陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の月(あかり)」(八)

2009-09-27 | 神無月の巫女感想・二次創作小説



──『逢いたさ見たさに恐さを忘れ、暗い夜道をただひとり〜♪』
──『どうせ二人はこの世では〜、花の咲かない枯れすすき〜♪』
──『死ぬも生きるもねえお前〜、水の流れになに変わろ〜♪』
──『熱い涙の出たときは〜、くんでおくれよお月さん〜♪』

真琴がふと口ずさんでしまう唄がある。
幼い頃の真琴は怖がり屋で、薄暗い場所を出歩くときなどは祖母にしがみついていた。祖母は孫を落ち着かせるためなのか、この唄を歌っていたものだった。この唄にいったい何の意味があるのか、祖母は語らなかったし、真琴も調べようとは思わなかった。不安になったときに、なぜか無性にこの唄を口ずさみたくなるのだった。住み慣れた家であっても、まる一日近く、他の家族のいない家というものは、廃屋のような気味悪さと言い知れぬ寂寥感が漂うもの。ましてや、ここは祖母が病に臥して亡くなった場所でもある。陽あたりが悪かったせいでまだ青々しい畳の部屋には、洋間にはない厳かさがある。まだ祖母の魂がここに残っているような、ひんやりした気配がして、普段は家族の誰も寄り付かない。

人が孤独に苛まれると、必死に暗闇で居もせぬ誰かに語りかけるようになるのはなぜだろうか。
この世界の誰かと言葉を交わして繋がっていないと、異界の鬼にさらわれていってしまう。まともな人の言葉を話していないと、邪悪で嫉妬深い蛇に呑み込まれてしまう。そんな民話のような語りごとを祖母はよく話してくれた。あたしだったら捕まらないうちに、とっとと逃げ出しちゃうのに。そう言い返せば、祖母は、でもねえ、あなたのお友だちで足の遅い子がいたらどうするの? と問い返されて、なにも言えなかった。

お盆が過ぎたら、あの女子寮に帰らねばならない。
また元どおりの日々がはじまるのだ。姫子は夏休みはじめに出かけた河原の写真をちゃんと整理してくれているだろう。自分の宿題は、お盆前の陸上部の合宿が始まる前にとっととやっつけている。自由研究の課題なんて、そもそも、熱心にとりくむものではない。姫子のへんな凝り性がはじまっていなきゃいいけどな。まったく、あいつは似てるよな。いい結果が出るまでこだわるし。あたしの走る姿をブレなしでレンズに収めちゃうくらい、カメラの腕前があるのに、自慢たらしくないし。似てるよな、…。いや、顔かたちなんかはまったく似ても似つかないし、ドがつく金づちだし、鈍いし、漫画しか読まないし、よく寝るし、ボケてるし、先生にゃ叱られ魔だし。怖がりで夜なんかトイレも一人で行けないくらいだし、豆柴みたいに尻尾ふってひっついてくるし、……。やっぱ似てない部分が勝ってるか。

それでも、もう、無くしたくはないのだ。友だちでいられる期間は少ない。
女子は付き合う人間によって人生を左右されやすい。「姫子と三年間相部屋でいいよ」なんて冗談を言いながら、真琴は自分の行く末を知っていた。あのお人良しの友人といつまでも学友のままでいられるわけではない。周囲の期待がそれを許さない。真琴の未来がそれを認めない。乙橘学園からは、スポーツ優秀者用の奨学金も貰っている。だが、もし、自分が側を離れた時に、あの子になにかあったら? 姫子が誰かに何かされてしまったら? それは真琴にとっては二度目の、そして確実に彼女を絶望に追い落としていくに違いない。

スタートラインとゴールを結ぶ一直線の人生しか知らない真琴にとって、道を外れてしまった脱落者の生き方は許されない。だからこそ、気づいたときにはもう手遅れということが往々にしてある。走者に必要なのは、スタートと同じ五体満足で、さらにいえばスタートよりもより優れた状態でゴールインすることである。ゴールを重ねるごとに、つねにスタートよりも抜きん出ていなけれなばらならない。同じコースを走っても、同じランは二度もない。立ち止まってしまうことは、スタートしないどころか、周回遅れを意味する。真琴は後ろを振り返るのが怖い。



ジャンル:
小説
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