陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の陽(いつはり)」(十)

2009-09-26 | 神無月の巫女感想・二次創作小説


「まさか…! 大巫女さまの代には現れなかったのに、なぜ、今更になって?」
「もしや、この赤子は秘め子さまの生まれ変わりでは…」

飼い葉桶の穴に足を踏み込んだあの間抜けな巫女が、素っ頓狂な声を出した。
その声を戻すように唇を両手で覆ったが、しかし、その場のひんやりした空気を打ち破る後味の悪さは消えない。

「これ! 大巫女さまの御面前で、滅多な事を口にするものではないわ」

うっかり口を滑らせた巫女に、隣の先輩巫女が口を塞ぐ真似をした。
「秘め子さま」というのは、かつて、この村に民間信仰として信じられていた月の御子神のことであった。しかし、月の大巫女をはじめとした姫宮神社の面々では、この話は今となっては禁句となっている。

秘め子さまの生れ変わりを口にした巫女の一人は、おそろおそる女主人の顔色をうかがったが、月の大巫女はさほど気分を害してはいない。威厳はあるが、普段から誰に対しても険のある物言いをする質ではないのが、この大巫女であった。

「いいのですよ。わたくしの代に陽の巫女が生を受けなかったとて、不思議ではありません。わたくしには、そもそも月の大巫女になる資格など無かったのですから。大巫女といっても、ただの飾りもの…」
「何を気弱なことをおっしゃられるのです。大巫女さまは村の信仰を一心に集め、姫宮家のご信頼も厚い。なにせ、貴女様は姫宮の血筋を引くお方、千歌音様。資格としては充分ではありませぬか」

月の大巫女は、侍従のお追従に背を向けたまま、赤子を抱きあげた。
何十年ぶりだろうか、乳くさい、この柔肌の感触に触れたのは。生まれたばかりの赤子をその胸に抱く。喩えん方ないこの喜びを、月の大巫女は涙の滲む想いで味わっていた。

「至急、子を産んだばかりの乳のよく出る若い母親を召し抱えなさい。それから、麻で編んだ裏縫いの着物を用意なさい」
「裏縫い…でございますか? あのう、それは罪人に着せるものでは…」
「良いのです。此の子に着せるには、それが相応なのです」
「つかぬことをお聞きいたしますが、陽の巫女さまとなるお方は、月の大巫女さまの影となられるお方でございますよね。仮にこの子がそうだとして、なぜ、咎人のお召し物なぞを?」

月の大巫女は、しばし沈黙をした。
大巫女が言葉を切らすときは、神の託宣のために言葉を貯めている時ぐらいなものだ。普段から生活の凡てに決まりきった文言を当て嵌めているかのように、その言葉には一切の無駄がない…はずだった。慎重に言葉を選り抜いている大巫女、彼女の心意は嘘かまことか。

「裏縫いの衣は、生まれ落つるときにすでに罰せられている証。だから、もう誰もこの子を傷つけることはできない。傷つけた者は蛇(くちなわ)に堕ちるでしょう」

月の大巫女の、独りごちたような呟きに、一同賛否が明らかならぬ顔を浮かべるばかりだった。

「そなたたちは知らぬでしょう。陽の巫女は、この村では穢れの巫女。陽(ひ)は「悲」に通じ、「否」に通じ、そしてまた「卑」でもある。月の大御神(おおみかみ)さまの真名にのっとって、「陽」を「いつはり」と呼ぶのはそれがため。この村の言い伝えでは、月こそが常世の明かり。太陽は月の陰、月を補うだけのさだめ。陽の巫女は、月の大巫女の最期を看取り、穢れを払う者になるのです。ですからひと目に触れさせてはいけない。この子の誕生を広めることは、わたくしの死を知らしめるに等しいことです」



ジャンル:
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