陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の逸(はしり)」(十六)

2009-09-28 | 神無月の巫女感想・二次創作小説

千歌音がじっと目を凝らしていると、驚くべき光景がひろがった。
姫宮千実は大巫女の眠るその柩のなかに、からだを滑り込ませてしまった。そして、白木の柩の蓋は独りでに閉まり、白絹でつつまれ、さらに目も綾なる金襴緞子で蔓草模様をあしらった布帛がそろりと被せられたのである。それからしばらく待っても、姫宮のご当主が這い出てくることはなかった。まるで井戸の中に落ち込んだかのごとくに。あの柩の中身は、未来今生にわたって、外の空気に触れることはもはやあるまいと思われた。

「何なの、今のあれは? まやかし? 奇術? 姫宮のお父さまが消えてしまった…」
「姫宮のご当主さまは、もう旅立たれたの。最愛のお方と来る世で結ばれることを願って」
「お亡くなりになった?! そんなはずはない、お父さまには持病ひとつなかったというのに」

片足が不自由であることを除けば、いたって頑健であって、あの足で平然と馬を乗りこなし、あのお年で相撲をされても若者が投げ飛ばされることもあるというくらいの剛腕だと聞いている。姫宮の権勢におもねって遠慮した者たちがでっちあげた話だとしても、薬師や医師の世話いらずという、あの姫宮千実が突然死を起こすとは考えにくい。

「千歌音は知らなかったのね。先だっての、貴女が邪神の呪いを受けそうになったときに、代わりに犠牲となられたの」
「なぜ? この人は、ご当主さまは…私のことがお嫌いだったはずなのに。そんな…出来の悪い娘の私を庇ったりするはずなんかない」
「これはわたしの推測だけど…ご当主さまは貴女を毛嫌いして遠ざけることにして、貴女を護ろうとしていたのでは。貴女、社交界に出るのが厭わしかったのだし。大巫女のもとに預けられた鄙びたお姫さまってことにしておけば、いけない虫も寄り付かない、と」

千歌音ははっと胸を打たれたようになった。
姫宮家の当主の自慢の娘となれば、有象無象の殿方や御曹司たちがこぞって求婚をしてくる。新聞や週刊誌なども、やたらと書き立てる。そして、身代金目的の誘拐犯に狙われることもありうるだろう。姫宮のご当主が期待を掛けていない娘となれば、誰も注目などしない。

「だから前にも言ったでしょ。庫に置くものは、その家で大事なもの。もしもの時があったときの救いとなるもの。いちばん大事なものだから、陽(いつはり)の光りに灼けつかない場所におくの。そういう愛(かたち)だってある…って」

千歌音は唇を痛いほど噛みしめた。
ほんとうに、そんな理由だけなのだろうか。それにしては、あまりにも大げさではないのか。義理の娘とはいえ、もう少し、温かい扱い方をしてくれてもよかったのではないか。生まれる前からの敵であるかのような、あのぞんざいなあしらいは。それに何と言っても、自分は千実にとっては刺客の子なのである。おいそれと仇の娘を許しておくはずがない。

「私が姫子を探しになんか出かけなければ、お父さまは死ぬこともなかった。死んだ後で本当がわかったってもう遅いわ。そんなの、ずるい。一等ずるい。きっとお祖母さまに対して負い目があったからとか、なんとかで、それだけの理由なのよ。私を本気で可愛がってくださる積りなんて微塵もなかったのだわ」

うなだれた千歌音に、仔犬が身をすり寄せた。

「生者は奢っている。死者を蔑ろにして、ただ命ある身の尊さ、それだけで自分の生を高めようとする。死者もまた奢っている。生あることの喜びを満足に教えずに、ただ一途に逃げることが美しいのだと錯覚させる」

仔犬の姿かたちのままで言われても、あまりに説得力に欠ける。
そのように自覚したのか、姫子は思わぬことを千歌音に提案したのだった。

「千歌音が納得しないというのなら仕方ないわ。ご本人さまに聞くしかないでしょ」
「本人って、まさか、死者を蘇らせるとでも?!」
「まさか。黄泉の国に旅立った者の肉体を、巫女が再生するなんてできっこないわ。でも、その声なら招くことはできる」



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