陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の点(くろぼし)」(二十七)

2009-09-29 | 神無月の巫女感想・二次創作小説

待ち人来る!──と目を輝かせた千歌音は、たちまち失望の淵に沈んだ。それは、千歌音がこの民衆によって寄せられた熱望への裏切りを、反射して浴びた瞬間だった。

「そんなこと、とっくに知っていたわ。姫宮千歌音さま、貴女が巫女ではないなんて」

姫子では、なかった。姫宮家が最近取り入れた、カフェの女給の制服にあやかった、やや派手めの縦縞の紺絣に白木綿のエプロンを掛けている。当時のカフェがお茶屋遊びのような、風俗的ないかがわしさある給仕を行っているのを見つけた来栖川子爵が、姫宮の洋館でのもてなしに採用したものだった。

その者はもはや、千歌音を希望の星として、乞うように見てはいなかった。決して、その姿では姫宮の令嬢を眺めるにはあまりに無礼不躾にすぎるまなざしが、そこにはあった。
その女は驚くべきことに、千歌音のその腕を強引にとって、とんでもない請願の声を上げたのであった。

「大巫女さま、大巫女さま、お願いでござります。この娘を献じます。荒ぶる神のお怒りをお鎮めくださりませ」

絶望の中に救いを求めるまなざしと思われたものは、巫女と呼ばれるべき少女ではなくして、その向こうにある巨人に向けられていた。
千歌音は確信したのだった。この者は、あろうことか、あの邪神を亡き月の大巫女の穢れた生まれ変わりと信じ、その荒御魂(あらみたま)の祓えとして、姫宮の血とあのお社での鍛錬とを受けたはずの少女を差し出したのであった。まるで、それを呑み込めばたちどころに不快の治る妙薬を置いたような目つきで。だが、純血統の効用については、千歌音は不十分だった。

その女の顔には見覚えがあった。姫宮のお社での巫女見習いとして共に学んだ娘であり、年若の千歌音がおんな祭主の孫娘であるのをいいことに優遇されているのを妬んで、嫌がらせを働き、社を追い出されてしまったのだった。名前すら忘却の彼方であったが、その底意地の悪い笑いかただけははっきり覚えていたのだった。女中の恰好をしているので、姫宮家への奉公口をもらったのであろう。この女は我が身を危険にさらすのを承知で、月の大巫女の名誉棄損と、千歌音の無能ぶりの讒訴との二重の復讐を当て込んで、この場に駆け付けたのだ。ひょっとすると食事に鏡の欠片を落として私に毒を含ませていたのは、こいつかもしれない、という疑念すら兆してくる。

周囲は、千歌音とその女とのやりとりを唖然として見つめていた。
突然舞台に躍り上がった闖入者のために、周りはみな大人しい観客の節度を守っていた。巫女の捨て身による救済を望んでいる点では、その女中とそれ以外の者とても同じであった。ここに集うものは、この災いが収まるのならば、もはや天隕石の落下か、火山の噴火ですら望みかねない、おっかない顔つきをしていた。

黒い太陽とその奥の白い光輪とがかすかにすれ違い、空にじわじわと明るさが戻っている。
千歌音には、いま、この場での惨状がはっきりと見てとれた。幕引きを図れと言わんばかりに、邪神が唸り声を上げた。巨大な観音の背中には阿修羅のごとく新しい複数の腕が生え、それが何重にも縛められた鎖を解いて、不自由だった古い腕を自由にした。鎖は、釘の詰まった道具箱をひっくり返したかのごとく、ぱらぱらと地面に散らばっていった。悪者を大勢でとらえて、最後の正義の鉄槌を巫女からと願った村人たちの努力は、かくもむなしく潰えてしまったのだった。

ぶわり、と鮮烈な風が吹き抜ける。長い黒髪が首に巻きつくのを防ぐために、千歌音は髪を押さえていた。目くらましの粉っぽい靄(もや)が広がっていく。視界が悪くなったのをさいわいに、罪人を捕まえていけしゃあしゃあとした不遜顔の女の腕が緩んだところを見計らう。おのれ仇敵逃がすまじ、と女がすがりつき、揉みあいになっているうちに、相手は折よく転がっていたラムネ瓶に足を滑らせてよろめいた。そこへ、大きな影が投げかけられた。千歌音は後ろを振り返ることなく、一目散にその場から転がるように逃げ出した。

直後、巨大な拳骨がやみくもに生ある者すべて破壊し尽くさんとする惨たらしい音が聞こえた。悲鳴が重なる。恐怖がこだまするごとに、不気味なあの観音の腕が増えていった。あたりにはおびただしい血が流れていた。攻撃の手を逃れるため、千歌音はなるべく地面すれすれに身を低くして免れていく。

屋根が崩れ、千歌音の頭上に覆いかぶさってきた。
建材が支えになって、かろうじて、ひとひとり入れる隙き間はできたものの、前は塞がれたも同然だった。千歌音はへとへとになって、その場に座り込んだ。巨神は獲物が見つからぬ腹いせに、あちこちを潰し回っている。千歌音の歯ががたがたと鳴った。震えが止まらない。

自分が逃げれば逃げるほど、隠れれば隠れるほど、あの化け物は追いかけてくる。そのために巻き添えでひとが死ぬ。怪我をする。血は流れ、肉は潰れ、骨は砕け、涙は尽きず、野は枯れる。破壊を糧にして、ひとの恐怖を貪り喰いながら、奴らは巨大化していくのだ。ちぎれた人の足が丸太ん棒のようにごろんと転がっている。仔犬はどこかに逃げ去ってしまったらしい。ここでさえ、いつ上からあの巨大な足で踏みつぶされるかわかったものではない。

姫子、姫子、姫子、いまどこにいるの。
助けて、助けて、助けて。
私、怖い、怖い、怖い。こわいよ。
貴女がいないと、私は死んでしまう!



ジャンル:
小説
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