陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

続・ラロックの聖母

2009-04-09 | 芸術・文化

昨年秋にレオナルド・ダ・ヴィンチ作かと疑われるある一枚の絵画をめぐった謎解きをした番組「ベストハウス123」が、三月にふたたび、この話題をとりあげていた。(拙稿「ラロックの聖母」参照)

いよいよ、あのラロックの聖母の真贋が明らかになったのかと思いきや。番組は大胆な仮説をうちだした。
なんと、その絵画に描かれたマリアと幼児イエス、ヨハネは、画家が極秘結婚していた妻とその間に生まれた子をモデルにしたという説だ。

前回まででは、この絵画がレオナルド派の作品ということが認定されただけであって、本人の真筆とまでは確証を得られてはいない。なのに、はやくも、レオナルド作ということが前提になって、絵画分析とはどういうことなのだろう。
しかも、うさんくさい歴史ドキュメンタリーの場合、たいてい、ゲストのひとりかふたりは、疑いの声を発するものだが、会場はまったく疑う空気なし。

この驚くべき異説を唱えているのは、前回でも登場したドイツの女性歴史家。この女史は、ラロックの聖母とモナ・リザのモデルがおなじであると断言している(こちらを参照)。番組のコメンテイター(茂木健一郎や荒俣宏など)は、この説に便乗して自説をつけくわえているのみ。
この女史の弁によれば、レオナルドが同性愛者という通説は、じつは秘められた結婚をしていたことへのカモフラージュ。
天才芸術家の内縁の妻となったのは、レオナルドが仕えていたミラノのスフォルツァ家に監禁されていた、とある後家の貴婦人、ナポリ王の娘のイザベラ・ディ・アラゴン。彼女は牢屋のような部屋におしこめられている日々を、男も惚れてしまうほどの美丈夫であって、しかも母の愛に飢えていた男と逢瀬をかさねてしまう。やがて、ふたりの間にはなんと五人もの子ができたと。そして、あの『アテナイの学堂』でレオナルドを描いたラファエロはその事実を知っていて、認知されぬ子らと秘められた愛を偲ぶために、その名画と同室の天井画に天使の顔に託して子を描いたのだと。

もし真実ならば、とても涙尽きせぬロマンスとでも言えよう。だが、果たして学究の世界において、このような小説めいた仮説があってよいものか? 彼に関する文献が極端に少ないからこそ、いろいろな憶測は呼べるわけで、そもそもこれまで常識とされてきたものが正しいとさえ限らない。歴史というのは、じつは事実の積み重ねではなく、ある記述者の妄想がはいりこんだ物語にしか過ぎなかったりもする。
数年前に、ある考古学者が自説を認証させるために石器を捏造したことが露見して、教科書に載せられた古代史がおおきく覆ったことがあった。今回、番組で紹介した事実はまさにこの暴挙に近いのではあるまいか。そんな危惧をいだかせてしまうような報道。

どんな学説をいだくのはもちろん自由。が、それが正しいと認定するのは、やはりそこそこの権威。ルーブル美術館、もしくはもっと声の大きい美術史学者や学界が、首を縦に振らなければ、成立しない。番組では日本の若手レオナルド研究者のインタビューを添えていたが、なぜ高階秀爾とか田中英道とか、そのへんのプロにご意見伺いをしてこないのか。近所にいる好事家に近い、メディアに露出度の高いなんちゃって学者の言うことは、たしかにそのしゃべりの上手さゆえにおもしろいけれど、欲をいえば、ちゃんとその筋の研究を踏まえていて、原語で論文も発表していて学術機関でまがりなりにも認められている研究者の意見を聞くべきではなかったのか。
ちなみに、このレオナルド結婚・隠し子説は、ラロックの聖母の公式サイトには載っていないので、おそらくあの女性個人の妄想に番組がおもしろがって乗っかったとしか思えない。

とはいえ、この番組、またあらたな事実を発見はしたようで。
ひとつは、ラロックの聖母がもともとは大きな一枚の絵画を切り取ったものではないか、ということ。そして、レオナルドの妻と目されるイザベラ姫が囚われていた宮殿のある一室から、画家の手による壁画が見つかったこと。

ちなみに、この番組が放映された数日後に、ロイター通信が、レオナルド作とされる現存する唯一の彫刻を発見したと報じた。これは、従来、画家の師であるヴェロッキオ作とされてきた『聖ヒエロニムス』だ。レオナルドもミケランジェロほどではないにせよ、彫刻も制作した。よく知られるブロンズの巨大な騎馬像は後年、戦争のために溶かされてしまった。
この場合だと、ヴェロッキオも大きな工房を構えた当時の巨匠であり、たとえレオナルド作でなくとも価値はあるわけだ。しかし、ラロックの聖母はまだ美術史上に認知されてはいない。ラロックの聖母が報道の明るみにでないのは、学界の権威が認めていないからだろう。口コミだけで人気を得る商品と、れっきとした価値をはかる作品とはわけが違うのだ。

率直に言うと、私はミケランジェロのほうが好みだし、お恥ずかしながらルネサンス期の名画にはほとほと疎いので、レオナルドの真作が増えようが減ろうがどうでもいいのだが。たとえ、巨匠が手がけたものでも駄作はある。

そもそもこの女性研究家(紋章の歴史の研究家であって、れっきとした美術史家ではないようだが?)の絵画のなかに物語を読みこむとか、描かれたものの寓意をたどるというパノフスキーの図像学的やり口は、美術史では一世紀は遅れた手法のように思われ、いまさらこんな学説をまともに論文にしたら、笑い者になってしまうだろう。

万能の天才というお冠が独り歩きばかりして、そのネームヴァリューに乗っかっている人がいる、ということだけはわかる。今回のラロックの聖母騒動もそのひとつではないかしら、などと不遜にも思ってしまうのだった。


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