江利子は幼い子の腕をつかむと、たしなめるような口調になった。
いままで、そんな口調を働きかけた相手などなかった。家では両親と兄たちに甘やかされ、たいせつにされ、そして幼稚舎からエスカレート式で高校までのぼった学園では褒めそやされ、スールの妹にも、そのまた妹にも、融通が利いた。ここまで手こずったことなどなかった。たった七歳児相手に、この私が手こずるなんて。でも、鳥居江梨子はむしろ、それを楽しんでもいた。乗り越えるハードルが大きいほど、俄然やる気が湧いてくるというものだ。
「亜紀ちゃん、あのね。聞き分けが悪いと、パパに怒られるよ」
「亜紀はずっと、まつんだもん。だって、ここでママをまつんだから」
江利子は、ぐ、と唇を噛みしめた。
そうか、そうきたか。そうまで、この子に言わせてしまったのか。彼女は小さなライバル。会ったその日から好きになった人を取り合ってしまう。そうだと意識し、懐柔し、好きなものはあたえ、なるべく彼女の興味に付き合うようにし、仲を保ってきたつもりだった。だって、私はスッポンの江利子。狙ったものはモノにするまで食らいつく。山辺さんも、それを認めてくれていた。なのに、なのに。ほんとうのライバルは、目の前の少女ではなかったのだ。空に飛んでいってしまった人間に、地に足つけて生きている人間がかないっこないのだ。
若い女子大生と幼い少女とのあいだには、抜きさしならぬ空気がただよいはじめていた。
それを生み出したのは、他ならぬ、自分の挙作なのだった。責任の一端があると思ったのだろう。黒眼鏡の女性は、ゆったりとベンチに腰かけた。
「じゃあ、私もお嬢ちゃんといっしょに、夢のバスを待っていようかな」
「ほんと? お姉ちゃんもまっててくれるの? ママ、よろこぶよ」
「うん。そうするね」
亜紀がその女性になつきはじめたので、江利子もしかたなく、ベンチに戻った。
すまなそうな表情をつくって、お詫びを口にすると、あんがい、さわやかな笑顔が返ってきた。
「すみません。お付き合いさせてしまって。お時間だいじょうぶですか?」
「お構いなく。きょうはもう予定ありませんから」
ほんとうだろうか。彼女は、時計を気にしては、かなり焦り顔だったのに。
「バスを待たれていたんですよね。どちらに行かれるバスですか?」
「武蔵野方面なんです。学園前行きの」
「もしかして、リリアンの方ですか?」
「そうです。女子大のほうですけど」