陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

「夜の点(くろぼし)」(三〇)

2009-09-29 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空

なんという穏やかな日常であろう。千歌音はしみじみとその有難さを噛みしめていた。

乙羽には使用人としての仕事がある。
他の女中から頼まれたのであろう、繕い物の手は休めていない。指貫を嵌めて器用に布を手のひらで滑らせて糸を躍らせながら、千歌音の無聊を慰めるべく話し相手になっている。他愛のないやりとりをするうちに、乙羽が熱心に己の好物を聞きだしてくるのを、千歌音は侍り女の本分だとしか感じなかった。千歌音が好きな飲みもの、好きな景色、好きな色の組み合わせ…。そのすべてを語るとき、姫子がいつも側にいた情景ばかりが思い浮かび、千歌音はしばし黙しがちになった。涙すらうっすらと浮かぶ。

「お嬢さまはどなたかお待ち人がいらっしゃるのですか?」
「ええ。姫子という名で、私の…」

そこで、千歌音ははたと言葉に詰まった。
そもそも、姫子と自分との間柄をどのように表していいかわからない。昔、雑誌で読み親しんだ女学生たちの憧れめいた絆へ当てはめるにしては、ひどく物足りない。姫子の素性や能力についても、どこまで語っていいのか。乙羽を信じていないわけではないのだが、千歌音はあの恋しい友というべき存在を、彼女を好ましいと思う気持ちをあからさまにするが気後れするのだった。熱をもって愛情を語れば語るほど、それはあざとさを濃くしてくるように思われる。巫女の修行にしくじった身では、姫子と並ぶ者ですらない。それでも、大切な、大切なひと。他の誰にも置き換えることはできない。

俯き加減でいじらしく座ったままの千歌音を、手慣れた動きで糸目を追いつつも乙羽は凝視していた。そして、わざと目を合わせずに、こう云った。

「お嬢さまにとって、そのお方は一対の貝なのですね」
「…貝?」

針をつけたままの着物の背中を見せて、おもむろに乙羽は袖の左右に腕を通してみせたのだった。着物はまるで比翼の鳥よろしく袖を横へ広げ、乙羽の正座した膝に掛かった裾が尾長に見えた。両袖の付け根のあたりが釣り合って、肩がちぐはぐでないか確かめたかったのだろう。

「海辺で拾った二枚貝の片割れは、この世界にたった一枚しかいないだとか。つまり体はふたつに分かれても、同じ一つの魂を共有しあっている。生まれる前からその二人は不思議な縁で結ばれていて、どんなに遠く離れていてもいつかは巡り逢うさだめ、なのです」

姫子と私は、運命の二枚貝──その言葉に、千歌音は深く胸を焦がされるのだった。
自分の大事な部分が引きはがされていったような虚しさを覚え、袂の合わせ目をぎゅっと掴む。眠りに落ちていた雛鳥が首を突き出し、身を揺すってさえずった。夜が明けぬうちから啼くなんて、気が早いひよっこですこと。衣の蹴回しをするすると滑らせて糸の縒れの無さを確認すると、乙羽は玉結びした糸を思い切りよく口で断って、ほほ笑んだ。

「この子が宵のうちから啼くのは、明日がいい天候の知らせです。千歌音さまのお探しもの、見つけにまいりましょう。よろしければ、乙羽もお供させてくださいませ」

ええ、もちろん。
そう言おうとして、雛鳥は襟裏をめぐって肩に乗っかってくるくすぐったさに、千歌音は首をすくめた。
輪っかを嵌めたごとき甘い瞳を忙しなく動かしながら、調子に乗って、黒髪の端をくちばしに咥えているのである。千歌音が思わず笑みをこぼしたのが、侍り女にとってはまたとない良い返事だと思われた。




ジャンル:
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