陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「未来の白十字」(五)

2011-10-25 | 感想・二次創作──マリア様がみてる


「志摩子さんてさー、いまでも修道女になりたい、って思ってるの?」

祐巳は志摩子の瞳を覗きこむようにして尋ねた。
志摩子のそのまなざしには、迷いがなかった。

「ええ、もちろん。それはすでに決めたことだから」
「でも、その考えだったら、志摩子さんは実にいい尼さんになれそうだしなー。実家想いだし」

肘をつき、指を綾に組んだ上に顎を乗せた由乃は、いたずらっぽく流し目を送った。

「最近の尼さんてさ、髪剃らなくてもいんだってさ。セミプロで歌手として活躍してる人もいるんだし。志摩子さんみたいな美人尼さんがいたら、おうち、商売繁盛しそうじゃない?」

志摩子は微笑んだ。
女がお寺を継ぐということは、即僧職になるというわけではない。父も兄も、娘が立派なお坊さんを婿にして家を守るものだと考えているのだ。けれど、親友たちはそう思わない。そこが微笑ましかった。

「でもね、あいにく私の決意は揺らがないの」
「ほんとに大学に進学もしないで修道院なんか行っちゃうの? そりゃ、もったいないなあ。志摩子さんは、私より成績いいのにさ」

志摩子はすでに飲み干したカップの取っ手に指をひっかけたり、外したりしながら、所在なさそうに瞳を揺らした。

「実を言うとね、迷ってはいるの。とりあえず、大学だけは出てもいいんじゃないかって思ってもいて」
「そりゃそうよ。花の女子大生ライフもしっかり満喫しないとね」

がっしと拳をつきあげてラオウ様のように一人息巻く由乃をよそに、表情を暗くする志摩子が心配でならない。
祐巳は志摩子の左側の席に座り直して、問いかけた。

「どうして、そう思ったの?」
「たぶん、あの人に会ったからだと思うわ」
「あの人って?」
「横浜のミッションスクールを卒業されて、修道院で修練女として在籍してらっしゃる方なの。修練女というのは、シスター見習いのことね。とても、清らかで美しい方で、出身は長崎だと仰っていたわ。名前はそう…久保琹とか」
「クボ…シオリ? あれれ、どっかで聞いたことがあったような?」
「そうかな、久宝詩織なんて、そんな珍しい名前でもないんじゃないの?」

由乃の脳は、その名前にかってに平凡な漢字を当てて片づけた。
祐巳はその名前がいったいどこから由来したのか、皆目忘れてしまっていった。なにせ、平凡そのものであった福沢祐巳の高校生活は、高校一年の秋の学園祭前に、この薔薇の館の前であの小笠原祥子の胸にぶつかってしまったときから、大きく変わってしまったのだ。それから、どれくらい多くの人に出会ってきただろうか。

「でもさ、なんでそんな人と知り合ったの? シスターと会うなんて、教会通いでもはじめちゃった?」

志摩子は即座に首を振った。
カソリック系の宗教法人が経営する私立リリアン女学園には、学園内に礼拝堂があり、その学園長もれっきとした修道女である。しかし、実際に、熱心な教徒は少なく、学校の外でも日曜礼拝を欠かさないといった女生徒は一割にも満たないであろう。宗教系というよりも、明治からの百年以上の歴史を誇る名門女子校というブランドネームで入学してくる生徒がほとんどなのだ。志摩子のように修道女志願であったから、キリスト教の学びがある学園へという理由はかなり希少価値であろう。もちろん、この学園は彼女のような学生を真っ先に喜んで受け入れるのであるが。

「先週ね、リリアン女子大の附属図書館で催し物があったの。父の友人の姪御さんが、そこに通われていてね。こっそりお知らせしてくれたの」




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