陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の点(くろぼし)」(三)

2009-09-29 | 神無月の巫女感想・二次創作小説

その写真は忘れ去られていた。しかし、今より二年前になって、偶然ある男の目に留まる。
この館の一室を映じた数枚が、たまたまその人物の気をひいたのは、自分の見た美しい光景を覚えておいてほしい、という故人の意思だったのだろうか。それとも、その部屋のもつただならぬ蠱惑であったのだろうか。ともかく、その部屋はえもいわれぬ色香を放っていた。かつてそこに住んだ者の、刻の水車ですら拭いきれない悲劇をほのめかすかのように。

その男はもともとテレビプロデューサーで特撮番組を手がけていた。
思うところあって、最近、映画監督に転身したばかり。記念すべき監督第一作は、大正末期に不遇な出逢いと別れをくりかえした乙女たちの物語にしようと画策していた。脚本も仕上がり、配役もオーディションで選抜、製作費も潤沢に用意して、スポンサーも得ることができた。撮影をスタートするには不足がなかったのだが、ここで問題が持ち上がる。ロケハン地として当てにしていた、某宰相の旧邸宅が火事に遭い焼失してしまったのである。日本の名だたる明治大正期の洋宅は重要文化財指定を受けているので、撮影隊に貸し出される交渉は難航していた。スタジオのセットではどうしても嘘くささが出てしまう。そこで白羽の矢が立ったのが、この姫宮邸だったというわけだ。

なにせ旧財閥の流れを汲む、大企業姫宮ホールディングスの会長が所有する、名にしおう邸である。
交渉は一筋縄でいくまい。そう思われていた。

姫宮邸のある天火明村にささやかな庵を構えて隠遁生活を営む、老翁に連絡をとったところ、彼の返事はこうであった──「その館はいずれ、自分の孫娘に生前贈与しようと思っている。ついては、その館の貸出しについては彼女に問い合わせてくださらんか」。現在は英国に留学しているという孫娘宛に、監督氏は長文の嘆願をしたため、早速エアメイルで届けさせた。姫宮嬢からの色よい返事はこなかったので、監督は台本と映画の企画書を添えて、追い文をしたところ、その一箇月後に快諾を得た。部屋にある調度品の管理や持ち出し一切につき、代理人として、姫宮家の信頼のおける侍女に一任させる、というのが取り決めであった。

こうして、如月乙羽は、新米ながらも、主君の留守を預かる間にその閨(ねや)の切り盛りをあてがわれたのである。
乙羽が拝命されたのには故あって、それはこの物語の主要キャストではないが、終盤に重要な役所のある侍女役に、彼女がうってつけであったからなのであった。天来の富裕の家の侍女として躾けられてきた彼女ほど、ふさわしいキャストはいなかった。せいぜい裏方かエキストラにでも駆り出されるか、と考えていた乙羽は、いささか不本意な舞台への登板に驚き、かつ辞退もしたのだが、姫宮翁が興がって薦めるものであるから、受けざるを得なかったのである。

乙羽はドラマや映画、小説などは、下策だと思って、滅多と親しんだりするのではなかった。
渡されたその台本を読んでも、結末を知っても、そう大して感銘を受けた筋書きではなかった。気乗りはしなかったが、これは主家の命。乙橘学園中等部の学園祭の演劇部の出し物で客演させられたことを思い出し、真摯にクランクアップまで勤め上げた。しかし、あまりに気恥ずかしいので、本名ではなく、一作限りの仮名でクレジットさせてもらった。

半年あまりの撮影隊の駐屯を経て、この部屋は、いま往年の静寂さを取り戻している。
いつかは分からぬながら、いずれはこの館にご帰還あそばすであろう我が主のために、隅々まで万事怠りなく整備しておくのが、乙羽の誓いであり、誰にも譲らせない務めなのであった。




ジャンル:
小説
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