陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の逸(はしり)」(十九)

2009-09-28 | 神無月の巫女感想・二次創作小説

姫子の顔は苦悶に歪み、八の字眉をつくったその間には、年に似合わぬ皺が刻まれていた。

「…そうですね。千歌音のいうとおりです。わたくしの瑣末な昔話など、まだいとけない貴女に語って聞かせるべきではなかったのでしょう。白は永遠に美しく白いままだと思いたがる、貴女はまだ純粋そのものなのですね…。でも、これだけは覚えてほしいのです。姫宮のご当主さまの御心を貴女は誤解しています。かつてのわたくしと同じように。おそらく、わたくしたち母子のことをのちに伝え聞いたのでしょう。ご当主さまの悲願であった、みずからの血を引く我が子。その娘を、ご当主さまは御みずから滅ぼしてしまわれたのです。そして、若い頃のわたくしになんとなく似ている貴女を極度に怖れていた…だからこそ、遠ざけながらも、姫宮の監視下に置いたのでしょう。いざというときに貴女を保護できるように。誰にも奪われないように、と」

千歌音は祖母の面影を宿しつつあった巫女のもとへ、膝で詰め寄った。
片手を岩盤に添えて支えとしたので、石の冷酷さが痺れるように伝わった。石の燭台にはめこまれた蝋燭は残りわずか。冬の光りの届かない洞窟では、太陽の恵みの名残りはどこにも感じられない。

「お祖母さまと、その御子さまへの償いのために、あの千実さまが私を引き取ったのですか? 先刻、命を投げうったというのも、お祖母さまとの約束のため?」
「わたくしが亡くなる前に、あのお方がお見舞いにいらっしゃいました。あの方はずいぶんと老けてしまわれた。お子たちを亡くし、将来を託した者たちをも失い、遠い昔にしでかした過ちを悔いておいででした。事業を大きくしすぎたために、その後を継げる有能な者がいなかったし、育てられもしなかった。人間、功なり財を築きあげてしまうと、若い頃の無謀を拭うためになり振り構わなくなるものです。自分の人生を顧みて、それを清らかに仕立て上げようとする。ご当主さまのその哀れなお姿、どうして、わたくしに責められましょう。実の娘を失い、そして姫宮とは縁がない娘を次なる「神無月」に仕立て、姫宮からの支配を抜け出そうと躍起になっていました。しかし、その後継者まで失い、無理な綱紀粛正のせいで巫女たちのあいだで内紛は絶えなかった。結局、姫宮神社の崩壊を招いてしまったのは、このわたくしなのです…。姫宮の血を受け継ぎながら、その血を否定することでしか生きられなかったわたくし。わたくしが姫宮の血を拒まなかったら、秘め子は姫宮家の娘として正式に迎えられ、もっと幸せな人生を歩むことができたかもしれないのです。病の床ではじめて、わたくしたちの悔いも願いもひとつになったのです」

千歌音は泣きそうになった。祖母と慕ったこの大巫女が自分に巫女らしい修養を厳しく行わなかったのは、見捨てられていたのではなかった。姫宮のお社が無くなったのも、自分に巫女としてではなく、ひとりの女性として生き抜いてほしい、そんなささやかな願いのためだったのだ。

「千歌音、貴女はまだ若い。これから何十年と余生がある。悔しい事、苦しい事、たくさん学ぶでしょう。いずれ過ちから学んだ事が、貴女の未来をつくるのだと、年を重ねれば知ることになります」

姫子の手が千歌音の手を握りしめていた。
膝を突き合せて、前に組んだ両手を、つぼみを抑えるようにそっと握りしめる。大巫女が千歌音になにかを教え諭すときの、懐かしいしぐさだった。このしぐさをされると、千歌音は叱られた子どものように、大人しくなってしまう。

「ですから、もう、あの方をお赦しなさい。わたくしも赦したのです。死んでいった者には、もはややりなおす機会は与えられないのです。赦さねば、あのお方の魂は彷徨いつづけ、わたくしと共に永遠の眠りに就く事ができないのです。他人を許さねば、いずれ、貴女は自分で自分を許せなくなってしまいます。自分を許せない者は人を愛することができず、誰も信じることもできず、やがてみずから滅びることになります。わたくしたちは、そんな悲しい貴女の未来を望んではおりません」

千歌音はもはや二の句が継げなかった。
わたくしたち、とは誰なのか。そこに月の大巫女だけではなく、姫宮のご当主の祈願までが含まれていると言うのか。そんなことは天地がひっくり返ろうとも、ありえない。

「千歌音、貴女はまだ納得できないようですね。それも道理です。わたくしの言葉のみでは、貴女の煩悶を救うことはできない。わたくしは月の大巫女として多くの者の心の闇に添ってきたつもりであったけれど、その実、その多くは救われなかったことでしょう。わたくしたちの世代でやり残したことを、貴女がたに残すのは無念です。それでも、分かってほしいのです。わたくしたちは、もうこの世界には存在できない。貴女がたに望みをかけるしかないのだということを。貴女はまだ救われていない。後のことは姫子に託しましょう。くれぐれも御自分の身は疎かに扱ってはなりませんよ」

月の大巫女は、そろそろお暇しなくては、と姫子本人に──この場合、もちろん、傍でのんびりと毛繕いをしていた阿呆面の仔犬にであったが──お礼を述べて去っていった。傷だらけの姫子の肉体は、あたかも切腹をし介錯の瞬間を待ちあぐねているかのように、前のめりにゆっくりと倒れた。



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