陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の陽(いつはり)」(十三)

2009-09-26 | 神無月の巫女感想・二次創作小説


大正十一年の四月。
その年は、一人の少女にとっては新しい、しかしまた同時に、辛らつな人生の幕開けとなった年となる。

姫宮家の養女、十番目の娘として引き取られ、「千歌音」の名を与えられた少女が目にしたのは、なんともきらびやかな世界だった。
巫女の卵として育てられたはずの少女は、またたく間に人生をひっくり返された。卵は親鳥に温められなければ、その殻を破れない。古い親鳥の熱に温められたままの卵は、新しい親鳥に愛情と呼ばれる重石で下敷きにされたときに、果たしてどうなるのだろう。どんなに不適温であろうとも、卵のままでいるか、それともそれを破って雛鳥となるのか、卵はみずから選ばねばならない。卵には卵なりの意地がある。いまだ何者にもなれず、どんなに急な崖道を転がり落とされようとも、無様に割れないだけの意地があろう。月の大巫女となるべき者の名跡「神無月の巫女」を継ぐことができなかった黒髪の少女・千歌音は、絢爛豪華な大正期の淑女たらんとして、いまや遅しの生き直しを迫られていたのである。

千歌音が姫宮家に迎えられてはじめて怖れおののいたのは、なんといっても、あの豪壮な建物であった。
天火明村の高台にそびえたつ、その白樺の洋館は、当時、西日本きっての大地主だった姫宮家にとっては、ただの別館の一つに過ぎなかった。
駐在所であれ、学校であれ、郵便局や村役場であれ、病院であれ、村のどの施設に行くにしても、姫宮の土地を通らずにはいられなかった。広大な敷地と邸宅の警備のために、派出所から派遣される誓願巡査のための小舎がもうけられていたほどである。姫宮家の警備のためだけに、警察官が常駐していたのだ。姫宮家にとっては、この村全体が庭のようなものだった。ことほどさように、姫宮家の地所はあまりに広大であった。

姫宮本家のご当主の起居は母屋たる武家屋敷でおこなわれ、そこは姫宮御殿と称されていた。
御殿には、その当時、回遊式の日本庭園もあったはずであるが、その偉容をこの二十一世紀の世では辿ることはできまい。平成の現在では土地台帳や古地図を渉猟することによって、かすかにその骨組みのみを推察できるのみである。この旧姫宮本邸が跡形もなく残っていないのは、大正年間のとある不可解な大災害、および、昭和の大空襲によって、あっけなく焼失してしまったからであった。更地になった敷地は戦後の農地解放によって、小作人たちに安価で売り渡され、現在は農地の隙き間を埋めるように数軒の民家がひしめきあっている。

平成の御代もなお残り、旧姫宮財閥(現在の姫宮ホールディングス)の西日本別邸、通称「姫宮邸」として利用されているこの洋館は、明治後期に英国人建築技師によって設計された、まこと絢爛豪華な館であった。
西の鹿鳴館と親しまれるほどの社交界の場所として、財閥の前身である姫宮商会によって、この洋館は明治の半ばに建造された。この洋館は、まほろぼの村の雰囲気を残すこの天火明村の景趣をがらりと変えた先駆けとなった。御一新後も我が国の首都は東方にあって、かつて京の都に近かった西国は取り残されていたその当時。幕末に異国人との貿易で勃興しつつあった姫宮商会は、西国諸国の経済文化の発展に寄与すべく、この建造物に並々ならぬ資本と情熱を注ぎ込んだ。高台が選ばれたのは、招かれた客に壮大な眺めを提供するためである。

貿易商社・姫宮商会は資本金八十万で設立された、姫宮一族が取り仕切る合名会社。
のちに広く融資を募ることができる株式会社へと組織変更し、さらには海運商事からはじまって、官営下げ渡しの繊維工場を買収し、さらに保険金融業にまで手を染め、多角的に事業展開をした。二年前の大正九年三月、日本で生じた株価の大暴落を契機に、戦後恐慌が経済を冷え込ませたが、三井、三菱、安田、住友の財閥系企業は安定した経営基盤で着実に収益を積み上げ、独占資本をより鞏固(きょうこ)とした。姫宮もまた地方財閥の端くれながら、戦後まで日本を代表する財閥群の仲間入りを果たすことになる。千歌音が井戸で陽の巫女を名乗る不思議な少女と再会を果たしたその年、姫宮の名を冠した神社のよすがが地上から消えたまさにその年に、姫宮家が絶頂期を迎えていたのは皮肉だったと言えようか。

第一次大戦の特需景気で大もうけをし、恐慌すらものともしなかったその姫宮の元には、大正末期の今日、多彩な顔触れが訪れていた。
カイゼル髭をたくわえた富豪たち、政府高官たちが、夜な夜な、貴婦人がた、令嬢子息を連れ立って、集まってくる。かの名高き鹿鳴館が、明治のわずか数年で、新政府の目論んだ不平等条約改正の目的が果たせずに、すでに華族会館に下げ渡され、誰もかえりみることなどなくなったのとは対照的である。事業で成功し、惜しみなく芸術文化の振興に、あるいは、考古学研究に投資をしてくれる姫宮の財力を頼り、多くの文化人たちや職人たち、そして研究者までもがご機嫌伺いに列をなしていた。

ジャンル:
小説
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