陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の陽(いつはり)」(十四)

2009-09-26 | 神無月の巫女感想・二次創作小説


明治元年、王政復古、祭政一致を旗印となす明治新政府が発したのは神仏分離令である。
国内が廃仏毀釈に傾く一方で、神道の国教化がますます推進された。
江戸後期から国学者たちによって学問的に系統づけられ、やがては明治維新の原動力となった復古神道。日本古来の神々のご意志を体現せしめんとする「惟神(かんながら)の道」の重視。その機運を、近代国家たる大日本帝国が制度として後押ししはじめたのである。この村に古くからある大神神社をはじめとして、『延喜式』にのっとって、全国多数の神社が社格化されたのも、その一環である。国家神道の拡大路線はその後戦時中まで続き、「八紘一宇の精神」のもと皇国日本の軍国主義を招いたとして、戦後は連合国軍最高司令官総司令部によって政教分離がすすめられ、日本の神道はあらたに辛らつな局面を迎えることになるだろう。靖国神社の参拝問題が示すように、日本固有の道徳心や精神性を侵略思想と捉えてみる向きはいまだ止まない。

歴史を繙けば、時の政府や権力者が自身が帰依することのない宗教を執政の阻碍(そがい)とみなすのは、古今東西、ありふれたことであろう。
明治国家は寺院の勢力を削ぐために寺請け制度を廃止し、神前結婚や神葬祭を奨励し、新たな戸籍で帝国臣民を管理し、加えて新たな法律でその暮らしを統制しようとしていた。護憲運動や労働争議の頻発、上野公園での日本初のメーデー、銅山での暴動や焼打ち事件。全国に普及して金満家を震えあがらせたあの米騒動。度重なる民間の騒擾に業を煮やして、旧法の刑事訴訟法が公布されたのも、この大正十一年である。

だが、この国家的な神道推進政策は、かねてより姫宮神社を擁する姫宮家にとっては思わぬ荼毒(とどく)となった。
明治六年一月には教部省から「梓・市子等ノ所業禁止」令が発せられた。古代じみたシャーマニズム的性格を嫌い、近代国家日本は神社においての巫女の託宣や卜占を禁じたのである。そのため、女性神職も排斥されていき、巫女はあくまで祭祀補助者の役目に追いやられていった。市井に分け入って人心をかどわかす憑依や脱魂などの呪術をおこなう巫女たちの活動を制限するとともに、巫女は中央の神社であくまでも形骸的な儀式を行うだけの存在にとどめたのである。芸術性の高い伝統文化であったはずの巫女舞ですらも御法度にされてしまった。御一新で失職した武士たちと同じく、巫女にとってもまことに受難の時代であった。

はたして、かつて権勢を誇った姫宮神社とて、その例外ではなかった。
明治初期に端を発する巫女弾圧のその変革は、この時代の波とは無縁であったはずの天火明村にはずいぶんと遅れてやってきた。自家の名を掲げた郷社であり、祖神を奉ったお社でもあるだけに、明治大正の世に世界市場めがけて花めきつつあった姫宮家にとっても、その影響は免れえなかった。なにせ祭神となった姫宮家の祖となる姫君が、古き時代に朝廷に叛逆したため西へ落ち延びた一族の出であったという、いわくつきの由来をもつ神社なのである。姫宮家内部でも姫宮神社の存続については議論紛糾あったのだが、最後は現当主・姫宮千実(ちざね)の一存で決められたことだった。月の大巫女の逝去は、姫宮神社お取り潰しのまたとない口実となった。姫宮の縁者の娘たちの憧れであった巫女やその見習いたちにも、やがて新しき職分と学問とが用意されねばならなかったのだ。

異国の文明とともに、キリスト教の信仰や西洋の哲学が流入され、多くの教養人や士魂商才に優れた経世家たちは、貪欲にそれらの列強の思想の素地に馴染もうとした。新しいものが強くなるほど、いにしえの倣いは犠牲になる。

欧米列強に倣った模倣文化の浸透によって、東洋の美的良心というべきかの岡倉天心が嘆くように、多くのすばらしい日本美術の名品が顧みられることもなく、たちまち大量に海外に流出した。神仏像は霊性が宿るものではなく、ただの鑑賞物か置き物土産か、海外の収集家にとっての投機対象でしかなかった。

この時代の日本の神は、手垢にまみれた金に翻弄され、数字で割り切れる価値に換算されていった。
大戦景気に乗って売上を伸ばしたあの豪商・鈴木商店などが扱っていた樟脳が高騰したために、樟脳の製造業者たちがいっせいに濫造にのりだし、嘆かわしいことに神社仏閣の楠の風致木まで引き倒して、原材料として売り飛ばしたのだとも言われている。神が降臨なされたときに、足場となるために置かれた木でさえ、ジャポニズム愛好家の異人向けにすこぶる評判のいい根付や木彫りの人形などに変じて、もはやご真像の見る影もなく、港から旅立っていった。神霊の降りる石などよりも、鉄のもとになる鉄鉱石や石炭が尊ばれた。かつて、この国土は神が人に分け与えたもうたのであり、その豊かな恵みの享受に感謝をし、季節の巡り目ごとに儀式を捧げ、土地を休ませ、神をねぎらわねばならないものだったはずだった。日本の自然物にも、生活の道具にすらも神が宿っていたとされた、それら魂の在り処がつぎつぎに突き崩され、そして外つ国へと運ばれていった。

困った時の厄払い、そして節分、ひな祭りや七五三などの神社にまつわる行事は年々華美を増していきつつあったが、田の神送りなどの、この村の農耕とともあった、控えめな祭祀の習慣は人々から薄れつつあった。

人々の暮しのすぐ側にあった素朴にして純粋な神への畏敬が、まさにこの当世、まほろぼの村こと天火明村から失われつつあったのである。姫宮神社の消失はまさに、その流れの決定的なものとなった。変転目まぐるしい世の中で、姫宮千歌音がかつて愛した、あの懐かしき月の大巫女のお社は、もはや「誰も知らない社」にされつつあった。


ジャンル:
小説
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