陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

小説『海の底』

2014-06-25 | 読書の記録
2005年の小説『海の底』は、有川浩の自衛隊三部作シリーズの最終巻。
『塩の街』を借りて読んでなかなか良かったので、こちらも借りてみました。『塩の街』が陸上自衛隊、その次の『空の中』は航空自衛隊のメンバーが登場します。ちなみにこの作家さんといえば、『図書館戦争』シリーズが有名ですが、シリーズ第一巻のヒロインの跳ねっ返りぶりに頁をめくる手が止まってしまい、そちらは挫折したことがあります。本作も前半部にいささかグロテスクな描写があるんですが、主軸は人間ドラマとほんのりしたロマンスですね。

海の底
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横須賀の軍事基地周辺に、突如、巨大な甲殻類の大群が襲来。
ザリガニにも似たそれらは人々を補食しはじめます。折しも海上自衛隊主催のカーニバルが催されていたため、参加した市民たちが餌食に。そして停泊中の潜艦「きりしお」も襲撃を受け、海自の青年士官・夏木と冬原、そして十七歳から六歳までの少年少女たち十三名が、艦内に閉じこめられてしまいます。

夏木と冬原は自分たちのリーダーだった艦長を失い、逃げ場のない怒りを、子どもたちにぶつけてしまいます。いっぽう、子どもたちにも唯一の女子高生である望たちになつく年少者グループと、なにかと反抗的な圭介を筆頭とする中学生たち一派とに分かれており、雰囲気は最悪。どっちもどっちで大人げないなあと思うわけですが、紅一点である望が緩衝剤になっているのか、次第に打ち解けてきます。まあとはいいましても、圭介という少年は、小憎たらしいぐらいの反乱分子ぶりを発揮するわけですが。

巨大ザリガニの襲来と聞くと、よくある海洋パニック映画や特撮のモンスターを思い浮かべますが、本作が描きたいのは有事における、非常事態における、人間ひとりひとりがどれだけ最善の努力を果たせるかを問いつめたものと言えます。
怪物に襲われるなんて設定自体はまったくのSFですが、たとえば、ある日、全く予期しない理不尽な力や自然の猛威によって、日常が脅かされる。大震災を経験したあとでは、すでに身近なものに感じられます。ネットとマスメディアという、当事者と傍観者との対比という構図もリアリティがありますね。

小さなコミュニティの狭少な人間関係や毒母に洗脳されたために起こる子どもたちの葛藤や、職業自衛官といえどもキャリアの浅い青年たちのぶっきらぼうさ、少女一人が残されたことにおける恥じらい、などなど日常生活ではなんとなく伏せられていた不満が、緊急事態になって噴火してしまい、騒動に発展してしまう。あたりまえだった平和がもぎ取られたそのとき、自分がどのように振る舞うかで自分の価値が決まるし、自分もみんなも生き残ることができる。そのような覚悟を促されているような心持ちで読みました。秩序を維持するというのは大事なんですよね、窮地につけこんだ歪んだ統治ではなく。

怪物自体は科学的な分析力と、自衛隊の動員によって、みごとに討ち果たされ事なきを得ます。ここで描かれていることは、警察と自衛隊との指揮命令の違いによって生じる、危険を前にしての忸怩たる想い、そしてなにより有事に絡んで米国軍に乗っ取られては成るまいという日本の国防体制の矜持というべきでしょう。

集団的自衛権が話題になっている時節がら、ひじょうにタイムリーな読み物。
一方では、国民全てが武装するという戦争国家への危惧があります。しかし
他方では、なにかも警察任せ、自衛隊任せ、米軍に軍事費吸い取られて自立できず、いざというときに家族を自分の手で護る行動力や判断力が欠けるという懸念があります。

このシリーズは自衛隊や警官が貴い犠牲を払った、自衛隊に救出されるのを当たり前のように待つな、という主張を感じることができます。過剰な神聖化や軍事力を与えることは、五・一五事件やニ・二六事件のような政治クーデターに繋がりかねない向きもあるでしょうし、一概に正しいとは言えません。実際の戦場は、小説やドラマ、アニメにつくられたようなかっこよく自分が英雄になれる演出もなければ、犠牲になったことを悲劇にしてくれるわけでもないわけですから。
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