ナーダは、3月25日のソテジM館の第6回上映会(参照)で試写が行われたフランス映画「パリ20区、僕たちのクラス」を上映したソウルの3つの封切り館のひとつで、映画は終わったはずなのに、まだポスターが掲示されていた。
  
           

 映画館のHPに、各座席にはインターネット投票で選ばれた代表的文化人のネームプレートが付いている、と書いてあったので、テジの席もあるに違いない、と思い、ミーハー根性で見に行った。
 受付のお姉さんにソ・テジの座席はありますか?と尋ねると、あそこの壁に一覧表があります、と教えてくれる。                 
               
 
 カナダラ順になっているので「ソ」を探したら、あ、やっぱりあったあった(思わず歓声)。

           
 
 「ナ列76番、歌手ソ・テジ」。左側の列の中央通路側、後ろから3番目である。
  でも、写真の一番上の71番には「タレント ペ・ヨンジュン」の名がある。ちょっと理性を取り戻した。
 はしゃいではいけない。これがもし、ヨン様の席で映画が観たい、と訪ねてきた韓流おばさんだとしたら?…やっぱりちょっと、はしゃぐのはまずいですね。
 
 それで、できるだけ冷静にソ・テジの席の写真を撮ってもいいか、と聞くと、今は上映中なので入れないと言う。
 それを聞いて反射的に、18時からの「下女」を観ます、と言ってしまった。ソ・テジの席は空いてますか?と聞くと、アートな映画館のお姉さんはちょっと呆れたみたいだったけど、ナ列76番を取ってくれた。
                     

 「下女」。本当は、観ようかどうしようか迷っていたのである。
 20時からは、近くの小劇場で三谷幸喜原作の「笑の大学」の韓国語版を観る予定なのだ。
 上映時間は1時間57分と書いてあって、映画の終わりを待たずに5分先の劇場に走らねばならない。こういう忙しいのは、本当は嫌いである。映画にも失礼な気がした。

           
 
 しかも、今年のカンヌ映画祭のコンペ部門にも出品されたチョン・ドヨン主演の「下女」(HP)、50年前の同名の韓国映画をリメイクした「スタイリッシュ・エロティック・サスペンス」で、下女と主人のエロティックな場面が出てくることはわかっている。テジの席でそういうのを見るのもなあ…
            

 でもやっぱり、ミーハー心が勝った。上の写真の手前右が「ソ・テジ」席。
 監督は、ムン・ソリ主演の「浮気な家族」のイム・サンス監督。大邸宅の主人で下女のチョン・ドヨンをたぶらかすのは、イ・ジョンジェ。
 途中、「あー、テジの映画をやっている時に、こんな所でわたしは一体何をやっているのか?」といたたまれなくなる。

 結局1時間半で映画館を出てしまった。なので、わたしにこの映画について語る資格はありません。だけど日本で「下女」が公開されたら、こんなものを見ながらテジの席に座っていたのか、と笑われること、必至だな。              


ロボット

2010-06-04 | ソ・テジ

 ソウルの二日目、8時の回の「ザ・メビウス」を観てから、江南の国立国楽院で国楽とおしゃべりのトークコンサート(冬ソナでサンヒョクの同僚DJだったユ・ヨルが司会)を楽しんだ後、大学路にあるロボット博物館(ココ)に、ソ・テジの<ロボット>のミュージックビデオに出てくるロボットを探しに行った。

 東崇アートセンターの斜め向かいくらいにあるロボット博物館は、2004年に開館した昔のロボット玩具を集めた博物館。思ったよりさびれた雰囲気なのは、ロボットなのに未来ではなく過去のほうを向いているからか。
 展示品も、日本をはじめ外国製が圧倒的に多い。韓国製の玩具ロボットは、ひとつの展示コーナーに集められていたけれど、テジの子どもの頃のものは、「1960年代後半~1970年代」と表示されていた次の写真のくらいだろう。
 
          
 
 それで案内係のお姉さんに、ソ・テジの<ロボット>のMVに出てくるロボットはありませんかと尋ねたら、ビデオを見てないからわからないと言う。韓国のテジマニアが探しにきたりしないんですか、と聞くと、知らないと言う。
 ちょっとがっかりして、それでも似てそうなロボットを探した。胸に歯車のあるこの真ん中のが一番近いと思われた。でも日本製だ。

          

 そして日本に戻ってから、写真のキャプションを頼りに「ホリカワ ファイティングロボット」を検索してみた。そしたらすぐに見つかった(ココ)。
 続いて芋づる式に、あっけないくらい簡単に、MVに出てくる4体全部のロボットの身元が割れた。
 なあんだ、全部日本製じゃないか。

 しかも、お金さえ出せば、今でもインターネットで普通に買える。
 探すべきところは韓国ではなく、日本だったのだ。
 これ、新生マニアのわたしが知らなかっただけで、もしかしたらテジマニアの常識だったんだろうか。
 わたし同様知らなかった人のために、4体のロボットの身元確認を。

Seo Taiji  7th - Robot [MV]


 男の子が抱えている左腕の取れたロボットは、1963年ヨネザワ製の「ギアロボット」。
 復刻版はメタルハウスという、ブリキ玩具専門の東京の町工場が作っている。メタルハウスは、ブリキロボットが盛んに作られ輸出もされていた黄金時代に、いろいろな玩具会社のロボットを下請けで作っていた会社で、このページの「サンプル動画」をクリックすると、MVと同じ動きが見られます。
 
 次に、額にTの字の刻まれたロボット(後で巨大な姿で出てきますね。7集CDのイラストもこれ)は、50年代を代表するモデルで、やはりヨネザワ製の「スモーキング・スペースマン」。解説はここ。復刻版やミニチュアも売られています。

 MVの一番最後、頭がパカッと割れて怪獣が火を吹くのは、1966年ホリカワ製の「怪獣ロボット」。やはり復刻版をメタルハウスが出していて、ここの「サンプル動画」でMVと同じ動きが見られます。

 それから最後のもう一体、ぴかぴか光る宇宙人みたいなのは、1958年野村トーイ製の「メカナイズドロボット」。解説はここ。復刻版も出ています。

 やれやれ。登場するロボットはみな、50~60年代の日本の代表的ブリキ玩具ロボットで、テジのMVにはその復刻版が使われてたんですね。
 そうとは知らず、韓国のロボット博物館くんだりまで^^;; 
 
 そしてとうとう、物欲にも負けてしまった… 
(あーやっぱりミーハーなのか。製造元でもトイショップでもたいてい品切れだけど、ここならばまだ。)
 ウンガーウンガーとゼンマイの音を立てて、胸の光を発しながら歩いてくるロボットは、ちょっと感傷を誘います。
            
 
 写真のムック『TOY Collection -ロボット狂時代』(1999、ネコ・パブリッシング)によると、1940年代に世界初のロボット玩具を作ったのは日本だそうです。
 人間に使役される存在としてのロボットは、「下層の労働者の仕事を奪ってしまうと言う解釈から、ヨーロッパではどちらかというと忌み嫌われる存在」であり、「ましてや子供の玩具のテーマとして取上げるなどなかなか考え難いことであった。」(上掲書)
と書いてあって、ちょっと驚いた。
 
 <ロボット>のMVのメイキングはこちらを。http://tvpot.daum.net/clip/ClipView.do?clipid=13264671
 テジがギアロボットを持っている場面も出てきます。
 ソテジシンフォニーのDVDで、「歌手はやっぱりスモークがなくちゃ」とジョーク(?)を言ってましたが、その元ネタもこのメイキングの中にありますよ。


嘉会洞トライアングル

2010-06-02 | ソ・テジ

 去年、ワームホール公演の翌日、ソ・テジの生まれ育った町とは知らず足を踏み入れていた嘉会洞(カフェドン)。
 その日、休館日で入れなかった刺繍博物館と、テジの通った斎洞(チェドン)小学校、そして大東(テドン)中学校(現在は大東税務高等学校)を結ぶ、三角形の中心に位置するのが、今回泊まった北村(プクチョン)ゲストハウスである。 
 
 景福宮と昌徳宮の間にはさまれた北村の韓屋村(ハノンマウル)には、韓屋が体験できるゲストハウスが6軒あって(ソウル市韓屋文化課HP)、そのうちここだけが登録文化財に指定されている。ペ・リョム(濂 1911~1968)という東洋画家が住んでいた家だそうだ。
 
 わたしが泊まったのは、写真左奥の3畳くらいの小部屋。
 シャワー・トイレ共同で朝食付き40000ウォン。2室で共同とはいえ、シャワー兼トイレ室が1つしかないので、朝晩使うのにかなり気を使った。トイレに行くのも水を飲みに居間&キッチンに行くのも、みしみしと音の鳴る縁側を、できるだけ音がしないように端っこを歩く。まるで平均台みたい。
 宿には寝るためにしか戻らなかったけど、小さな咳をしても隣の部屋に聞こえるので、息をひそめて眠った(つもり)。
 屋根の上に生えたペンペン草(?)は、ソウルの真ん中とは思えない風情だ。

               

 1日目は冷たい雨が降っていたし、またしても刺繍博物館は休館日だったので、嘉会洞めぐりは3日目の早朝にした。
 
 宿からゆるい坂道を上がると、冬ソナの舞台となった中央高等学校(HP)がある。正門前には、ペ・ヨンジュンの写真をべたべた貼ったお土産屋さんみたいなのがあったけど、恥ずかしくて正視できない。まだ冬ソナ巡礼者が来るんだろうか。
 
 ところで今回、テジと同じ1972年生まれのヨン様の影が行く先々で現れては、わたしに反省を迫るのである。 
 ねえ、自分は韓流おばさんとは違う、と思ってるでしょ?だけど韓国の人から見れば、いや客観的に見れば、ミーハー性は全く同じなんだよ。
 なのに、心のどこかで、ソ・テジが韓流スターではないという理由だけで、ぺ・ヨンジュンのファンより自分はマシだ、と思ってるでしょ?冬ソナの聖地巡礼とまったく同じことをやっていながら、違うつもりになってるでしょ?
 だからバカだって言うんだよ。(ヨン様は紳士なので、言葉はもっと丁寧です^^)

 …と、わたしに
言うのである。
 途中、ユジンの家もあるらしいけど、わたしは冬ソナ巡礼者とは違うので(だから同じなんだってば)、探したりはしない。
 まっすぐ刺繍博物館のある嘉会洞11番地へ。
 早朝なので、またしても入れません(笑)。また来いということでしょう。
          
            

 少し下って道路を渡り、嘉会洞の町並みで一番有名な31番地のほうへ。立派な韓屋がよく保存されている地区。
            

 このゆるい坂を登って振り返ると、ソウルの都心部や丘の上のソウルタワー(写真の腕が悪くてよく見えない)が望めます。
             

 二つの王宮にはさまれて、かつては両班(ヤンバン)階級が住んでいた嘉会洞は、坂道を細い道が入り組んでいて、駐車スペースもなく、現代人にはあまり暮らしやすい所ではなさそう。
 テジが住んでたのはどのあたりなのか、小学校と幼稚園が家のすぐ近くだったというから、もっと地下鉄安国(アングク)駅の方へ下った所かな。

            

 やっと空が晴れ、去年、それとは知らずに素通りしていた斎洞(チェドン)
小学校。
 横断幕には、「世界でいちばん美しいものは?太陽・月・星、草花、ささやく風、そして子ども」、と学校の標語らしからぬ繊細なことが書いてある。さすが1895年、小学校令と同時にできた由緒ある学校だ。
 隣接する幼稚園は、チェックし忘れた。
 
 ここから歩いて5分くらいすると宿で、宿から3分くらいの所にテジが通った大東(テドン)中学校、現在の大東税務高等学校がある。(学校のHPの沿革を見ると、1925年創立の私立の6年制の大東商業高等学校が前身で、その中学部の
大東中学校は1993年に廃校とある。1997年に大東情報産業高校、2008年に現校名になった。
        
            
         
 校門の前で、先生が生徒を迎えていた(でも誰もおはようとは言っていない)ので、ぺ・ヨンジュンの名は恥ずかしくて言えなくても、ソ・テジなら言えると思っている恥ずかしいわたしは、「ここ、ソ・テジが出た中学校ですよね?」と聞いてみた。

 平日の朝7時半からそんな質問をされ、先生はちょっと面食らったようだ(そりゃそうだろう)。そんな話は聞いたことがない、と言われたけど、元は○○という学校名で、その前は××ですよね、と畳みかけると、その通りだと言って、中で写真を撮ってきてもいいと言う。
 
 でも不審者が校内をウロウロするのはまずいだろうと思い、校庭をさっと見て戻ってきたら、「もういいのか。もっと見てきなさい」とおっしゃる。断るのもなんなので、高台に建つ校舎の方まで行ってみた。
 だけど、これといった特徴のない新しい校舎である。
 中学生バンド「空の壁」のテジ君は、なかなか想像できなかった。
  仕方がないので、校庭から桂洞(ケドン)を撮ってみた(嘉会洞からの通学路方向)けど、何が撮りたいのかさっぱりわからない写真だ。 
            

 先生にお礼を言ってから、せっかくなので宿のすぐ向かいにある銭湯を撮った。
 ドラマ「コーヒープリンス1号店」で、出前を届けにきたユン・ウネが、男と間違えられたお風呂屋さんである(わたしもドラマの最初の部分だけ見た)。
 やっていたら入ろうかと思ってたけど、営業はもうしてないようだった。

            
 
 写真は急いでパチリと1枚だけ。向こうから、冬ソナの中央高校に登校する学生たちがやって来るので、
早朝からイカれた人間の姿を見せるのは、教育上よくないだろうと思ったのである。 
 このあたりは雨がずっと降っていたせいか、町にいつも匂いがしていた。
 テジが日本に住んでいた時、食べたかったという「作られてから1週間経ってないスンデ」の店が近くに2~3軒あったので、食べてみようと思ったけど、やっぱり時間がなかった。

 ということで、嘉会洞めぐり、終わり。
 あ、宿の付近は桂洞(ケドン)です。
 気が済んだので、このあと「ザ・メビウス」を3回観て、日本に帰った。


「ザ・メビウス」上映延長

2010-06-01 | ソ・テジ

 マスロがTwitter で明日投票に行きましょう(もちろん韓国の統一地方選挙のことです)、と呼びかけていた動画が可愛いので借りてきました。
 このダンス、テジが「ザ・メビウス」のメイキングでやってました(笑った)。

 その「ザ・メビウス」は興行成績がよいので(といっても、同じ人が何度も足を運んでる気がするけど)6月13日まで上映期間を延長、その後、釜山の西面(ソミョン)にあるメガボックスで6月19~27日まで上映決定。
 玄界灘を渡り、日本に上陸する日はいつ?

            

 5月18日のTwitter の写真には、ソテジM館のサウンドチェックをするマスロの写真もあった。この着ぐるみの中、まさかテジ君が入っているんじゃないでしょうね。