陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の点(くろぼし)」(二十九)

2009-09-29 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空

太陽は、絶叫の闇に目を閉じたまま終えた者にも、震えながら寝覚めた者にも、分け隔てなく光りを撫でつける。
明るさは慈悲だが東から西へ逃げ、渇きは拷問で地から天へと吸い上げる。運命は理不尽に生死病苦を与えていくが、朝な夕なに恵まれた自然はひとを選ばない。

ほぼ一両日あまり経った頃。
千歌音と乙羽は、姫宮の家の若衆たちによって救出された。正確に言えば、この地下に潜む遭難者を見つけ出したのは、一匹のやんちゃな雌猫であった。ひとに飼われたことのわかる毛並みの良さと鈴のついた首輪をもつこの灰色の猫は、空気を通すためにすこしだけずらした板戸から、爛々とした獣の瞳を覗かせていたのだった。猫が狙っていたのは、もちろん、乙羽の手乗り雛であった。

「乙羽さん、重ね重ね感謝するわ」
「お礼はこの子におっしゃって下さいまし。助けた命に助けられるとは。たまには卵の一個も救ってみるものですね。あと一日遅かったら…」

緊張をほぐすために、やや諧謔を交えかけて、乙羽は言葉の先を伏せた。
月の面(おもて)のごとく青白い千歌音の浮かない顔つきに、何かを悟ったのであろう。

この古い地下壕は使われなくなった食料貯蔵庫であったらしいが、備蓄はなかった。
巨神から一時逃れたとはいえ、砂時計の砂が落ちるのをじりじりと待つような遠い絶望で、また別の、命の危機が迫っていたのだ。二人が口にしたのは、二日前の桜餅が最後。二本だけあったラムネ瓶も飲み干していた。

もし主が餓えかけていたとしたら、乙羽がその愛鳥をどうするかはわかりきっていた。
だが、結果として生かしておいたがために、二人は救われたのだった。地下壕を塞いだ戸板の上には、屋根の重みで崩れた梁や柱が幾重にも横たわっていて、内側からの二人の少女の腕力では押しのけようがなかったのであった。座敷ランプの燃料も尽きてしまい、手探りで動くのは危険であった。もし、そのひよこの身を裂いて分け合って当座をしのいだとしても、永遠にこの薄暗闇に埋もれていたであろう。

外に這い出たときの、空気の澄んでいたこと。暗闇の物音に身を縮こまらせる必要のない、陽ざしの明るさ。のびのびと手足を広げたときの、空の高さ。柄杓で飲み干した水の旨さ。
だが安らぐ暇もなく彼女たちが目の当たりにしたのは、無残な屋敷の焼け跡だった。
炊事の火が燃え移ったのであろう、姫宮本邸を名乗っていた武家屋敷は黒焦げの木の骨組みだけになっていた。梁の下敷きになっている人間の腕や足がちらほらと見えた。異常な爆撃が下りたとき特有の、気分が悪くなるような金属が放つ音波や地熱によって、歩くたびに頭がふらついた。煙や埃の多さでしきりと目がかすんだ。衰弱しきっていた千歌音は乙羽とともに、その場を去った。

この主従ふたりが一時的に身を寄せたのは、姫宮家の迎賓館である、あの洋館であった。
聞けば乙羽はもともと、この洋館に所属する侍り女であったらしく、ここに一室を与えられていた。乙羽の若さで個室を得ているのは珍しく、よほど働きがいいのであろう。湯を浴びて、着物をあらため、まともな食事にありついて、はじめて千歌音は人心地ついたのであった。人間に戻れたような気がした。

わたくしのお古で申し訳ありませんが、と恐縮しながら差し出された縮緬(ちりめん)に、千歌音は喜んで袖を通した。
折り目がついて、糊のきいた着物は、持ち主の几帳面さが伺われた。乙羽は千歌音と自分の着ていた着物をていねいに盥で洗いあげ、皺ひとつ残らないように物干し竿に通していた。大神神社でひととおり身の回りの世話は自分で焼けるようになったのであるが、乙羽が恐れ多いことと断じて譲らせないのであった。

千歌音に任されたのは、雛鳥のミカが水遊びしたがって濡れた袖のうちへ入り込んでしまわないように、捕まえておくことだった。ひよこはそのうち、千歌音の懐の温かさに気を良くして、そこで寝入ってしまうのだった。



ジャンル:
小説
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