陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「夜の現(うつつ)」(二)

2009-09-19 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女
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写真を現像することは、夜のなかから昼を呼び出すことに等しい作業だった。
闇のなかから光りを救い上げる作業。海の底から、明るい魚や、白い貝殻をすなどる作業なのである。

取り澄ましたような表情が、夜の底沼から浮かび上がってくる。
姫子は撮った瞬間よりも、現像の瞬間にさらに神経をつかう。あのもう取り戻せない一瞬を生かすも殺すも、この最終仕上げにかかっているのだ。

現像した写真のなかには、河原で交互に写しあいっこしたスナップも含まれていた。
課題写真のできばえのほうに意識を囚われていなければならなかったはずが、なぜか、あの最後の写真のほうが気がかりだった。いったん現像しはしたが、なぜか、もの足りない。そんな空虚感を抱えてしまう。

蛇行しながら村を横切る大きな川の枝分かれになった流れを、ちょうど腰のあたりに据えて、真琴の上半身が収まったフレーミングのあの一枚。あれがあの日の、そしてこの夏の撮りおさめになったけれど、会心の一枚だという手応えが姫子にはあった。あの一枚のために、なぜか、早くはやくと現像したくてたまらなかったのだ。だが、真琴が笑って掲げたピースサインとおなじ高さに並んだ奥のブナ林の影から、半透明にうっすらと浮かぶ輪郭が見えたとしたら…。

お互いを撮影しあったあとで、真琴は意味深めいた言葉を残していた。
「かわいい女の子が写ってるといいな」──あの言葉は真琴が茶目っ気たっぷりに、自分たちふたりのことを指しているのだとばかり思っていた。だから、姫子もそれに乗ってこう答えた──「かわいい人なら、もっとかわいくきれいに写る。わたしのカメラなら、だいじょうぶだよ」

姫子はカメラの底を撫で付けながら、そう答えたのだ。
真琴はそれを聞くと、「姫子の腕なら、ほんとに見えないモンまで写し取っちまいそうだな」と、両の手を頭の後ろで組みながら笑っていたのだった。そうして、あの自由研究の観察日はつつがなく終了したはずだった…──。

──いいや、違う。
いま、じわじわと炙り出されてきた姫子の頭の奥にしまいこまれた記憶は、なぜか、余分なものがたくさん含まれていた。あの瀧の風景はほんとうに体験したことだったのか。それとも、うたた寝でみた夢の残滓に惑わされていたのか。姫子はなぜあんなに真琴にそっけなかったのだろう。




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