陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の陽(いつはり)」(十五)

2009-09-26 | 神無月の巫女感想・二次創作小説


国際的な商機拡大をもくろむ姫宮家にとって、さらぬだに月の大巫女という強大な主軸を失ったうえ、心もとない者を擁するだけの姫宮神社など、すでに魅力的な投資先ではなかったのだ。

姫宮にとって商売繁盛の護符は、神社での祈願ではなく、英語とキリスト教と舞踏会、そしてジェントルマンである。
利に聡い姫宮家は旧弊ばった郷社への支援を断つかわりに、したたかに海外向けにご機嫌取りをはじめた、そう言ってしまえなくもないだろう。ひとりの少女の居場所を奪ったのは、ただ姫宮家支配者の気まぐれや姉巫女たちの転向だけではなく、日本が直面していたやむにやまれぬ時代の趨勢でもあったのだが、むろん、そのような歴史の背景をたかだか十四、五の娘が知る由もなかったのである。姫宮家の殷富(いんぷ)のために、無為の少女へ残されるべきお社が犠牲にされ、その身柄がその富ある只中へと放り込まれた。今はただ、出がらしの骨であったものをまだ利用価値があるとして、保管されたしがない身の上である。無知無能無力の少女の目にはそうとしか映らない。

姫宮家の洋館──そこは、大巫女たる祖母のもとで育てられた、鄙びた少女にとっては、まったくの異界とも言ってよかった。
うすら暗い座敷ランプか蝋燭の灯火で静かに読書にいそしむ穏やかな夜が、瞳を射るようなほどに眩しいシャンデリアのもとへ。毎朝毎夕、神前に供えてから丁重に手を合わせ拝してからいただいていた食事は、殺生に気後れすることもないたっぷりと脂ののった西洋式のものとなった。身に纏うものも違ってしまった。袖を通して前をあわせ帯で締めればよかった一枚布から、からだにぴったりとした、ややきゅうくつな、釦(ぼたん)の多い洋服へ。仏蘭西香水をつけ、肌つやを良くする資生堂の七色の脂粉をはたき、結い上げた髪には和風のかんざしではなく大仰な羽飾り。夜会巻きのご婦人方の列席はなめかしい栄螺(さざえ)が集ったかのよう。千歌音には、教育係の女中が何人もつけられて、華族の血をひく子女たるものの振るまいたるやかくや、とこと細かく、躾を施される日々が続いた。

大巫女を失ったあとの邸宅に取り残された孤独な日々を思えば、厳しく辛いこのような修養の時間も、千歌音にとっては、不本意ながらも耐えねばならないものであった。
幕府が瓦解し、食禄と職分を失った多くの士族たちと同じように、千歌音も生き抜くためには、新しい暮らしに首尾よく慣れる必要があった。今は無き姫宮神社の姉巫女たちもすでに職を得て、新天地へと旅立っていた。天火明村に訪れていた、遅れた文明化の波を、渋々ながらも、千歌音はやっとその身に受け入れる決意をしたのであった。それは突風がくればすぐに消えてしまうような、芯細い蝋燭の炎の決意であったのだが。

みずみずしい黒髪を結い上げた千歌音が、ドレスをまとって夜会に登場すると、他の侯爵伯爵家のご婦人方でもかすんで見えるほどだった。
ダンスでは、多くの男子に申込まれる。名だたる紳商や爵家の継嗣、大富豪の御曹司、青年官僚や軍人たちがこぞって千歌音の手を取りたがる。戦死者や戦傷者の多いこの時代、五体満足でかつそれなりの身分のある男子は、結婚相手としては申し分ない相手だった。当時十代で嫁ぐことはあたりまえだったのであり、殿御に嫁ぐことが、職業婦人とならない女にとっては、唯一の生き残る術であった。親が決めた縁談であれば、見合いもなく、夜の寝床で知る前まで知らないままに輿入れすることも当たり前だった。縁談相手が海外在住で、海を渡った花嫁たちも少なくはなかった。多くの婦女子からすれば、千歌音の境遇は羨望であったことだろう。



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