陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の点(くろぼし)」(二)

2009-09-29 | 神無月の巫女感想・二次創作小説

その洋館の二階の一室にて、寝室の清掃に余念がないのは、齢十八歳。
これより遡ること一年とすこし前にこの館に配属された、新米というにはあまりにも館に住み慣れているはずの、この侍女。もう少女と呼ぶには遠慮のある年齢である。如月乙羽は二月生まれの早生まれ。ほんらいならば花も蕾みの十五歳で姫宮邸に奉職せねばならないのであったが、彼女のお附きとなるはずであったご令嬢が目下洋学なさっているというので、三年の猶予を与えられて姫宮家に在籍しつつ、高等学校にも通えたのである。

如月家は姫宮の遠縁にあたる、村では歴史の古い家柄ではあった。
その家の娘が、いくら主家筋とはいえ、この二十一世紀にいまだ古めかしい女中奉公をしているなど、奇妙に思われるかも知れない。しかし、これは、かつてはこの姫宮家の筆頭侍女を務めたという祖母の遺言に従ったからであった。家柄とはいえ、格別の土地持ちでもなく資産もなく、さりとて功名心と才覚ある事業家肌でもなく、その多くが月給暮らしで村役場につとめるか、農業をしているかという如月家であれば、ほぼ永続的に雇用と地位とが約束された姫宮家へのご奉仕は、願ったり叶ったりであった。愛すべき孫娘を県外にやらず、しかも、最高級の教育と給金を授けられるのであるから。これは、いわば篤志家による書生雇いの少女版だったといえよう。

乙羽がこの寝室をとりわけ念入りに手入れしていたのは、つい先日まで、この部屋が貸し切られていたからである。
ヴィクトリアン朝様式の典雅な洋間の多いこの館のなかでも、二階の奥まった位置にあるこの寝室。白いレースの掛けられた天蓋付きの豪壮なベッドがあり、掛け心地のいい天鵞絨(びろうど)のソファや、曲線美の優雅さを誇る足のついた小粋なテーブルが並ぶ。化粧台、洋物箪笥、宮殿のようないかめしさのある書机、その上に在るシェード付きのランプ、安物を置くのは許されない飾り棚。すべて高級家具の展示場か、博物館かでしかお目にかけられない逸品ばかりである。その窓ガラスに曇りがつくのを怖れて、近くでため息をつくのさえ憚られるような、この部屋は、たまさかの、いささか賑わしい客人たちを招き入れた。

八十年余の歴史をもつこの館のなかであっても、もっとも神秘の間とされたこの一室にしては、稀代ありうべからざることであった。

姫宮邸の奥間にあるこの御寝所にカメラが入ったのは、十数年前であった。
昭和六十年前後、さる出版社の「現代に残る近代の豪邸」というプロジェクトに雇われた、フリーの青年写真家がこの部屋をカメラに収めた。若者の大学時代の友人に、姫宮家と取引のある実業家の御曹司がいたので、頼み込んだらしい。この青年はのちに、姫宮家の遠い姻戚にあった来栖川家の従姉妹の三女と駆け落ちをして、一女をもうけることになろう。

その写真集は発刊時、けっして売れ筋ではなく、その写真家も妻子ともども不幸な水難事故で亡くなったとされたので、世間から忘れさられていた。そのカメラマンの娘が実は生き延びていて、数奇な運命を辿りつつ、この村に創立された私立乙橘学園高等部に通うことになろうとは、当時の青年には思いもしなかったに違いない。


ジャンル:
小説
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