陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「蒼のゆりかご」(八十二)

2012-06-19 | 感想・二次創作──魔法少女リリカルなのは


スゥちゃんと連れ立って、それから数日間、その浜辺を訪れることになった。
浜風が砂浜をすっかりと馴らしつけ、あのウミガメが産み落した場所はすっかり消えてしまった。でも、俺にはとっておきの策があった。ここを旅立つ記念に、スゥちゃんを驚かせてみたい、そんな思惑があった。

ある夜半、スゥちゃんと訪れた浜辺で、俺はふしぎな光景に出会った。
砂地がもぞもぞと動きはじめたかと思いきや、小さな生きものがつぎつぎに顔を出しはじめたのだ。つごう百匹ほどの子ガメたちは、列をなし、よちよちと這いながら、大きな波に飲まれこんでいった。みんな怖れを知らずに、母ガメの目指した方向へと律儀に向かっていた。ぱたぱたと足を動かし、あるものはひっくりかえった兄弟を支えて、前へと進めていた。ゆったりとした子どもたちの行進が終わるまでに、一時間を要していた。

「ウミガメの卵はね、ふつう、孵化するのに二ヶ月はかかるんだ。二、三回にわけて産卵するらしいから、あれはきっと前に生まれていた子たちだね」
「このウミガメってやつは貴重なの?」
「そうだよ。絶滅危惧種に指定されていてね。産卵や孵化の現場に立ち会えるのも、なかなかないんだよ。あたしたちはラッキーだったね」

俺はその言葉を聞くと、ますます、自分の思いつきが嬉しくなった。
ポケットから取り出した白い球を手のひらに乗せて、俺は得意げにスゥちゃんにさしだした。

「ほら、この一匹、取り出しておいたんだ。食べなくても、俺たちで飼っちゃえばいいだろ」
「トーマ、そんなことしちゃだめだよ」

スゥちゃんの笑顔が曇ったのは、そのときだった。
ズボンのポケットの中で揉まれて、かすかな亀裂がはいっていた卵には、もちろん形をなしたカメの子どもなどいなかった。そこにあったのは、指の隙き間から洩れるねっとりとした液体だけだった。俺は気味悪くなって、べとついた殻を放り出した。殻は大きくふたつに割れて、中身が砂地を練りこませた。

「なんで…? なんでだよ…鳥の卵みたいに毛布かけて、温めてたのに」
「ウミガメの卵はね、海辺の砂の中で、たっぷりと太陽熱にあたためられて育つんだ。この子ガメを生んだお母さんだって、そうやって育ったんだ」
「生まれた時に親が近くにいないなんて、不安じゃないの?」
「そうだね。ウミガメがなんで、そういうふうに育つのかわからないけど。でも、ひとつだけ、わかってることがある。母ガメは自分が生まれ育った砂浜を選んで、帰ってくるってことだよ。自分が揉まれて育ったきれいな海を覚えていて、そこに戻ってくる。理屈じゃわからないけど、そんなふうに生きるのが幸せだって、気づいてるんだ」

スゥちゃんは、しゃがみこんで割れた卵の残骸を砂浜に埋めた。
ここに帰ってくるはずだった可能性のある一匹が、海にたどり着く前に、俺の手で終わらされてしまった。俺は下唇を噛んで、黙り込んでしまった。スゥちゃんが叱ったりしないのが、よけいに悔しかった。あまりにもちっちゃ過ぎた俺は、自分で自分を戒める術を知らなかったのだから。


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