陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の陽(いつはり)」(十七)

2009-09-26 | 神無月の巫女感想・二次創作小説


当年きって三十歳の海軍少佐は、千歌音からすればひと回りも上ではあるが、当時とすればこの程度の年齢差は取り立てて珍しくはない。しかも、洋上で暮らすことの多い海軍軍人となれば尚更である。
この男は、師範学校を卒業して小学校の教員をしていたが、一念発起してお国のために身を投ずべしと海軍兵学校の扉を叩き、首席で卒業すると、各地の海軍区を転戦し、順調に出世を重ねた。目覚ましい功績を上げたのは第一次世界大戦であった。独逸軍のUボートによる悪辣無慈悲な無制限潜水艦作戦によって、インド洋と地中海を航行中の連合国の輸送船が甚大な被害をこうむったが、日本帝国海軍は度重なる護衛と救助活動を行った。敵に発見されにくいUボートの進路妨害に、この男の眼力と航海術が大いに役立ったとされる。
男が転身を図った当時、軍人は大変な高給取りでエリートでもあった。これといった資力も後ろ盾もいない、けれど身体だけは偉丈夫の田舎出の青年が目指すべきものとして、憧れを集めた進路でもあった。

大正九年に海軍の軍備拡張政策である八八艦隊案が構想され、競い合うように建艦ラッシュがはじまると、日本国内の造船業をはじめとした大手海運業はにわかに潤った。これは世界的にも足並みを揃えた傾向で、第一次世界大戦後の戦勝国が争いあったものであったが、次第に苛烈な建艦競争によって国家予算が食いつぶされることを憂慮し、戦艦建造に制限を設ける「海軍軍備制限ニ関スル条約」が米国首都華府(ワシントン)にて締結されたのは、この大正十一年二月のことであった。一見、列強国によって軍縮を強いられたかに見えるこの取決めは、超弩級戦艦二隻を温存することのできた日本にとっては利が多い。大日本帝国海軍はその後、攻撃力を各段に飛躍させるべく魚雷を充実させ、かえって海軍増強化を図っていく。

さりながら、大正期とは明治に比べると軍人の人気が下降線を辿った時代でもあった。
都会では軍人の失業者が溢れ、とりわけ陸軍は民主主義の壮士たちからは敵視され、税金泥棒と罵られた一時期がある。陸軍の兵力六万人削減を打ち出したのも、この年であった。だが、面白いことに、姫宮家は海軍の軍人を重んじていて、上を下への歓待ぶりであった。海を知る者は世界を知る。後述するように、姫宮商会がそもそも海軍の前身となる、幕末の神戸にあったとされる製鉄所と関係が深かったからである。

千歌音はこの男には、先の二人とは別の意味で、ただならぬ気配を感じていた。
ひと目逢った時から、言うに言われぬ恐怖心を感じる人物は一人か二人いるものだが、千歌音にはとっては、彼はその二人目であった。それは千歌音のみならず、この夜会に訪れる賓客たちが覚えた戦慄でもあった。というのも、この海軍少佐は魁偉なれども、その面貌はなはだ異界の人と見えるのは、ひとえにその隻眼であった。眼帯をしていながらもすこぶる視力すぐれ、海戦では敵艦の動きを見破って勝利に貢献したので、海軍の天眼通と呼ばれている。だが、その負傷は歴戦の猛者を示す勲章かと思われたがそうではない。どうも、その昔、赤貧洗うがごとしの暮らしぶりの時に、喧嘩沙汰でえぐり出してしまったのだとか。しかも、男にはかつて妻子があったが、それを捨てて海軍を志した過去があり、平素は無口な人柄ながら、酒癖がすこぶる悪くて暴力を働く厄介な性質であった。

この少佐が一度だけ、千歌音にダンスのお相手を申込んだ。
千歌音は快諾しなかったのだが、そのとき、この男は背筋が凍りつくような冷笑を浮かべて、こう呟いた──「貴様と私は似ている。私にも貴様にも欠けているものがある」と。たった一つ残された眼球がぎょろりと見下ろして、千歌音をぞくりと震えさせた。前二者ほどに比べれば熱烈に妻問うことはなく、幸いにして、千歌音とは話が進まなかった。海軍との縁故が欲しい姫宮家がなかば強引に、他の義姉君と婚約させてしまったからである。だが、その男の言葉は、なぜかしら、呪いのように千歌音を縛りつけた。姫宮と縁戚になった以上、千歌音はこの男を姉婿として慕わねばならないからだ。


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小説
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